9・終わらせる覚悟
魔獣の死骸に次々と群がる子供。
もう、ひとではないというのに、食べるという生きるための行為を行っている。どれだけ腹を空かせた幼子であっても、決して口にはしないであろう魔獣の屍を一心不乱に貪っている。食べるという行動自体はいきものであれば当然の行為で、まだ彼らが生きているということの
しかし、瘴気とは人間にとって毒でしかない。教えられずとも、近寄ってはいけないと本能にすり込まれているレベルの猛毒だ。なんの準備もなしに瘴気の中に放り込まれたなら、良くて発狂、悪くて死に至る。最悪の場合は、
これは恐らく――最悪のケースだ。
だが。
「……坊ちゃん。アレは、なんですか? 人間が瘴気にあてられることがあるのは知ってます。知っていますが、言葉を話せるほどの知性が残っているなんて、聞いたことがありません。僕たちに襲いかかってこないのは、
脳内で取っ散らかっている情報を、口にすることでまとめようと試みた。しかし、言葉にすればするほど、理解ができなくなっていく。どんどんと、わけのわからないいきものになっていく。
「なにって。お前が言ったとおりだろ? 瘴気にあてられて人間やめた子供たち。そして、ここら一帯の瘴気の正体だ」
普段と変わらぬ口調で言いながら、少年は一度納めた得物を静かに鞘から抜き放つ。彼がなにをするつもりなのかがわかって、眼鏡の青年は声をかけなければ、と思った。思ったが、自分たちがなにをしにここへきたのかと自身に言い聞かせ、踏みとどまる。
メビウスは、手にしたちからをいたずらに振りかざすような真似は決してしない。
それを抜いたということは、ウィルがなんと言おうと終わらせる覚悟ができているということだ。
まだ線の細さが残る少年の外見に騙されそうになるが、彼のほうがずっと場数を踏んでいる。もっとひどい状況もあったかもしれない。決断をせまられることもあったかもしれない。膨大な時を生き続けている少年が決めた覚悟を、誰が覆せよう。
だから。
ウィルは口を閉ざし、見守る決断をした。せめて目を逸らさず、終わりを見届ける決断を。
「エイジアシェルの名を以って、真の姿を開放する」
歩きながら、呟くように詠唱。
「全てを浄化せよ――神器・ブリュンヒルデ」
ちからが解き放たれる瞬間、メビウスは剣を持つ右腕を一気に真横に薙いだ。解放とともに弾けた膨大な浄化の光が、圧倒的なちからで渓谷を塗りつぶしていく。瞬く間に、滞った瘴気は吹き飛ばされた。
きらきらと、幻想的に星屑が舞う。
「…………」
真のちからを解放したブリュンヒルデは、すでに小振りの剣に戻っている。瘴気を感じられない場所では、本当の姿をたもつことができない。いまの一振りで、瘴気だけではなく、魔獣の死骸もそれに群がる子供だったものたちも、すべてを吹き飛ばしたのだ。
メビウスは元に戻ったブリュンヒルデを鞘に戻して、動くものがいなくなった渓谷を眺めた。しばらく沈黙が流れたが、ウィルには彼にどんな言葉をかければいいのか、やはり思いつかない。
瘴気にあてられていたとは、いえ。
元に戻る方法がないのだとは、いえ。
永い時を生きる少年は、幼い子供たちの命を、一瞬にして消し去ったのだから。
子供たちがこのまま瘴気にまみれた谷底で生きていたとして、そこには地獄しか待っていないのは目に見えている。だからと言って、メビウスが死を以って彼らを解放したのだと――救ったのだと、そんな薄っぺらな綺麗ごとはかける気になれなかった。否、かけられるわけがない。
沈黙を破ったのは、メビウスだった。
「地面を泳ぐ魚型の魔獣に、知性の残る魔人……か。さすがにこりゃあ、
面倒そうにぼやき、ウィルへ苦笑を向ける。その顔は、青年がよく知っている少年のもので、特に変わったところは見受けられない。遺跡でわずかな弱音をこぼしたときと違い、無理をしている風でもない。嫌な役目を買って出たのだからと言葉一つかけるのをためらっていたことが正直、肩すかしを食らった気分でため息をつく。
「……そもそも。魔族が出た時点で報告するべきでは? というか、していなかったんですか」
「うーん……まあ……」
曖昧に相槌を打って目を逸らす。この反応は、忘れていただけだろう。
「メビウス坊ちゃん。魔族が現れたというのは、人間界にとって共有しなければならない最優先事項だと、
わざとらしく、僕は、を強調し、ウィルはさらに言いつのる。
「そういえば、
これでもかというほどのアクセント。少年はどんよりと肩を落とすと、じとりと半眼で眼鏡の青年を見上げた。
「戻ったら全部連絡するよ。連絡すっから、包帯よこしてくんねーかな」
降参、とでもいうように肩の辺りまであげた両手は赤くしとどに濡れていた。
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