5・修行の成果

 雷が、落ちたような音がした。

 否、実際になにかが落ちたのだ。

 最深部で座り込み、壁にもたれているソラ、興味津々と辺りを探索していたウィル、そんな二人を面白そうに見つめていたルシオラ。三人が三人とも、音のしたほうを向く。一番右端の、小さな扉だ。

 一瞬の静寂ののち、文字通り扉が蹴破られる。内開きのはずの扉は留め具ごと見事に外れて小さく吹き飛び、がらんと無機質な音を立てて転がると辺りを砂埃が舞った。


「……坊ちゃん」


 いつでも得物を抜けるよう、手をかけていたウィルが安堵半分、驚き半分と言った声音で呟く。

 中から荒い息をついて現れたのは紛れもないメビウスで、更に少年は見知らぬ少女を抱えていた。

 彼の朱の瞳が宙をさまよい、ウィルの顔で止まる。


「……ウィル。この子の、手当てを頼む」


 言いながら、岩壁を背にしてずるずると座り込んでしまう。少女を受け取り素早く状態を確認しながら、メビウスの容体も気になってしょうがない。一体なにがあったのか、身体中火傷だらけだ。


「ぼろぼろじゃないですか。なにがあったんです? この子は――」

怪鳥ルクの餌にされるところだった。一応止血はしたけど、血がかなり……ッ」


 最後まで言えず、咳きこんだ。押さえた口の端に赤いものが見えて、青年はどうしたものかと眉を寄せる。そんな青年を見上げ、少年は彼の勘違いを悟りへらっと笑った。


「あー……。、違うから。からついた血です」


 一応対処したんで、怪我したのは外側だけです、と続けて両の手のひらを見せる。ずるりと生皮が剥がれた真っ赤な手のひらを見てウィルはぎょっと目を見開く。こっちだろうがあっちだろうが、どう見ても重傷ですと口を開きかけたときだった。


「……メビウス。全然、大丈夫じゃない」


 やけに冷たい声で割り込んだのは、ソラだ。岩壁に身体を預けていたメビウスは、びくっと肩を跳ねさせて身体をぴんっと伸ばす。その様子を見て、ウィルはそっとその場を離れた。


「……えーと、ソラちゃん?」

「歩いておりる方が安全。結局歩いておりてこなかったし、火傷だらけだし全ッ然安全じゃない」

「あのね、ソラちゃん。これには、深いワケがありましてですね」


 しどろもどろで言い訳をしようとする少年を、空色の少女はじとっとねめつけた。あ、これ、もしかして、怒ってる? 怒らせました? とメビウスが自問自答していると、肩口にオオハシが現れる。不死鳥が拠点以外で具現化するのは珍しい。


「坊ちゃんが馬鹿なことしたのは確かだけど、今回は仕方がなかったの。あの女の子を助けるために、時間がなかったのよ」


 大きなくちばしを器用に動かして、上でのことを語る。聞いていくうち、ソラの眉が少しずつ下がっていき、聞き終えるころにはすっかり頭まで項垂れていた。心配が先走り、まるで怒っているように接してしまった自分に気落ちしているらしい。


「……えーと、ソラちゃん?」


 さきほど口にした言葉とまったく同じセリフを口にして、メビウスは少女の顔を覗き込んだ。長い前髪が垂れ、表情はよく見えない。


「あー……。まあ、元気、だし」


 ははは、と乾いた笑いが勝手に口からこぼれ出た。


「……ごめんなさい。わたし……あの」

「え? いや、まあ、実際安全じゃなかったわけだし」


 なぜ謝られたのかわからず、少年は乾いた笑いを浮かべたまま頬を掻いた。搔いた部分が赤く染まり、ソラはがばっと顔を上げるとメビウスの手首を握って自分のほうへと勢いよく引き寄せた。


