12・少女の記録

「かかったかな?」


 にしっといたずらっぽく笑って、メビウスは遺跡へと駆け出した。なにがなにやらわからないが、ウィルも着いていくしかない。


「いったいなんなんですか!」

「んー、鮫を倒したときにな、なんかいたような気がしたんだよ。そんときは構ってられねーから放置したけど、やっぱりなにかついてくるからさ。それでちょっと止まってみたんだよ。そしたら、案の定、な」


 少年が小さく上を指差す。言われて集中してみれば、確かに渓谷の中腹辺りに妙な気配が感じ取れた。


「確かに、なにかいますけど。それって、別にあんな話じゃなくても良かったですよね?」

「あ、気づいたか。いやあもうバレバレすぎるから言っちゃった。あんだけバレバレだとむっつりにもなれないぞ?」

「な、なんの話ですかッ! オープンすぎる坊ちゃんに言われたくありませんッ!」

「むっつり未満君には言われたくありませんなあ。けど、話したことは本当だぜ。あと、ルシオラにもバレバレな」

「え……? え? 僕はもう、どんなテンションでこのあとルシオラさんに会えばいいんですかッ!?」


 青年が赤くなったり青くなったりしているのを横目で見、メビウスはへらっと普段の笑みを浮かべた。

 瘴気の正体だった魔獣と子供たちを一撃で吹き飛ばしてから、ウィルの調子はどうにもおかしかった。表面上、いつも通りを装ってはいたが、解放の光で浄化された場所に瘴気を持つものについての手がかりなど残っているわけがない。それぐらい、普段の青年ならば言うまでもなくわかっているはずだ。

 人間が瘴気にあてられたケースとは、あまり遭遇していない。魔獣ならぬ魔人――それが年端の行かぬ子供たちであり、さらにはこちらに敵意も持っていなかった。ウィルが躊躇するのも当たり前だろう。

 だが、それでも、魔人は魔人だ。見て見ぬふりはできない。


 なぜなら。

 それが、彼の存在意義だからだ。


 相手がなんであったとしても、瘴気を持つものを人間界には存在させるわけにはいかない。人間界の瘴気が少なければ少ないほど、隙間を超えてきたものたちにとって環境は悪くなるからだ。

 本来なら、話しができる相手はなるべく殺したくはない。だがそれは、あくまで人間同士の場合だ。自分の身勝手な思いが、エグランティアにいらぬ感情を呼び起こさせたのではないかと、少年は後悔している。人間に戻る手立てなどわからないのに、彼女を強引にこちら側へ引き戻した。あのまま妹と暮らせるはずなどないのに、希望を持たせてしまった。その結果、死ぬことのないメビウスを庇ってエグランティアは死に、フィリアにもなにを告げればよいのかわからず、あやふやにしたままだ。それなら、人間を恨んだまま、真実をなにも知らないまま――種は自ら望んで受け入れたのだと、後悔はないと言い切れるエグランティアのまま、戦って倒すべきだったのではないかとメビウスは後悔しているのだった。


 だから。


 せめて、一瞬で。


 子供たちが視界にはいったとき、すでにそう決めていた。

 瘴気にあてられたとはいえ、命をなくすわけではない。生き方が、存在の在り方が変わってしまうというだけだ。心臓が止まれば死ぬ。身体を壊されれば死ぬ。核になっている部分を失えば死ぬ――。どんないきものだろうと、それは変わらない。

 そして、突然命を断ち切られれば大概痛みがともなうことを、メビウスは身をもって知っている。どんなに一瞬だったとしても、痛みや苦しみを感じないなどあるわけがない。


 そう。


 あるわけが、ないのだ。

 あるのは、手をかけた自分へのほんの少しの逃げ道。世界に害を成す存在だとはいえ、戦う意思も敵意すら持っていなかった相手を一方的に殺した自分への。


 ……オレもまだまだ、覚悟が足りねーや。


 心の中でひとりごち、苦い笑みを浮かべて空を見やる。鮫を倒したときに視界に入り込んできた影が、つかず離れずついてきているのが瞳に映った。こちらが気付いていることに気が付いているかは疑問だが、なにか用事があるのは確定のようである。


「ウィル、そろそろ遺跡の中にはいるぞ」


 振り向いて伝えると、いまだに居心地の悪そうな返事が聞こえた……の、だが。

 聞き慣れた声は、一瞬で驚愕の声に変わる。


「坊ちゃん、前ッ!」


 は、遺跡の中から聞こえた。


「しっかりついてきてくれてありがとう。じゃ、さようなら」

「なあッ!?」


 視線を戻すと目に入ったのは巨大なはさみ。シンプルな細いはさみが自分の首の高さでいっぱいに広げられている。飛び込めばもちろん、はさみはその役目を果たすだろう。目いっぱいに駆けている足に、今更急ブレーキをかけても止まらないのは明白だった。

 それなら――!

