6・当たり前の生

「それでは、本来の本棚への道を開くぞ」


 ルシオラは遺跡の中央に立ち、装飾の少ない右手を真横へ突き出した。その手の先に小さな魔法陣が現れ、中から金色の杖が具現する。杖が魔女の手に収まるのと同じくして、大胆に開いた背には光の羽が広がった。

 彼女の変化と呼応するように、足もとに巨大な魔法陣が浮かび上がる。小さな家程度なら飲み込んでしまいそうな大きさの魔法陣のそばで、ルシオラは杖を水平に構え詠唱を開始した。


「資格無き者は立ち入る事を禁ず――。彼の地に或るは全ての記憶。我は資格在りし者。我が名を以って、泡沫の記録パーフェクト・メモリアいざなえ――我が名は、ルシオラ・ウルズ・アーキファクト」


 杖を右手で持ち、トン、と軽く魔法陣を叩いた。

 瞬間。

 魔法陣が眩い光を放ち、ソラは咄嗟に目をつぶった。閉じていても、まぶたの裏に伝わるほどの白い光が辺りを覆う。その光をなにかの影が遮り、少しだけ弱まったのを感じてソラはゆっくりとまぶたを持ち上げた。


「……ッ!」


 光の中にあるものを見て、ソラは息を呑んだ。少女だけではない。ウィルも、目を見開いて固まっている。メビウスは知っているのだろう。一番離れた場所で、冷めた瞳で眺めていた。

 魔法陣の光が収束して消えていく。眩しさに阻まれて、よく見えなかったものがはっきりと姿を現した。

 木漏れ日が、四人に暖かく降り注ぐ。


「……これが……道?」


 を見上げ、ウィルが呆然と呟いた。

 魔法陣が展開した場所に在ったものは、渓谷の中ほどまでの高さを誇る、巨大な樹である。枝は崖同士を繋げるほどに広がり、その幹は四人が手を繋いでも届かないだろうほど太い。

 金色の杖を手を振るだけで消すと、ルシオラはソラを呼んだ。


「さて、ここからが本番だ。行こうか」

「……え」

「私の手を放すなよ」


 魔女の忠告に、慌ててソラはぎゅっと彼女の白い左手を握る。彼女の手を握りしめながら、少女は少年のほうへ振り向いた。

 同時にルシオラは右手を大樹の太い幹にそっと触れる。刹那、魔女の光の羽が世界を白く塗りつぶすほどの光を放ち、ソラの視界を埋めていく。

 だから。

 そのとき、メビウスがどんな表情をしていたか、彼女には知ることができなかった。








 大樹の中は、本当に本棚だった。

 見渡す限り続く本棚の列。無機質な白い空間に、規則正しくどこまでもそびえ立っている。棚の中はどれもみっしりと埋まり、巻数もきれいにそろえて並べられていた。本がないのは唯一、うっすらと白く発光する床だけであろう。だがその床にも本棚が映り込み、まるで下にも本棚があるように錯覚してしまう。

 あまりの光景に、ソラは一瞬で圧倒された。


「……これ、全部、本……」


 近づいて本を一冊、手に取ろうとした。すると背表紙がざわめき、文字が認識できなくなってしまう。いまのいままで読めていたはずの文字が、いったいなんと書いてあったのか思い出すことすらできない。


「これは、本であって本ではない。言うなれば、情報のかたまりだな」


 言って、ルシオラも本を取り出そうと手をかけた。背表紙がぐにゃりと歪み、金色で書かれた題名が逃げるように歪んだ背表紙から抜け出ていく。


「あ……」


 逃げた文字を追って、伸ばした指先に別の本から流れ出した文字が一瞬止まる。黒い文字はカラスアゲハのように光をまき散らしながら、ソラの指から飛び立った。

 周りを見渡してみれば。

 いつの間にか本棚は消失し、辺りは逃げ出した文字たちでいっぱいだ。たくさんの色、見たことのない形をした言語たちが、吸い寄せられるように同じ方向に向かっている。中身のなくなった本たちはばさばさと床に積み重なっていく。


「素晴らしいだろう! この文字がすべての記憶でありすべての記録。ここで暮らしていた神族たちが残した、だ」


 魔女は芝居がかった動きで両手を大きく広げると、文字の舞う白い空間をぐるりと一回転する。楽し気に笑う姿は、不思議とこの場に似合い過ぎるほど似合っていた。ソラは手持無沙汰になり、床に落ちた本を拾い開いてみる。表紙はもちろん、中身にもなにも書かれていない。ただ真っ白なページが続くだけだ。


