14・歪んだ憧れ

 ルシオラの顔を見て、魔族はあからさまに顔色を変えた。怒りに歪んでいた顔も、そんなことはもう忘れたかの如くぽかんと口を開けて呆けている。まるで、信じられないものでも見たかのような表情だ。

 好機と見て追撃をしかけようとするウィルを目で制し、ルシオラは立ち上がれずにいる魔族を、射殺せそうなほど冷たい瞳で見おろす。だがその中に、隠しきれない好奇心が渦巻いているのをメビウスは見つけた。それでこそ、ルシオラか、と苦笑を浮かべる。


「……お前が、魔族か? ならば、いまの魔族は随分と弱くなったものだ」


 自分を凝視しながら、はくはくと口を動かすドクターを一通り観察した彼女の紅い唇から漏れたのは、そんな嘲りの言葉だった。


「……まさ、か……そんな……ッ!」


 一方でドクターは、ルシオラに釘付けだ。魔女の言葉が届いたかどうかもわからない。やっと、聞き取れる言葉を吐いて、ぶつぶつと早口で語りだす。小さかった声が段々と熱を帯び、彼女以外はもう目に入っていない様子だ。


「片羽……ッ! 金と銀のオッドアイッ! ボクが一目で恋した、ボクが欲しくて欲しくてたまらなかった、ああ、死んだ遺跡が生き返ったのはあなたのお陰か!」


 魔族は目を見開き、恍惚とこれ以上ないほど顔をほころばせた。ルシオラは胡散臭げな視線を送り、嫌悪を隠しもせずメビウスに問う。


「なんだ、こいつは」

「オレも非常にソレを聞きたい。ドクターって名乗った、ヤバい奴」

「ドクター、だと?」


 ――ばらばらにされたのは事実です。行ったのは魔族。通称、ドクター。


「ん? 知ってんのか? 向こうは随分と熱く語っちゃってるけど」

「聞いたことがある程度だ。魔王軍の幹部は、通称で呼び合っていたからな」

「あー。そういや本名もあるとかなんとか」


 耳にしたばかりの名前を聞き、ルシオラは動揺を悟られぬように飲み込んだ。本当なら、それこそ問い詰めたいことがたくさんある。魔女が真偽を図っている中、当の魔族は口から勝手に言葉がこぼれ出していくような状態だった。彼女のほうを見てはいるが、果たして本当に見えているかすら危うい。


「ああ、憧れの片羽がボクに興味を示しているッ。話しているッ。ルシオラ・ウルズ・アーキファクト……ああ、ボクの愛しの最果ての魔女……」


 ぼろぼろと垂れ流している言葉に違和感を覚え、ルシオラは片眉を跳ねあげる。どうやらメビウスも気が付いたようで、小さく首をひねっていた。


「私にご執心なのは結構だが、これと遊ぶのはもう飽きたのか?」


 少年の頭に手を乗せ、くしゃりと金髪をもてあそびながらの台詞にメビウスは余計なことを、と非難まじりの視線を魔女に突き刺した。が、そんなことを気にするルシオラではない。些細な反撃は、口を開く前にドクターによって遮られた。


「ああ、ああ……ッ。なるほど彼は、あなたの。あなたが作り出したか」

「混ざりもの? なんだ、それは。確かにこれを仕込んだのは私だが、ただの人間だぞ?」

「瘴気に慣れた、ただの人間? 二千年前ならともかく、瘴気のほとんどないこの時代で?」

「突然変異だよ。いつの時代にも現れる、珍しくもない話だ」


 ルシオラとドクターが好き勝手自分の話をしているが、この魔女が魔族相手にネタばらしをするわけがないだろう。二人に加わる気にもならず、メビウスはソラを探して視線をさまよわせた。


「…………」


 空色の少女は、泡沫の記録パーフェクト・メモリアの外の姿である大樹に手を当て、静かに見上げていた。少女の表情があまりにも思い詰めたものであったため、メビウスは駆けよることも声をかけることもできず、ぼおっとただ見つめてしまう。

 彼女はいったい、遺跡の中枢でなにを知ったのだろうか。

 少なくとも、すべてを思い出してすっきりしたようには見えない。

 泡沫の記録パーフェクト・メモリアは真実しか語らない。ゆえに、残酷だ。知らなければ良かったと思うこともある。問うた答えを受け止められるかどうかは、問いただしたものの心の持ちようだ。