 むしろ勢いを殺さぬまま、開いた刃先の寸前で身体をぐんっと沈める。そのままスライディングの要領で、相手の足首を狙って蹴り込んだ。ざざざっと地面を削る音が聞こえ、土煙があがる。男は「おっと」と軽口を叩いてかわしたが、足の横を滑り抜けてメビウスも窮地を脱した。左手でブレーキをかけ、右手はすでに得物の柄にかけている。低い姿勢で片膝をつき、朱の瞳で男を睨みあげていた。

 振り向く前まで、遺跡の中には誰もいなかった。


「これはこれは。研究所のゴミどもを一撃で始末してくれたのは、まぐれじゃないってことかあ」

「……ゴミ、ですか。覗きとはいい趣味をしていらっしゃる」


 片眉を跳ねあげて、低い声を出したのは反対側にいるウィルだ。彼もすでに銃を構えている。メビウスが男の下をすり抜けたことで、予期せず挟み撃ちの格好になった。少年は意識を男から離さぬまま、ちらりと遺跡の外に浮かぶ影に視線を飛ばす。


「お前が本体で、オレたちを付け回してたやつがニセモノか」

「せいかーい。あれ、キミ、案外できる子?」

がこんな場所になんの用だ」


 神族の遺跡にほんのり残る浄化のちから。残り香とは言え、ちからのないものはまず近づかない。少年は迷わず魔族と言い切った。


「おやおや。魔族ボクたちのことまで知っていらっしゃる。キミたちこそ、いったい何者なのかなあ?」


 細い目を更に細くゆがめて魔族は笑う。白衣にも見えるシンプルな白いコートが風で揺れた。


「名乗るほどのものではありませんよ。ただ、魔獣退治を生業にしているだけです」


 銃を持っていない左手で眼鏡を押し上げ、ウィルが事務的に口にする。


「あれが退治ねえー。鮫なんか頭吹っ飛んでたよ? そっちの少年なんか、見た目の割に容赦なく吹っ飛ばすし。失敗作のゴミとは言え、元は同じ人間だよ? ああ、せめて一撃でってキミなりの情けだったりする?」


 にたにたと大きく弧をえがく口からは、ぽんぽんと精神を削るような言葉が出てくる。青年が顔をゆがめたが、当の少年が口にした言葉には呆れた音をともなっていた。


「ハチの巣にされようが一撃だろうが、死ぬときゃ結局痛いんだよ。それぐらい常識だぜ」

「は、思ったよりドライじゃない。ところでその両手。かなり痛そうだけど、もしかして遺跡の機能にやられちゃった? ブリュンヒルデなんて曰くつきを持っているからかな?」


 心底愉快そうに投げかけられた言葉に、メビウスは不快をあらわにして両目を細めたがそれだけだった。魔族とは正反対に、心底面白くなさそうに呟く。


「ずっと見てたんだろ。そりゃあ馬鹿でも気付くよな」

「ふーん……。やっぱり聞いてたよりドライだな、キミ。もっと感情的な子かと期待してたけど、期待外れだったかなあ」


 あからさまに肩を落として挑発的な笑みを消し、つまらなさそうに二人を交互に眺める魔族の男。少年が口を開きかけたとき、なにかに気付いたのか首をこてんと傾げる。もっとも、二十代半ばぐらいに見える男がやる仕草として、あまり見たいものではない。


「そういや、女の子が足りないなあ? 今日は連れてきてないのかな? ジェネラルがご執心の、


 どくんと大きく鼓動が脈打つ。男を映す太陽の瞳は、氷点下の光をともなって彼を射抜いた。その視線を浴びながら、魔族は腹の底から楽しそうに顔をゆがめる。


「いま、ほんのちょっとだけど殺意を持ったね。いいねえ、そのほうが、ブリュンヒルデを扱うのに似合ってるよ」


 べらべらとおしゃべりな魔族を前にして、メビウスもウィルも得体の知れない不気味さを感じ取っていた。いったいなにが目的なのかさっぱり見えてこないのである。もっと見えないものは、その実力だ。一瞬で遺跡の中に出現した以外は、なにもわからない。手に持っていた大きなはさみは、その手を軽く振っただけであっさりとかき消えた。どちらも瞬き程度の時間でやってのけたが、それだけだ。本来どのような動きをするのか、なにを主体として戦うのかすら見当がつかない。ゆえに、二人とも動くに動けないのである。


