18・ペナルティ

 二人の間を通り抜けた風がやむ。

 風がやんだ上空は、恐ろしいほどに静かだ。周囲の霧が邪魔をして、鳥すら飛んでいない。

 静寂を破ったのは、ルシオラだった。


「ギブアンドテイクだと言ったが、お前は最後に置き土産を残したな。そのぶん、ペナルティだ」

「嫌だなあ。撤退の演出じゃあないですか」

「私にはなにをしても構わんと言ったが、まわりを巻き込めとは言っていない。ソラを狙えば、アレが勝手に飛び込んでくると思ったか」


 静かなルシオラの声には、だからこそにじみ出る怒気が付随されていた。それに気づき、ドクターはにやりと顔を歪ませる。


「まさか怒っている……? どうやらあなたにとっては素材より、あの少年のほうが余程大事だとみえる。本当に、ただの突然変異かなあ?」


 探るような声と視線に、魔女は「黙れ」と一言だけ返した。途端、魔族の口が上下くっついたように開かなくなり、ほんの呻き声しか出すことができなくなる。


「ペナルティだと言っただろう。お前に質問する権限はない。口を開いていいのは、私の質問への答えだけだ」


 低い声で言い、ぱちん、と指を鳴らす。たったそれだけの動作で、ドクターの口は解放された。しかし、声を出そうとしてみても、喉が張りついたように動かない。


「それでは、質問だ。置いていかれたお前は、人間界こちら側でなにをしていた? なにをしようと、している?」


 問いの内容を聞いて、喉を押さえていたドクターはぱっと楽しそうな笑顔を浮かべ、大げさに両手を広げた。いちいち仕草が芝居がかっていて、「面倒な男だ」とルシオラは心中で呟く。


「さっきも言ったじゃないですか。ボクは、。強大な神族のちからを有しながら、成長し続けるあなたを。あなたと対になれる存在を。魔のちからを有し、限りない成長を続けるもの。理論からすれば簡単に作れるはずだ。ブリュンヒルデのような禁忌を犯さずとも、ね」


 挑発するように、細い目が開いてルシオラを見ている。魔女は静かにその瞳を見返すと、淡々と続けた。


「……そうだな。作れるだろう。だから、魔王の一部を欲したのか?」

「まさか! 魔王あのひとを引きずり下ろしたいと思っていたのはボクだけじゃない。時代遅れで古い考えしか持っていないのに、ちからだけは無駄に強い。半分以上は疎ましく思っていただろうね」


 ブリュンヒルデは絶好の機会を与えてくれたよ、と歪んだ笑みを浮かべる。


「ああ……未だに鮮明に覚えているよ。時代遅れの王サマを切り刻んでやったときの、彼の顔。わけがわからないって、本当に間抜けな顔してたなあ。なんかもごもご言いながら、貴様かって、ただそれだけ。まあボクもね、達成感と封印の余波とで一撃もらっちゃったから、隙間ができ始めるまではほぼ死んでるようなものだったけど。でもあんな経験はもう二度とできないだろうなあ」


 恍惚とした表情を浮かべて、脳内で記憶を再演しているようだ。

 ルシオラはふっと鼻で笑うと、冷え切った声を出す。


「馬鹿な男だ。私を作ると豪語しながら、魔王のちからに怖気づいたか。魔と人の融合体である『私』を作るには、魔王クラスのちからの持ち主でないと務まらん。私も見くびられたものだ」

「……?」


 魔女の言葉が一瞬ような気がして、ドクターは首を傾げる。魔族の様子を見て、ルシオラは対峙した中で一番楽しそうな深い笑みを浮かべた。とても美しく、魅力的な笑みだったが、ドクターは背中を冷たいものが駆け上がっていくのを感じる。


「なぁに、だよ。まさかここまで気づかなかったとは」


 呆れた口調で首を振る。ドクターが辺りを見回すが、もう遅い。彼を取り囲むように、巨大な魔法陣が次々に現れる。


お前の質問にも一つだ魔を戒める穢れなきけ答えてやろうと思っ光の裁きをその身にたが時受けよ間切れだ。――光の聖櫃アーク・プリズン


 最後のフレーズだけ、わかるように二重詠唱をしたのは魔女の気まぐれだ。


 キン、と高い音がして、ドクターの周囲を光の壁が囲む。ひし形の空間に閉じ込められた魔族に向かい、まわりを取り囲む魔法陣から次々に光の刃が発射された。光の刃はひし形の中を縦横無尽に反射し、ドクターを何度も何度も貫き、叩きつけ、追い打ちをかける。そのたびに血しぶきが舞い、壁にべちゃりと付着した。光にもてあそばれながらなにごとか叫んでいるが、すでに言葉になっていなかった。


「安心しろ。その魔法は時間がきたら解除される。それまで死ななければ、また会うチャンスもあるだろう」


 世間話でもするような軽い口調でルシオラは告げた。魔女をつかみ取ろうとするかのように、光の壁に血まみれの手のひらがどんと押し付けられる。しかしそれは、手のひらの形を残してすぐにちからなく落下していった。千切れ飛んだ腕がぶつかっただけだったのだ。


「……ルシオラ……。ボクは、諦めない、よ……ッ。ボク、は、あなたを必ず――ッ!」


 執念で絞り出した言葉すら最後まで言わせず、飛び回る刃が残った腕を弾き飛ばし、脇腹を抉っていった。圧倒的に暴力的な片羽の魔女の魔法は、魔族の身体を確実に削り取り、輝く透明な壁に赤いインクを派手にぶちまける。

