11・パーフェクト・メモリア

 それは圧倒的な神秘を携えて、ただそこにあった。

 ルシオラが泡沫の記録パーフェクト・メモリアと呼んだ遺跡の真髄は、まだ辺りに飛び交う文字を吸い込み続けている。

 自分の顔がすっぽり隠れるほどの大きさの球体の美しさに、ソラは一瞬で目を奪われた。


「ソラ。質問はいいのか?」


 ルシオラに問われ、夜空色の瞳をぱちくりとさせる。


「質問……?」

「お前自身に関することを聞くんだろう?」

「え……。でも、本は」

「目の前にあるだろう。が本であり、記録し続けている媒体だ。形など、ただの見た目に過ぎない。気になるのなら、一般的に本と言っている形にすることもできるがね」


 言うとルシオラは、球体の上に両手を掲げた。青い光がほとばしり、手の下で球体が形を変えていく。ぐにゃりと空間を捻じ曲げるように、分厚い一冊の本に姿を変えた。勝手に開いた本は、風も吹いていないのにぱらぱらと小気味よい音を響かせてページがめくれていく。めくれたページの間に、まだ宙を飛んでいた文字が飛び込んだ。

 それを見て、ソラは顔を上げた。どこまでも広がる白い無機質な空間が目に入る。天井がどこにあるのかなどまったくわからなかったが、文字はもう浮かんではいない。さっき本に飛び込んだ文字が、最後の一つであったようだ。

 顔を正面に戻し、少女は曖昧な笑みを浮かべて首を横に振る。この、どこまでも白い空間には、本という形は似合わない。そう、思ったからだ。

 だから、素直にそう伝える。魔女は「そうか」と端的な言葉を返し、泡沫の記録パーフェクト・メモリアを元の球体に戻した。


「ただ、質問するだけでいい。答えを返してくれる」


 促すように、ルシオラはソラを見やる。少女は緊張した面持ちで、目の前に浮かぶ神族の遺物を眺めた。聞きたいことはたくさんあったはずなのに、いざとなるとなにから質問していいのか頭の中が真っ白になってしまっている。

 上手く言葉にならないもどかしさを乗せた瞳でルシオラを見上げる。ルシオラはふっと口角を持ち上げ、妖艶な笑みを浮かべた。どうやら、この事態は想定済みだったらしい。


「質問がまとまらないか? では、私が先に用事を済ませよう。その間に、聞きたいことをまとめるといい」


 おとなしくうなずいたソラの肩に手を乗せ、ルシオラはぴんっと張った声を出した。


「封印の日、魔王がなにものかにばらばらにされたと聞いた。それを行ったのは誰だ? ブリュンヒルデか?」

「ばらばらにされたのは事実です。行ったのは魔族。通称、ドクター」


 球体から発せられるにふさわしい、機械的な声が端的に告げる。


「魔族、だと……? あんなタイミングで反乱を起こしたということか?」


 さすがのルシオラも、その答えは想定していなかった。軽く紅い爪を嚙みながら、ぶつぶつと呟く。泡沫の記録パーフェクト・メモリアは沈黙したままだ。あくまで、出来事を記録しているだけであるから、記憶や気持ちという箇所には干渉できないのである。


「その魔族は封印された魔界でなにをしていた?」

「封印された魔界の中は、記録できません」


 動揺が簡単なミスを呼んだらしい。封印後の魔界については聞いても無駄だと知っていたはずなのに、とルシオラは苦笑する。らしくないな、と心中でぼやき、ふっと短く息を吐きだした。


「では、質問を変えよう。魔王のパーツは、全部でいくつある?」

「頭、腕、胴体、足、心臓、までは記録できています。ただし、封印のちからが重なり、封印の日に起きたことは正確な記録だとは言えません。どこにあるのかも、腕以外は記録されておりません」

