4・名乗り

 子供を抱えて扉を蹴破り、端の部屋に転がり込む。激昂した怪鳥が細い首を扉から突っ込むが、翼が邪魔でそれ以上身体は奥へはいらない。だが怪鳥は諦めず、巨大な両脚を強引に入り口にかけ、力任せに壁をぶち破ろうとする。斬られた付け根から血が噴き出すが、それどころではないほど頭に血がのぼっているようだ。容赦なく首を伸ばし、がつんがつんと分厚い胸ごと扉を壊そうと躍起になる。これが普通の建物なら、簡単に壊されていただろうが、ここは強固な岩盤をくりぬいて作った住居だ。そう簡単に壊れるような代物ではない。


 メビウスは、狭い部屋の中で長い首の猛攻を避けながら奥の部屋へと飛び込んだ。部屋の入り口は扉がついているわけではないが、さすがにそこまでは怪鳥の首も届かない。部屋の半分ほどが土で少し盛り上げてあることから、寝室かなにかだったのだろうか。ひとまず子供を寝床らしき床にそっとおろして様子をみる。

 怪鳥に捕まったときに抵抗したのだろう。引きずられてできた擦り傷や切り傷が膝や足、手のひらに何個もあった。しかし、それらの傷は転んでもできる程度の傷で、特に問題はない。


 問題は。

 巨大な脚に、鋭い爪に抉られた両脇腹の傷。

 怪鳥が欲しかったのは生きている餌だ。だから、握りつぶすような真似はしない。それでも、せっかく捕らえた獲物が逃げ出さないよう、がっちりと掴んでいた。幸い、見た目ほど深い傷ではないようだが、だからといって楽観視できるような怪我ではない。爪が外れたことによってじわりと流れ出した血がにじんで止まらず、幼い子供の身体は確実に体温を失いつつあった。


 考えている暇はない。メビウスは少女の着ている白いワンピースの裾部分を破ると、血が滲んでいる箇所に押し付けた。両脇腹に押し付けると、子供が顔をしかめて小さく呻き声をあげる。痛いってことはまだ大丈夫、と少女と自身に言い聞かせながらメビウスは首だけ巡らせて床を睨む。


「……確か」


 以前本棚にきたとき。ルシオラが言っていたことを思い出しながら、メビウスは部屋の隅々まで目を凝らして懸命にあるはずのものを探す。それを頼って部屋の中に飛び込んだのだ。もし見つからなければ、怪鳥を倒して進むしかない。

 以前ルシオラは言っていた。本棚は表向き人間界に合わせて作った神族の街だが、本当は神族しか入れない神族の街でもある、と。あちこちに隠された昇降機の乗降口のほか、崖をくりぬいて作った表向きの部屋の中でなにかが起こった場合、必ず脱出できるように非常口が用意されているはずだ、と。


 ――起動させなければなにも起きないとは思うが、万が一ということもある。お前は特に気を付けて歩け。


 何度も何度も、釘を刺された。ブリュンヒルデを持っているせいで、そのちからを使役しているおかげで、彼には神族の街の仕掛けが見える。しかし、そのためにメビウスはメビウスとして認識されない。あくまでも、ブリュンヒルデとして認識されているのだ。

 生きているいきものが、まったく残っていないから。

 残留思念だけが残っているから、彼らには今が見えていない。記憶の中の感情だけで留まっている。時間が、止まってしまっている。


 だから。

 自分勝手に平和な時間を壊した、ブリュンヒルデ大罪人が許せない。


「……ん?」


 部屋の奥の奥。机でも置いていたのか、朽ちた木片が散らばっている。木片の影に、不自然な線が見えた気がして、少年はもっと目を細める。

 均一の太さで描かれた線は、一本ではない。木片の下に何本か重なって走っている。苦し気に目を閉じる少女の顔をちらりと見、メビウスは静かに押さえていた布から手を離した。が、温かい血は一気にあふれ出るようなことはなく、少年はとりあえずほっとする。怪鳥もいまだ首を突っ込んだままではあるが、先ほどのようにむやみにくちばしを突っ込んでくることはなくなった。どうやら入り口に陣取り、長期戦の構えである。


