3・怪鳥との攻防

 寄り道のあと、ドームの中はやけに静かだった。魔法というより機械を思わせるヴィィーンという作動音がやたら大きく響く。古代好きの青年も、なんの代わり映えもしない景色に慣れてしまったのか、押し黙って外を眺めている。

 空色の少女も、同じように黙って外を眺めていたが、その胸中は少しだけほかの二人と異なっていた。


 ここは、なんだか好きになれない。


 無機質な白い空間も、外の世界とは似て非なる移動中の景色も、なにもかもが寒々しく映る。いきものがまったくいないのに、システムだけが生きているというのもまた滑稽だった。


 メビウスが――ブリュンヒルデがここに入れないのは。

 彼女もまた、ここを否定しているからだ。

 少年の、あたたかく強い魂を気に入っているからだ。


 ルシオラはここをと言った。神族の暮らす神界を模したものという意味だろうが、神界がこんな場所だとしたらソラは行きたくないと思う。少年の持つ剣に宿るものが否定するのも、じゅうぶんうなづけた。


 わたしは。

 わたしは、あたたかい場所で、暮らしていたい。

 冷たいところは、


 ――それでいい。


「……ッ!?」


 ほくそ笑む声が聞こえた気がして、少女ははっと息を呑む。きょろきょろと辺りを見回し、せわしなく動く瞳はいつの間にか昇降機の真ん中で文字盤を操る魔女に行きついていた。


「どうした?」

「……え? あ……」


 ソラに見つめられて、ルシオラが怪訝な顔をする。なぜか少女は声のことは言い出せず、返事に詰まって目を伏せる。そんな少女の様子を見て、ルシオラはさらに首を傾げた。


「……? なんだ? まあいい。到着だ」


 切れ長の瞳を弧の形に戻して、魔女は文字盤を操作する。乗ったときと同じ側の扉がスライドし、日の光が差し込んだ。ソラが逃げるように外におり、青年も乗ったときと同じように忙しく視線を動かしながらドームを出る。久しぶりに感じる地面の感覚に少し戸惑いながら、ウィルは空を見上げた。

 本棚は途中からもう、霞んですべては見えない。青い空だけが、切り取られたようにぽっかりとそこにある。


「ここは……本棚の、渓谷の最深部ですか」


 感嘆の息をつきながら言ったウィルの言葉を、ルシオラは妖艶に微笑んで肯定した。







 怪鳥ルクは子供をぶら下げたまま、少年を威嚇するように鳴いた。翼長はゆうに五メートルを超しており、最大クラスなのが容易に知れる。鷲のようなシルエットだが、全体的に黒い身体とはっきりとした白い頭。鮮やかな黄色いくちばしと脚。親鳥、つがいのオスが餌を持って帰ってきたのだ。

 飛び立つときは大変だが一度その身を宙に浮かべてしまえば、彼らは大柄にしてとても俊敏である。空が飛べるというアドバンテージを最大限にいかし、人間には想像もつかない動きを簡単にやってのけるのだ。


 怪鳥の様子を見てこようかとは言ったが、倒すとは言っていない。余程の理由でもない限り、元々メビウスにはそのつもりはなかったのだから。

 だがこれは、どうみても余程の事態だろう。子供の生死は不明だが、たとえ死んでいたとして見て見ぬふりはできない。

 子供はソラのような簡素な白いワンピースを着ていることから、女の子であるように見えるが、遠すぎて判断がつかない。どちらにせよ、鳥のもとから救い出さなければと、少年は頭をフル回転させる。子供を確保するか確実なチャンスが訪れない限り、剣は使えない。子供ごと谷底に落ちる危険性があるからだ。


 どうする?

 考えろ。

 考えろ。

 焦れば焦るほど、なにもアイデアは浮かばない。

 瞬間、吹き上がった身体が持っていかれそうなほど強い谷風に、ぐらりと身体が傾ぐ。踏ん張った足もとから、からりと小石が音を立てて落ちていった。

 ぐらり――と?