「なるほど。少なくとも五つというわけか。記録がないということは、他のパーツは封印の日以来、出てきていないということだな」


 ひとりごち、ルシオラはちらりとソラを見た。正確には、少女の腕を、である。


将軍ジェネラルは、魔王を復活させるために人間界へきた。だが、その魔王をばらばらにしたのも同じ魔族の医者ドクターか。封印に紛れて討ったということは、魔族も昔から一枚岩だったわけではない、ということか……」


 ルシオラの頭の中で、様々な仮説が組み立てられ可能性の低い物からどんどん排除されていく。しばらくその作業に没頭するため、魔女は静かにたたずむ少女に声をかけた。


「私はいま、とても忙しい。質問は、まとまったか?」


 有無を言わせぬちからが込められた言葉は、すでに問いではない。ソラは緊張で身体を固くしながら、こくこくと頷くしかなかった。


「そうか。では好きに質問するといい。なに、簡単だよ」


 さらりと言うと、ルシオラの思考からソラの存在は弾き出される。一人になった気配を感じながら、空色の少女はなんとか言葉を絞り出した。


「えと……わたしは、誰、ですか?」


 結局、うまくまとまらなかった。聞きたいことが多すぎて、なにを聞くのが一番良いのかわからなかった。だから、別段ひねりのない無難な質問を口にする。

 間髪入れず、無機質な声が返ってくる。


「あなたはいま、ソラと呼ばれています」

「……はい」

「…………」


 ドキドキしながら、次の言葉を待った。しかし、球体は黙りこくったまま言葉を発する気配もない。沈黙に耐え切れず、ソラは遠慮がちに声をかける。


「あの、その他、えと、わたしの過去とか、本当の名前とか、は……」


 幾何学的な光が数本走る。ややあって、遺跡は答えを出した。


「名前、ソラ。過去――記録なし。過去――記録なし。過去――記録なし」


 無機質な声で、あり得ない返事が繰り返される。何度も何度も、まるで脳内にすり込もうとしているかのように反復される同じ言葉に、少女は呆然と呟いた。


「……やめて。……やめてよ。……お願いだから、もういいから!」


 最後は懇願であり、絶叫だった。夜空色の瞳に大きな涙が浮かび、白い頬を滑り落ちていく。拳を握りしめて肩で大きく息をしている少女を、ルシオラは脳内を駆けまわる思考を止めて静かに抱きとめた。ソラは、彼女にすがりついて泣き続ける。空色の少女が感情を爆発させるさまを、最果ての魔女は初めて見た。


「記録なしとは、どういうことだ。なんでもいい、この少女に関することを教えてくれ」


 腕の中でしゃくり上げるソラを感じながら、ルシオラが訝し気な声をあげる。すべてを記録する泡沫の記録パーフェクト・メモリアが、真実を曲げるはずがない。ソラの聞き方が悪かったのか、それとも本当になんの記録もされていないのか――。

 球体は少しの沈黙を挟み、青い光を走らせながら答えを発した。


「ソラ。魔王の腕を取り込んだもの。それと一緒にいきるもの。神族、人族、魔族のどれでもないもの。同一種族はいまのところ、認められていない、唯一の存在」

「……ッ!」


 その返答には、最果ての魔女も息を呑む。無機質な返事は無論ソラにも聞こえていただろう。腕の中で、少女がその小さな身体を固くしたのが伝わってくる。


「……わたし、は」

「私も同じ種族はいない。ただ一人の片羽だ。同じだよ、ソラ」


 少女の掠れた声に被せて、魔女が強い口調で言った。みなまで言わせてしまえば、ソラは自分自身の言葉の意味に、心を折られそうだったからである。

 でも、と華奢な少女は虚ろな瞳で口にする。


「違う……。わたしは、ルシオラとは違う。どこで生まれて、いままで何をしてきたのか、本当の名前すらわからない。神族の遺跡に頼ってもわからないの。わかったのは、わたしはあの、黒いものと一緒にいきている、ということだけ。世界に一人しかいないってことだけ」