 メビウスは背負った剣をベルトごと外すと、静かに線の描かれたエリアに近づいていく。線の上に落ちている木片を鞘に入ったままの剣で避ける。閃光が走るかと思ったがなにも起きず、大きなため息をほおっとついてしまった。自分で思っていたよりも緊張していたようだ。

 木片を避けた下には更に曲線が描かれていて、どうやら複雑な図形が隠されているのが見て取れる。つまり、当たりだ。


 ブリュンヒルデで触ってなにも起きないということは、起動していないということだ。が、念には念を入れ、メビウスは剣を慎重に立てかけて木片を避け、陣をあらわにしていく。

 あらかた片づけ終わったあとで浮かび上がったのは、小さいが人間が使う魔法とも禁呪とも違う言語の用いられた魔法陣だった。おそらくは、古代の神族が使用していた言語。神族が神界に帰り、自動的に廃れていった文字。ルシオラのほか、言語学者でもなければ読むことはできないだろう。


「混沌の外に住まうものよ。我が命を喰らいて護りの障壁を成せ」


 一応、防護の魔法を編む。ふわりと広がった柔軟な障壁は、薄赤い光を放ってメビウスの身体を包み込んだ。

 少女を魔法陣の中心に寝かせて、そっと自分の上着をかける。

 立てかけてあった剣を背負い直すと、右手で得物を抜き放った。

 すうっと深く息を吸い。

 意を決して、みじかい言葉を口にした。


「……起動ブート


 彼の言葉に反応し、魔法陣が淡い光を放つ。同時に地面に突き刺した剣を通して、バチバチと拒絶のちからが駆け上ってきた。反射的に放してしまいそうになった右手を左手で包み込む。閃光は瞬く間にメビウスの小柄な身体を覆いつくし、意識すらも刈り取って行こうとする。一瞬視界が白く弾け、そのまま暗転しそうになるが、悲鳴を飲み込み歯を食いしばって唇を噛み切ることで意識をつなぐ。痛みで強引に引き戻したお陰で意識がより鮮明になり、身体中を苛む拒絶の魔力が与える痛みが、脳内に直接響くかのような呪詛の言葉が少年を内外から苦しめる。


 しかしこれは。

 すでに何度も経験済みだ。なにが起きるか知っていれば、覚悟も我慢もできる。知っているからこそ、かろうじて役割を果たしている防護の術もある。長い時を生きてきたメビウスにとって、それは自然に備わった防御反応なのだろう。


『ブリュンヒルデ……ッ!』

『お前のせいで……。お前のせいで私たちは』

『なぜ顔を出せるの? 神族の恩恵を受けようなどとなぜ思えるの?』

『どうして存在していられる? 世界の禁忌を犯したお前が!』


「……毎度毎度、同じ言葉ばっかりよく飽きねえな……ッ」


 少しでも気が緩めば、身体に与えられ続ける苦痛に、脳内で喚き続ける呪詛の言葉に叫びだしてしまうだろう。喉の奥から絞り出したメビウスの言葉に、呪詛は一向に耳を貸さない。

 怒りも。

 泣き言も。

 思い描いていた夢まで。

 ありとあらゆることを、自分勝手にブリュンヒルデに向かってぶつけるだけだ。彼らの中に、今ここで体を張っている少年はいないのだ。


 だから。

 彼も、耳を貸さない。

 剣を握り続ける少年の両手はもうぼろぼろだ。手のひらの皮はぐずぐずになり、少しでも動かせばずるりと剝がれてしまうだろう。


「……残留思念あんたたちが魔力でしか判断できねえのは知ってる。知ってるが、これだけは言わせてもらうぜ」


 文字盤が、浮かび上がる。

 古代の文字で記されているのは、ほんの一行。

 手にしたブリュンヒルデのおかげで、読むことが可能な文字。


 ――緊急避難を、開始しますか?


「オレは、ブリュンヒルデじゃねえ! メビウス・エイジアシェルだッ!!」


 押し殺していた思いを、痛みごと呪詛の言葉を吹き飛ばすようにありったけの声で叫ぶ。大声で誰も聞かない名乗りをあげた少年は、血だらけの手のひらを振りあげ、ばんっと思い切り文字盤に叩きつけた。

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