 最果ての魔女はふっと色違いの双眸を細めると、なにごともなかったように転移陣を展開させて消えた。誰も知らない伝説の島の上には、術者がいないまま作動し続ける光の檻だけが残り、閉じ込められたものの呪詛にも似た呻き声だけが響いていた。









 吹き飛ばした巨体を、メビウスは追わなかった。否、追えなかったのだ。

 振り払いはしたが、衝撃で右手は痺れていた。毒の影響か、身体が重い感じも抜けない。ソラのちからに助けられたとはいえ、まだ毒は抜けきっていないのだろう。手にしたブリュンヒルデの輝きも、いささか鈍いように感じられる。


 ……瘴気もまだ残ってるな。


 ソラが握っていた右腕は完治しているが、左腕と背中は多少傷が塞がったものの、血が滲んでいる。赤いはずの鮮血が、乾いたあとの血のように黒く濁っているのを見、小さくため息をついた。


「……ったく。遺跡ここで良かったなんて思う時がくるなんてな」


 ひとりごち、もう一度ため息を吐く。毒の呪縛から逃れたことで、少年の身体に残る瘴気は本棚を包む浄化のちからが作用しているようだった。ゆっくりとではあるが、確実に重苦しい負の感情が薄まっていく。


「でも。君にはこの程度じゃ届かないんだろ」


 一瞬、目のに映った少女の成れの果て。


 口々に叫び声や怒声をあげながら突進してきた魔人の攻撃をブリュンヒルデで受け止め、メビウスは彼女だったものを太陽の瞳で見上げた。

 肉塊に埋まった短い手足を補うように、強靭で鋭い鉤爪を持った腕が本物の下から生えている。足も獣のしなやかな筋肉のついたそれが地面を強く踏みしめていた。ぶよぶよの肉体に浮き出る顔は、皆歪んでいる。痛みか怒りか悲しみかはわからないが、そこには負の感情しか認められなかった。精神を蝕まれ、飲み込まれてしまったのだろう。


 何度も両腕を振るい、本能のままに鉤爪を振るう。大きく身体を動かすたびに、へばりついた口という口から黒いものが――凝縮された瘴気が吐き出され、辺りに飛び散った。メビウスは得物のリーチを生かして瘴気に当たらない位置を保ちながら攻撃に逆らわず、ちからを逃がして対応する。


「オレは……君を助けてあげられない」


 まるで、自分に言い聞かせるように。

 魔人が両腕を振り上げる。

 ぐっと一歩踏み出して足にちからを入れる。刹那、振り下ろされた鉤爪をブリュンヒルデでしっかりと受け止めた。瘴気が舞い、じゅっと肩口を焦がす。


「だから――終わらせるッ」


 拮抗したのはほんの一瞬だ。体重を落として受け止めた鉤爪を斬り裂き、バランスを崩した獣の腕を巨大な刃に巻き込むように引き付けて一気に斬り上げる。大きく醜悪な身体が宙に浮き、星屑の追撃を受けて後方へ吹っ飛ぶ。

 と、その背中に青く輝く魔法陣が浮かび、防護陣プロテクトが展開した。ウィルが放った防護陣に飛び出た骨の翼が突き刺さり、本来ならば守るために形成される魔法の壁を破壊する。壁との衝突により、飛ばされた身体がほんの少しだけ空中にとどまるが、メビウスにとってはその時間で十分だった。


 すでに、少年は魔人の前にはいない。星屑の追撃に紛れて強く地面を蹴り、ちからいっぱい跳躍していた。

 使い慣れた得物を振りかぶり、自分めがけて落ちてくる少年をしろがねの瞳がとらえる。なんの感情も表すことのできない瞳に、燃えるような意思を宿した朱の瞳が映る。そこに、迷いはない。高らかな咆哮をあげて、メビウスは両腕を振り下ろした。


 ――ずっ、と重たい音がして。


 交錯した、視線が


 赤黒い血をまき散らしながら、頭と身体は別々に落下していく。重たい身体のほうが先に地面に落ち、ずしんと土煙をあげた。次いで、小さな頭がころりと転がる。たん、と少年の軽い着地音が聞こえたのは、同じぐらいだっただろうか。長い三つ編みが、遅れてきらめく。

 静かに見守っていたソラの瞳に、メビウスの背中が映った。己の身長より大きな神器には、一点の穢れもついていないというのに、彼は汚れを払うようにその刃を小さく横に振る。それは、解放前のみじかな剣で魔獣の群れと戦ったときと同じ動作で、昔から身に染みついているものなのだろう。


「…………」


 メビウスは無造作にブリュンヒルデを握ったまま、頭をなくして地面に沈んだ魔人の身体をじっと見つめていた。その瞳にどんな感情を浮かべているかは俯き加減の目元に前髪がかかってわからないが、口元はきゅっと強く真横に引き締められている。頭を斬り落としたのに、巨大な剣は形状を維持したままだ。


「……まさか、アレもだなんて言うんじゃないでしょうね」


 ウィルも緊張した面持ちを崩さない。思わずもれたぼやきを聞き、ソラははっとして少年から魔人の身体へと視線を移す。

 黒いもの、魔王だったものの、心に直接触れてくるような冷たい気配は感じない。つまり、アレとは違うということだ。

 だが、そこにあったのは安堵などではない。

 少女は夜空色の瞳を見開いて、自分で自分を抱きしめる。


 倒れ伏した身体の中に。


 ソラは――うごめく複数の魂を視た。

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