「ああ、ボクはその素材とやらには興味ないから安心して。僕が興味があるのはキミだから。正確に言えば、キミの身体だけど」


 続いていたおしゃべりな声が嫌でも耳に届き、メビウスは不愉快をあらわにした。


「……よくわかんねーけど、ヤバい奴だってのはわかった」

「そうですね。ヤバい奴です」

「死ぬよりヤバい気がする」


 二人がどんよりと意気投合している間も、不快な話は続いていた。これ以上ないほど楽しそうに、自分の目的を語り散らしている。


「瘴気に慣れてて、結構頑丈。生命力を使ってもなんの支障も出ない。そして遺跡ここの防護機能にも耐えきってなお、戦えるわけでしょ? いやあ、聞いたとおりというか聞いた以上だよ。キミならボクの実験に耐えられるはずだッ。瘴気で気が触れる心配がない。ちょっとパーツを切り貼りしたぐらいでショック死したり、を入れ替えたぐらいで簡単に使えなくなるようなことはないッ! ジェネラルから聞いたときに確信したよ」

「あー……死んだ方がマシなやつ。マジで」


 恍惚と口にした内容を聞いて、げっそりとメビウスが呟いた。なぜだかすでに疲れた気さえ覚えて、軽く首を振った。


「無理。理解できねーわ。むしろする気もねーわ。無理」


 自身に言い聞かせるようにひとりごち、背中の剣を素早く抜き放つ。ぎぃんと固い音が空気を震わせた。少年の剣によって弾かれた太い針が、飛ばした本人へと跳ね返る。それを二本の指であっさり受け止め、にっこりと笑った。


「さっきの奇襲もかわせたんだし、これぐらいは当たり前かあ」

「お前な……。言ってることとやってることが噛み合ってねえよ。さっきもいまも殺す気満々じゃねえか」

「いやいや過大評価だなあ。ちょっとした挨拶だよ」


 言いながら、軽く右手を振る。その手には、槍にも匹敵する長さのメスが握られていた。









 突然、無音が続く白い空間を大きな揺れが襲う。倒れそうになったソラへ手を伸ばし、ルシオラは緊迫した面持ちで言った。


「これは……! 外でなにかあったな」

「二人は……?」


 ルシオラをぱっと見上げ、少女は大きな瞳をいっぱいに見開いて問うた。不安で揺れる夜空色に、魔女は沈黙したままの泡沫の記録パーフェクト・メモリアをちらりと見やると「戻ろう」と一言ささやく。少女も異論はないようで、何度も頷いた。

 ルシオラは杖を手元に出現させると、床をこつっと叩いた。たったそれだけの動作で白い光を放つ魔法陣が二人の足もとに形成される。同時に彼女は片方だけの羽を大きく広げた。羽の光に反応し、魔法陣は更に煌々と光を強める。


 不意に。

 無機質な声が、響いた。


「名前、ソラ。滅ぼすもの。魂を呼ぶもの。死を告げるもの」


 突然、壊れたかのように泡沫の記録パーフェクト・メモリアが淡々と羅列し始める。それは、少女の最後の質問に対しての答えだった。抑揚のない人工的な声を聞いて、ソラは弾かれたように球体に駆け寄ろうとした。


「ダメだ、ソラ! 私から離れるな!」


 ルシオラが厳しい口調で言い、少女の腕をつかんで引き寄せる。魔女に抗い、ソラはありったけのちからで話し続ける神族の遺した遺物に近づこうとあがいた。


「待って! わたしのこと、知ってる! 知ってるの!」

「落ち着け。もう一度、聞けばいい。また戻ってきたらいいだけの話だ」

「もう一度……」

「そうだ。いつでも連れてきてやろう。だから、今は一旦帰ろう」


 魔女の羽が一層きらめく。


「成れの果てを使うもの――」


 その声を最後に、遺跡の奥底の景色はゆがみ、光に飲み込まれていった。

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