「それはただのダミーだよ。元々なにも書かれちゃいないのさ」


 では、行こうか、とルシオラは口にして文字の向かう先へと歩き出した。空色の少女も小走りで後を追い、横に並ぶ。

 聞きたいことは、たくさんあった。








 待ってる、とは言ったものの。

 神族のちから――特に思念が強く残っている場所では、本当に自分はなにもできない。

 それを痛感し、メビウスはブリュンヒルデを抱えて座り込んだ。正直なところ、戦うことすらできない状況では、ある意味魔族よりも厄介である。


 右手のひらに包帯を巻いてもらいながら、左手で右腕に残る火傷の跡をそっとなぞってみる。下から上へぱっくりと裂けたり水ぶくれになっていた皮膚は、引き攣れながらもくっついていた。ぼこぼこと波打ちながら蛇が絡みつくかの如く、両腕ともに手のひらから肩にかけて大小かなりの数の傷が残っている。だが、もう触ったところで痛みはない。

 ここまで酷い傷跡が残るのは初めてだった。もっと重傷の手のひらは、これ以上に跡が残るのだろう。

 しかし。

 それも、一度死ねばなにごともなかったかのように消える。


「その傷跡は、時間をかければきれいになりますよ。今は治ったばかりだから残っていますが」


 メビウスが触っているのを見て、ウィルは気にしていると思ったのだろう。気にはかけているが、青年の考えているものとは違う。だから、半分正解で半分不正解だ。


「……そっか」


 まだ血の滲む両手の処置を的確に終え、ぱさりと少年の上着が肩にかけられる。なにも言わずに袖を通すと、またブリュンヒルデを抱えたまま膝を抱えて丸くなった。案外本当に、傷跡が残る腕を見せたくなかったのかもしれない。


「……本当に無茶しかしませんね、坊ちゃんは」


 呆れた声で言うと、メビウスの横に座り込む。少年は一瞬だけ、迷惑そうに眼鏡の青年を見た。


「しょーがねーだろ。喰われるってわかってる子を見捨てろってか?」

「そうじゃありません。怪鳥ルクを倒しておりてくる選択もあったのに、なぜわざわざ無茶なほうを選ぶのかと思いましてね」


 ああ、とメビウスは表面上薄く笑った。


「怪我人がいるんだ。最短距離を選ぶのが当たり前だろ」


 表向きの返事をし、少年は再度黙り込む。

 本当は。

 ただの、エゴだ。

 入り口で、昇降機に拒まれてから抑えきれなかった、自分を認めさせてやるという思い。

 緊急避難時に叫んだ、文字盤に叩きつけたもの。

 

 怪我人がいたから、言い訳ができる。

 ちょうど、良かった。

 一瞬でも、そう考えていた自分がいなかったかと問われれば――答えは否だ。

 ぎゅっと袖をつかんで、少年は組んだ腕の中に顔をうずめる。治り切らなかった傷跡が、ぴりぴりと引きつれるような痛みをこぼした。袖を握るちからを込めれば込めるほど、包帯の巻かれた手のひらに袖ごと爪が食い込んで鈍い痛みをうんだ。