 答えに窮したルシオラの身体をとん、と押して静かに離れた。ふらりと消えてしまいそうに希薄な笑みを浮かべ、ソラは最後の質問を口にする。



「わたしは――いったい、なに?」










「思ったより、遺跡から離れちまってたな」


 帰路につきながら、急ぐ様子も見せずにメビウスが口にする。変わらぬ景色の中で、遠くに薄ぼんやりと白く光って見えるのが目的地だろう。視認することができてから、それが近づいてくる感覚はほとんどない。


「言ってることと行動が矛盾してませんか?」


 先行しているウィルが振り返り、マイペースに歩く少年をじとりと睨む。メビウスはにしっと笑って視線をかわし、「前見て歩かねーとこけるぞ」と緊張感のない声で指摘する。


「思ってたより遠くだったなって言ってるだけだぜ? 急いでるのはお前だけだろ」

「待ってるって約束したのは、坊ちゃんじゃなかったですか?」

「言ったよ。思ったより離れちまってたけど、思ったより早く片付いたから急ぐ必要はねーよ。はかなり広いからな」

「……言葉は、きちんと最後まで言ってください」

「で? お前はなんでそんなに急いでるワケ?」


 しれっと見上げる太陽の瞳とかち合い、思わず顔をそむけた。特に理由などないのだが、言われてみればなぜか自分が急いでいることに気が付いたからである。約束を守るため、メビウスも急いで帰るだろうと思い込んでいた。だから、自分も急いでいるのだとそう思い込んでいたのである。

 返答のない青年の顔を、心中を探るように覗き込んでいた朱の瞳がふっと逸らされた。同時に、少年はその場に足を止めて、軽くため息をつく。


「バレバレすぎっから言うけど。……お前、ルシオラのこと、好きだろ」

「……は? いきなりなんの話ですか」


 唐突に、隠しているはずの想いを突き付けられ、ウィルはぎょっとして向き直った。


「無理だぜ。あいつはずっと、そういう感情を持たないように生きてる」


 はぐらかそうとしたが、少年は淡々と言葉を続ける。いつもの軽口ではない。その声になんの色もついていないことにウィルは気が付き、口を閉じた。


「あいつは、自分がどういう存在か嫌というほどわかってる。種族間の関係を壊し、世界の在り方まで変えた、ブリュンヒルデの罪の象徴だ。そういう感情を持ってしまったら、同じような存在を生み出してしまうかもしれない。ブリュンヒルデの二の舞には決してならねえ――」


 ルシオラの、それは決意だろう。

 そして、この世界を生きていくための覚悟。


「しかし、ルシオラさんがそこまでブリュンヒルデを背負う必要がありますか? 彼女がブリュンヒルデを選んだわけじゃない。誰一人同じ種族がいない世界で、僕たちよりもずっと長い時を生きることを強いられて、孤独であらねばならないなんて――」


 坊ちゃんだって、無理でもしないと二千年も生きていけないって言ってたじゃないですか。

 意識していたよりも強い語調で少年に叩きつけた。彼になんの非があるわけでもないが、一緒に長い時を生きてきながら、彼女の孤独を肯定するような言い方はあんまりだと思ったのだ。

 メビウスはふっと口元に笑みを乗せる。「そうだな」と心の中でのみ、続けて。


「――子供に罪はない。あれ、ルシオラが大嫌いな言葉なんだ。言葉自体は間違っちゃいねえけど、自分の中で納得がいかないんだろうな」


 納得がいかない。そんな、生半可なものだろうか。そんなものでルシオラは、メビウスよりも長い時間、ずっと独りで過ごしてきたというのだろうか。

 それはもう、呪いと変わらないじゃないか。

 ウィルは拳を握りしめ、胸中で独りごちる。


「……僕は、ただ……ルシオラさんに……」


 心から、笑っていてほしくて。

 歯切れの悪い言葉と共に本当の気持ちを飲み込み、眼鏡の青年は顔を伏せて呟いた。


「僕はやっぱり、ブリュンヒルデが嫌いです」


 メビウスが鋭く見上げたのは、告白と同時。

 太陽の視線は、一瞬、霞む空に浮かぶ人影をつらぬいた。

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