「わあッ!? な、嬉しいけど、ええ……?」


 避けようとしたメビウスの身体を、中腰になって強引に抱きしめる。少女の華奢な手が背中に回され、さらりと一筋空の色を映した青銀の髪が肩から滑り落ちた。観念したのか、少年は引きはがそうとした手をおろして身を任せる。

 ほどなく、くすぐったいような肌が粟立つようなぞわりとした感覚が身体中に流れた。ソラの触れている箇所を重点的に感じるこの感覚は、初めてではない。上着を小さな身体が少しでも冷えないようにと子供にかけたため、むき出しになっている二の腕に視線をおろす。魔法で多少護っていたとしても、ブリュンヒルデを握っていた手のひらと無防備な両腕は特に火傷が酷かった。真っ赤なミミズ腫れがあちこちに走り、ところどころ皮膚も裂けている。


 その傷が。

 むず痒い感覚とともに、じわじわと塞がっていく。破裂する前の水疱は小さくしぼみ、裂けた皮膚は剥がれ落ち、滲んでいた血は新たな皮膚によって止まる。熱を持った身体も、徐々に落ち着きを取り戻す。全身を覆ういかんとも言い難い感触は、ソラのちからによって自分の治癒能力が強引に引き上げられているために細胞が活性化しているからだろう。普段なら、ゆっくりと時間をかけて起きるべき現象があり得ないスピードで起こっているため、皮膚がざわめいているように感じるのだ。

 しばらくの間、少女は少年をそのままの姿勢で抱きしめていた。彼女の細い腕からちからが抜けたのを感じると同時に、ソラの身体が起き上がる。離れ際、少女の手の甲に青い魔法陣が浮かんでいるのが太陽の瞳に映った。


「なるほど。それがお前の回復魔法か」


 いつの間にか近くでまじまじと観察していたルシオラの声に、ソラははっとして振り向いた。集中が途切れると、子供の怪我を的確に処置しながらもこちらへちらちらと送られてくる視線も痛いほど感じる。


「……ふむ。いまはこれで精一杯、といったところだな」

「いて! なにすんだよ!」


 遠慮なく腕を持ち上げられ、ぼろぼろになっていた手のひらを触られた。表皮がほぼ剥がれ落ち真っ赤に焼け爛れていたそこは、うっすら手相がわかるほどには皮膚が再生している。が、ところどころまだぐずぐずに血が滲んでいた。


「腕の傷は塞がっているが、痕は残っているな。自己回復力を底上げする……なるほど、これが人体に使用した場合の結果か」


 ぶつぶつ呟きながら、興味深そうに腕や手をひっくり返したり傷痕をなぞってみたり好き勝手いじっている。生皮を剥いだり爪を剝がしたりするのは、古来からの拷問でもよく用いられるほどなのだから、痛くないわけがない。いくら少年が痛みに強いとはいえ、痛いものは痛いし無遠慮に触れられれば激痛が走る。さすがにメビウスが尖った視線で思い切り睨みつけるが、魔女はまったく意に介さずだ。


「いってえーんだよッ! もーちょっと遠慮しろッ!!」


 悲鳴に近い怒声をあげて、少年はルシオラから腕を引きはがすとそのまま勢いで立ち上がる。肩に止まるオオハシがバランスを崩してばさばさと騒いだ。ここに着いたときより傷は治っているはずなのに、無駄に消耗した気がするのは多分間違いじゃないだろう。大きく肩で息をつきながら、メビウスは少女のちからを借りてもまだ熱を持ったままの手のひらをふーふーと冷やした。


「なんだ、大袈裟だな。それにしても、ソラのちからは面白い」

「ルシオラ、お前ソラちゃんになに吹き込んだんだ!」

「……違うの、わたしから頼んだの」

「……へ?」


 せっかく冷えた身体がまた熱を持ちそうなほど騒いでいた少年が、ソラの申し訳なさそうな言葉を聞き、間の抜けた一言を発して固まる。


「なんで? なんでソラちゃんが?」

「わたし……。ちからになりたかったから。思い出したかったから」


 ぎゅっと白いスカートを握りしめ、泣き出しそうなほど真剣な表情で言われればメビウスはなにも返せなかった。泣き出しそうな顔をしているのに、夜空色の瞳には強い意思が灯っている。それに気が付き、困ったように目を逸らすと腕を組んで小さくため息をつく。