 痛いのは、生きているから。


「坊ちゃん。無理、してませんよね?」

「……無理してるように見えるか?」

「質問に質問で返さないでください。ついでに答えるなら、見えます」

「お前さー……。ほんと遠慮なく言うよな」


 顔を少しだけあげ、じとりと青年をねめつける。そんな少年の表情は、少しだけ拗ねているようにも見えた。

 メビウスは腕に顎を乗せ、ぽつりと言った。口元には、自嘲めいた笑みが浮かんでいる。


「……無理ならしてるさ。ずっとずうっと無理してるよ」

「…………」

「無理でもしねえと、二千年も生きてられねえんだ」

「……雨でも降りますかね」


 普段なら嫌味に突っ込みをいれるなり反応を示すところだが、少年は見向きもしなかった。一度、ゆっくりと瞬きをすると、その言葉を口にする。


「オレは、最近……死ぬのが、怖い」


 どーせ生き返んのに、おかしいだろ? とへらっと眉尻を下げた。ウィルは真面目な顔でたっぷりとメビウスの顔を見つめると、はあ、と身体中を使ってため息をつく。


「死ぬのが怖いのは、ひととして当たり前です。今更そんなことがわかりましたか」


 半眼で少年を見下ろし、とどめの言葉を放つ。


「馬鹿だとは思っていましたが、あえて言います。馬鹿ですか、坊ちゃんは」

「おま……。オレは真面目に」

「ええ、大真面目ですとも。大真面目に言ってるんですよ」


 ウィルの言いたいことがわからず、メビウスは口をつぐんだ。


「人間だけじゃありません。死ぬのが怖いのは、いきものとして当たり前です。神族も、魔族も関係ない。死はどんないきものにも等しく訪れる――。生を受けたらいつかは死ぬ。こんなこと、子供だって知ってます。死にたくないって気持ちは誰だって持っています。そんな当たり前を今更口にするから、馬鹿だって言ってるんですよ」

「でも、オレは――」

「死んでも生き返る。だけど、それはいつまでですか? 次死んだら、必ず生き返ると言えますか?」


 ウィルの剣幕に押され、メビウスは言いかけた言葉を飲み込んだ。散々見慣れたはずの青年の顔が、初めて見る表情を浮かべている。本気で――心の底から怒っている。


 ――それがどうして、いまじゃないってわかるの?


 空色の少女の言葉が思い出される。

 ソラも、初めて怒りをあらわにしたとき、同じようなことを言っていた。あのときは、ソラに心配されたくなくて調子を合わせた覚えがある。

 眼鏡の青年は、いらいらと暗緑色の髪の毛をかき回しながら続けた。


「この際だから言ってしまいますけどね。僕は、ブリュンヒルデが嫌いです。伝説では命をかけて魔族を封印した悲劇のお姫様、みたいに言われてますけどね。ふたを開けてみたら、関係のない赤ん坊と実の娘を巻き込んでずっと縛り付けている、ただそれだけの女です。自らが鍵になれないのなら、鍵なんてかけるべきじゃなかった。封印するだけで良かったんです。それだけでも、じゅうぶんだったはずでしょう」

「……だけど、それじゃあオレは当たり前がわかる前に死んでたよ」


 静かな少年の声に、ウィルははっとして彼を見た。メビウスは、普段通りのへらりとした軽い笑みを浮かべて、青年を見つめている。


「確かに、二千年は長いよ。無理して色んなことを諦めてそれでも死ねないから、生きてくしかない。でもあのまま死んでたら、オレはここにいなかった。ルシオラにも、ソラちゃんにも、お前にも、誰にも会えなかった。それは、つまんねえなって思う」


 静かに言葉を紡ぎ続ける少年に、今度はウィルが口を閉ざす番だった。


「ブリュンヒルデがなにを考えていたのかなんてオレにはわかんねーけど。オレは、嫌いになれないんだ、あいつのこと。それこそ、なんでかわかんねーんだけどさ」


 にしっと笑って頭をくしゃくしゃと掻く。ただでさえあちこちに跳ねている金髪が、余計に好き勝手飛び跳ねた。


ブリュンヒルデこいつのお陰で、痛い目には合うしソラちゃんとは一緒にいれないし。今だって散々な目に合わされてるんだけどなあ。ほんと、なんでだろ」

「……さあ。馬鹿だからじゃないですか」

「お前な、さっきから黙って聞いてりゃ何回ひとのこと馬鹿って言えば気が済むんだよ。いいか、オレがいなかったら、お前だってルシオラに会えてねーんだからな」

「な、なんでそこでルシオラさんが出てくるんです」


 面白いほど動揺した青年を楽しそうに見やり、「さあ?」と返事にもならない言葉を口にする。ウィルの怒り任せの告白が効いたのか、先ほどとは打って変わってすっきりした気分になっているのがわかり、メビウスは心中で嘆息した。結局、自分のことをよくわかっているのは、仏頂面の眼鏡の青年なのだ。それがなんとなく悔しくて、彼の弱い部分をつついてみたり。


「死ぬのが怖いっていうのはさ……。ソラちゃんの、泣きそうな顔が見たくなくてだな、実際に死ぬことが怖いってわけじゃねーんだ。あんまりあーゆーの、慣れてなくて――!?」


 最後まで言わずに口を閉じる。 

 いま、風に乗って一瞬流れてきたのは。

 を感じ取り、二人は顔を見合わせた。


「今のは……」

「瘴気、だな」


 すでに少年は立ち上がり、朱の瞳は遺跡を抜けてもなお続く渓谷の奥へと向けられている。


怪鳥ルクが移動してきた原因がわかるかもしれねーな」

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