 視線を感じたのだろう。ソラがゆるりとこちらを向く。星を宿したような夜空色の瞳が、太陽の瞳をとらえた。へらっといつもの笑みを浮かべたが、少女の表情は硬いままだ。一拍遅れて、ソラの大きな瞳が少しだけ柔らかな光を帯びる。

 頭上では、噛み合っているのかいないのか微妙な線の会話が続いていた。ルシオラの細く長い指は、がっしりとメビウスの頭を掴んだままだ。話しているうちに白熱してきたのか、見た目からは想像できない強さで上からぐりぐりと圧迫してくる。背が縮んだらどうすんだ、と胸中で毒を吐くとじとりと上目遣いで魔女を睨んだ。会話に混ざろうと思えないため、声を出す気が起きないのである。


「……うん? なんだ?」


 自分の手の下で、少年が魔女だろうが魔王であろうが貫けるほどの不機嫌を醸し出して睨んでいることにようやっと気づいたようだ。ルシオラが手を離したので、メビウスはさっさと彼女の手の届かない範囲に移動する。魔法による傷を負い、ルシオラが対峙しているとはいえ魔族に対する警戒は怠らない。離れた位置にいるウィルも、銃を下ろしてこそいるが、ドクターの一挙一動を細かく観察している。


「……さて。お前のくだらない話はそれだけか? もう少し、斬新な話が聞けるかと思ったんだがな。付き合うだけ無駄だったようだ」


 つまらなさそうに手を振ると、魔族は懇願の声を張り上げた。


「ボクは、あなたに憧れていた! あなたの美しさにも、あなたの有り余る才能にも! いつかあなたと並んで歩いても見劣りのしないよう、ボクは研究に没頭したんだ! あなたのようなちからを持つものを、いや、あなた自身を生み出したくて!!」

「……最後だけなんか違わねーか」


 すでに「無理な奴」として脳内にインプットしてしまっているメビウスが、ぼそりと突っ込みをいれて首を横に振る。どうやってもこの男の言動はスルーできそうにない。

 そんな男に、ルシオラはいつも通りの自信にあふれた足取りで近づいていく。カツン、とヒールを鳴らして魔族の目の前に立つと、すっと身をかがめた。

 吐息すら聞こえそうなほど近くで、最果ての魔女は囁く。


?」


 一瞬、真顔になったドクターがルシオラを見る。精一杯見開かれた細い瞳には、尊敬と畏怖の色が同時に揺れていた。

 魔女は魔族の唇にそっと指を当て、なにも言うな、とジェスチャーを送る。


「私の質問に答えるならば、お前の質問にも答えよう。ただし、で」


 悪い取り引きではあるまい? と締めくくり、ルシオラは細い指を静かに離した。

 ドクターの、最果ての魔女への憧れはどうやら本物のようだ。それが真っ直ぐなものにしろ、歪んだものにしろ、強い思いは行動を起こす原動力となる。


「……ふ、ふふ、悪い話じゃない。乗ったよ、最果ての魔女!」


 ――しょきん。

 聞こえたのは、そんなふざけた音だった。

 立ち上がろうとしたルシオラの頭だけ残し、身体はぐらりと横に倒れる。間に存在するのは、魔族が最初に使用した巨大なはさみだ。生暖かい血にまみれるのすら愛おしいと、ドクターは魔女の顔をかきいだいた。


「ああ……。最初から、こうすれば良かったんだ。こうすれば、あなたが永遠に手にはいる」


 音が聞こえてから、ドクターの満足げな声が耳に届くまで誰もなにもできなかった。阻止することはもとより、動くことすらできないほどの刹那の時間。瞬きするだけの、みじかな時間。


「……ルシオラ、さん?」


 呆然と、ウィルが口にする。ただ、名前が零れ落ちただけの、呟き。大きく見開かれ、焦点の定まっていなかった紫色の瞳は一瞬にして憤怒に染まる。自分でもよくわからない叫び声をあげながら、二丁の魔力銃が滑るように両手にしっくりと収まった。


「ダメだウィルッ!」


 メビウスの制止と共に風を切り裂いて飛んできたのは、彼の得物ブリュンヒルデだった。巨大な剣は青年の目の前に突き刺さり、前方の視界を阻害する。


「坊ちゃんッ!? なにをッ!」

「キミには置き土産だ!」


 ウィルの非難じみた声と、ドクターが高らかに叫んだのはほぼ同時。魔族は叫びながら針を数本投合した。針には、目視できるほどどす黒い瘴気がまとわりついている。針の向かう先はメビウスの後ろ――ソラだ。