「……最近、部屋にこもってた理由ってこれ?」

「使いたいときにちゃんと使えるように、練習を……。まだ、あんまり上手くできないんだけど」


 少女の返答にメビウスは上を見ると、はあーっと大きく息を吐きだした。この谷に来てからもやもやとわだかまっていたものが、少しだけ晴れた気がする。


「……そっか。サンキュな」


 ようやっと、へらりといつもの笑みを浮かべて少年はソラの顔を真っ直ぐに見た。ぽん、と手を頭の上に置こうとして、手のひらが一番ひどい惨状だったのを思い起こすと軽く握っておろす。


「なあ。これであの子の怪我も治してやれねーかな」


 メビウスが言いながらウィルを見やる。処置が終わったのか、青年は少女を抱えてこちらへ歩いてくるところだった。ソラが返事をためらっている間に合流する。子供はきちんと包帯を巻かれ、苦しそうな呼吸も治まっている。小さな擦り傷や切り傷も、傷口まわりがきれいに拭き取られていた。


「その子供の処置はそれでじゅうぶんだろう。なあ、ウィル?」


 響いたルシオラの声はソラではなく、青年に問いかけた。問いかけられた青年も、迷うことなくうなずく。


「僕もルシオラさんに賛成です。この子にはいま、ソラさんの魔法に耐えられるちからがない」

「……ん? ソラちゃんのって確か、本人の回復力を押し上げるとか、じゃなかったっけ」

「それができるだけの体力がない、と言っているんですよ。すぎたちからは、彼女を内側から傷つけるだけです」

「身体への負担が大きくなっちゃうんだっけ。はやく治せるなら治してやりてーけど、ウィルの治療はいつも完璧だし、無理させることはねえか」


 笑って言った少年の言葉を、ソラは複雑な気持ちで聞いていた。子供を治してやれないのには、確かにメビウスが口にした理由もある。だがそれ以上に、彼女には魔法を使えない理由があった。

 そんなソラの事情を知っているのは、ルシオラだけである。魔女はちらりとソラに視線を走らせ、おもむろにウィルが抱える子供の両目を細く長い指で塞いだ。何事かを呟くと、淡い光が眠る少女の身体を包む。手を放すとルシオラは、当然のように言い放つ。


「さて、治療も済んだことだし部外者には我々の目的が終わるまで眠っていてもらおう。なに、ここには部屋もたくさんある。休ませるにはじゅうぶんだ」

「お前な……!」

「それではソラ。本棚の真髄へ行こうか?」


 文句を言いかけたメビウスをきれいに無視して、ルシオラが楽しそうに微笑む。空色の少女は自分の名前だけが呼ばれたことに、びくりと身を固くした。


「……わたし、だけ? ですか?」

「知りたいのはお前の過去だろう? それに、神族の領域にメビウスは入れない。これを一人にするとなにを仕出かすかわからんからな」


 確かに、とうなずくウィルと、助けを求めるように揺れるソラの瞳。双方を朱の瞳に捉えて、少年はしばし逡巡する。

 もちろん。

 一緒に行けるのなら、ついて行きたい。そのためには、ブリュンヒルデを置いて行けばいい。遺跡の最下層で、なにかが起こるとは到底思えない。


 ――だけど。

 少年は一瞬顔を伏せ、両手をぐっと握った。治り切っていない傷が熱を持って痛みを訴える。

 これ以上、なにかがあったら。

 メビウスは顔を上げ、少女の大きな瞳を真っ直ぐに見た。決して交わらぬ太陽と夜空が交錯する。


「ルシオラに任せれば大丈夫だよ。オレはここで待ってる」

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