 少年は、怪鳥を見据えてへらっと笑った。まるで、挑発するように。


「混沌の外に住まうものよ。我が命を喰らいて安寧の刹那を生み出せ」


 メビウスの言葉に応え、彼の足もとに赤い大きな魔法陣が出現する。少年の様子をうかがっていた巨大な鳥は、その光景を見て本能的に悟ったのだろう。なにか、よくないことが起きる、と。

 怪鳥は旋回をやめ、翼をたたむと急下降を始めた。迎え撃つべく、メビウスが言葉を重ねるたび、魔法陣も二重三重と増え、輝きを増していく。


「其は光。そして闇。幻と夢に飲まれて眠れ――。偽りの楽園ナイトメアエデン


 その声が聞こえたのは、ちょうど怪鳥が魔法陣の光の上に顔を突っ込んだときだった。赤い光が一際強く輝き、鳥の細い首をすり抜けて上空へ消えていく。

 ただ、それだけ。

 派手に魔法陣を展開した割には、あまりにあっけない発動。黒い鳥は、なにごともなかったかのように少年に体当たりするかに見えた直前。

 鳥は唐突に進路を変え、上に飛びあがった。メビウスの目と鼻の先を、黒い羽毛がかすめ、太い脚が少年にぶつかりそうなほど近づく。瞬間、メビウスは巨鳥の黄色い脚につかまり、ひょこっと鉤爪のついた指の上に飛び乗った。それなのに、怪鳥はまったく気付く様子がない。


 鳥は――そう。

 いまは、からだ。


「女の子ってのはなんでこう、空からやってくるのかね」


 反対の脚につかまれた子供の胸がかすかに動いているのを確認しながら、独りごちる。鳥は上昇をやめ、ふらふらと不安定に旋回していた。と思うと、今度は脚を前に出して扉のついた壁へと向かう。両脚を前に出した着地の姿勢にはいり、メビウスは一度だけ剣を振るった。少女をしかととらえている脚の根本、腿の筋肉を斬られ、怪鳥は思わず鉤爪を開いた。少女が落ちるのと同時に、メビウスが前方に飛びおりて彼女の腰をつかむと細い足場に着地する。少女を抱えて、崖にぶつかる巨鳥のしたを素早く駆け抜けた。彼の長い三つ編みをかすって、瓦礫と共に鳥は落ちていく。


「効果は抜群なんだけど、問題はオレの魔力がカスってことなんだよね」


 ゆっくり歩きながらぼやくも、メビウスの表情には緊張感はない。自分に魔力がほとんどないことを見越しての発動だったのだから、当たり前だ。


 どの種族も持って生まれる魔力は、その量が多ければ多いほどその恩恵を受けられるわけだが、恩恵とは大きくわけて二つの役割がある。

 一つは、魔法を使える回数。もしくは、大きな魔法を発動できること。魔力とは単純に魔法の源でもあるわけであるから、持って生まれた魔力量が高いほど魔法をたくさん使えるのは道理である。


 そしてもう一つは、その威力だ。同じ魔法でも魔力が低いものと魔力が高いものが使えば、雲泥の差が生まれる。そよ風と竜巻ぐらいの差ができる場合もあるぐらいだ。


 メビウスの場合、魔力量の少なさを不死鳥フェニックスの加護によって得られた無限ともいえる生命力を代替えにして魔法を発動させる。この行為は、通常の人間が行えば命の危険も伴うため禁忌とされているが、不死鳥を身に宿す少年にとってはこれ以上最適なエネルギーはない。

 ただし、生命力はあくまで生命力であり、魔力の代わりに出来るのは使うエネルギーとしてだけだ。どれだけ大きな魔法を使おうと、その効果は術者の魔力に左右される。補助魔法や魔法道具マジックアイテムなどで底上げすることは可能だが、いまのメビウスは素のままだ。


 すなわち。


 少年の魔法で幻覚を見ていた怪鳥が元に戻るのは、予想どおり早かった。自由落下を始めていた巨鳥の目に光が戻る。一瞬慌てて羽をばさりと広げたが自分の脚に得物がいないのを認め、知らぬ間に斬り裂かれた脚を投げだすと、鼓膜を破りかねない叫び声をあげて舞い上がってくる。

 それを認め、メビウスは比較的怪鳥によって被害の出ていない階に走り出す。どうせ最初考えていた手段もルートも使えない。

 だとしたら。


 可能性は一つしかない。

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