「ソラちゃん! 伏せろ!」


 急遽方向変換し顔色を変えて地面を蹴ると、ソラに覆い被さるように飛んだ。少女の頭を抱えて地面に倒れ込む。避け切れなかった一本が、背中を斜めに抉っていったがメビウスは顔色一つ変えずにドクターへと怒鳴る。


「ソラちゃんには興味ねーんだろ! 巻き込むんじゃねえ!」

「キミの反応には、興味あるから」


 どういう意味なのか、咄嗟に思いつかない。転移の光に包まれたドクターは、満面の笑みを浮かべて消え去ったところだった。目標に当たらなかった針が、崖に激突して派手に土煙をまき散らした。ウィルが、ルシオラの身体に駆け寄る。


「……こんな……坊ちゃん、なぜ止めたんですか? 答えによっては坊ちゃんでも許しません。僕は、刺し違えてでもヤツを殺しますよ」

「それはあまり嬉しくないな。お前には、生きていてもらいたい」


 背後から聞こえてきた声は、聞き慣れた魔女の妖艶な声音。力なく座り込んでいた眼鏡の青年は、ぐるりと身体ごと振り返る。


「……え、あ……? ルシ、オラさん……? いや、でも……?」

「説明してやれよ、ルシオラ」


 ソラをかばった姿勢のまま、難しい顔をしてメビウスが言う。その声には、多少の怒りも感じられ、ルシオラは「そうだな」と素直に応じた。


「死ぬ覚悟をしてまで心配してもらえるのは光栄だが、アレは分身だ。私の一部を使って作っているから、少しは実像も伴うことができる。魔族の前になんの準備もせず姿を見せるほど、私は自信家じゃない」

「……分身? ……アレが」


 言いながら、地面に倒れて血を流す豊満な身体を見つめる。それはゆらりと陽炎の如く揺れ、すっと地表に溶けるように消えた。


「悪趣味だろ。オレも途中まで気付かなかったぜ」

「わたしは、見ていたから知ってた。でも多分、言わないほうがいいんだろうなと思って」

「え……? じゃあ、知らなかったのは、僕だけですか……」

「なに、敵を欺くには味方からと言うだろう。本物の私だと思い込ませるのに、お前の本当の怒りは一役買った。あの魔族には少々聞きたいことがあってな。場所を変えたかったのだ。ここで魔族と本気でぶつかるようなことになれば、遺跡が壊れかねないからな」

「……ふーん」


 半眼で、魔女を見上げる。さすがに非難の色が濃く滲んでいて、ルシオラがさらなる弁解を始めようと口を開きかけたときだった。


「いやああああッ! ちょっと、なんなのよこれェーッ!!」


 オオハシの甲高い叫び声が遺跡にこだまする。鼓膜が麻痺したんじゃないかと思うほどの大声に、四人は顔を見合わせ身軽なウィルが先行した。なんとなく、居づらかったのかもしれない。針が当たった場所は、怪鳥ルクから助けた少女が眠る部屋に近いが、まだ治まり切っていない土煙が邪魔をしてはっきり見えない。


「……ッ!」


 ぞわりと、突然鳥肌が立つ。寒気がするほどの瘴気を感じ、メビウスはルシオラを見上げた。無論、彼女も感じているだろうが、魔女は冷静に言い放つ。


「奴を逃がしたのは私が勝手にしたことだ。確かめたいのは、こちらにとって悪い情報ではない。私はドクターを追うが、ここはお前たちでなんとかできるな?」

「わかってるよ。お前しかドクターを追えないんだ。さっさとその情報とやらを仕入れてこい。こっちはオレたちに任せとけ」

「頼もしい言葉に甘えよう。……死ぬなよ?」

「……? そりゃあ、まあ」


 唐突なルシオラの言葉に困惑しつつも、メビウスは頷いた。最果ての魔女は光の羽を広げ、宙へと舞いあがる。記憶したドクターの瘴気を、一瞬で探知すると楽しそうに口角を持ちあげた。


「わざわざそこを選ぶか。いいだろう。乗ってやろうじゃないか」


 呟いたルシオラの姿は、宙に現れた魔法陣に飲まれて消えた。

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