2・表の道と裏の道

 ……さて。

 三人が消えた地面をぼんやりと眺めたあと。くるりと踵を返してメビウスは梯子へと向かう。


「……あーあ。どうすっかなー、これ」


 を持ち上げ、苦笑いを浮かべる。

 ガイドがいれば誰でもおりられる、というのは嘘ではなかった。だが、少年がその行列を見たのは遥か二百年ほど昔のことだ。切り立つ崖に色とりどりの扉が作り出す唯一無二の景観は、いまだ人気がそれなりにある。しかし、足場が不安定で更にかなり老朽化が進んでいること、更に入り口の縄梯子が朽ちて千切れてしまったことが決定打になり、いまは中へおりるのは禁止されている。

 正直に梯子の惨状をソラに見せれば、彼女はブリュンヒルデを置いてでも一緒に行こうと言っただろう。そんな少女の様子があまりにも容易に想像できてしまい、もう一度苦い笑いがこみ上げてくる。


「……それじゃ、ダメなんだよ」


 ブリュンヒルデを置いていけば、有事の際にソラを守れない。

 否、たとえ守れたとして――。

 思い出すのは、空から降ってきた少女を助けたあの日。怖かったと口にする少女の涙。


「ソラちゃん泣かせちまったら、意味ねえからな」


 己に誓ったのだ。

 ソラの前では二度と死なない――と。

 ふう、と小さく息をつき。


「せいぜい、足を踏み外さないように行きますかね」


 気合いとも決意ともおよそ取れないようなぼやきを口にして、メビウスはたんっと下の階へ飛びおりた。






 地中に潜ってからどのぐらいの時間が経っただろうか。

 光の壁を通して見えるのは、どことなく外の世界に似ている。いきものは見当たらないが、黒に近い濃紺の空間が支配していた。ときどき、チカチカとなにかが光る。

 魔法を使って移動している以上、あまりに長い時間が経過しているとは思えない。だが、この変わらない景色を見ていると、移動しているのも忘れてしまうような錯覚に陥ってしまう。


「……あれも、昇降機ですか?」


 同じように淡く輝くドームが下に止まっているのを見つけ、ウィルが問う。見つけたときは確かに下にあったのだが、ルシオラが返事をする前に通りすぎ、あっという間に頭上で光る小さな点になってしまった。


「そうだ。あれだけではなく、いま光って見えるものはすべて本棚を移動するための乗り物だな」

「全部、乗り物……」


 圧倒されたように、かすれた声でソラが呟く。


「ここは、なんなんですか?」

「本棚内部を移動するための、道だよ。ここに住んでいた神族たちは人間を悪くは思っていなかったようだが、さすがに全ての技術を晒すわけにはいかなかったんだろう。こちら側が、この遺跡の本来の姿だ」


 言って、文字盤を操作する。すると三人を乗せた昇降機は音もなく止まり、乗り込んだ側とは反対側がスライドして開いた。同時に外の壁もスライドし、本来の空間があらわになる。


「これが……この遺跡本来の……」


 昇降機を見て興奮していた青年も、途切れ途切れに声を出すのが精いっぱいだった。

 まず、視界に飛び込んできたのは、圧倒的な白。明らかに人工物だとわかる通路は、上下左右どこを見ても白い。金属か石なのかそれともほかの物質なのか一体なにでできているのかもわからない。ただ、目が眩むほどの暴力的な白い通路が続いている。

 加えて、あまりにも静かすぎる。静寂がすぎて、耳が痛くなりそうな感覚を覚え、ソラは小さく頭を振った。


「ここは、神界でしか取れない鉱石を使って作った人工オリハルコンでできている。どんな魔法を使っても、侵入はおろか感知することすら不可能だ。遺跡を起動させ、本来の居住空間であるこちらの空間へ繋げることは神族の血を引くものにしかできない」

「居住空間? これだけの空間が、ただの住むだけのところだと?」

「そうだ。そもそもここは最後まで神族が暮らしていた遺跡、だろう? そこに間違いはないのさ」

「……こんなところで、暮らしていけるの」


 言葉をこぼしたのはソラだ。少女の大きな瞳に浮かぶのは、紛れもない哀れみだった。


「ここには、魂は根付かない。ここは、あまりにも冷たすぎるもの」


 細い両腕で自身の身体を抱きしめながら彼女は言う。そんなソラにちらりと目をやり、ルシオラは白い空間へと視線を移した。


「冷たすぎる、か。確かにそうかもしれないな。だがそれでも、神族はここにしか住めない。表向きは同じ世界で生きているように見せかけても、本当に生きられるのはこちら側だ。これだけの空間を人間界に出現させるというのはもう、魔法というよりも儀式に近かっただろう。そんな苦労をしてまで、なぜ人間界にしがみ付いたのかは私にはわからない。ただ――」


 言葉を切り、今度は真っ直ぐにソラを見つめて。


のかも、しれないな」


 だから。

 遺跡を、そのまま残した。

 いつか――戻ってこられるかもしれない。

 そんな思いを、ほんの少しだけ残して。

 少女に、彼女の本心が伝わったかどうかは見て取れない。ただ、不思議そうにきょとんと首を横に傾げただけだ。

 それでも。

 冷たすぎる、という言葉に共感してしまった自分がいたのだ。

 ルシオラは小さく笑い、それを隠すように文字盤を細い指で操作する。


「寄り道をしてしまったな。先を急ごう」


 彼女の声を合図にしたように。

 三人を乗せたドームは、するりと動き出した。






 とんとんと、少年は長い三つ編みを躍らせながら最短距離でテンポよくくだっていく。うっかり地盤が弱くなっているところを踏み抜いたら足場もろとも崩落しかねないというのに、まるでステップでも刻んでいるかのような軽やかさだ。こういうときは、自分が小柄で良かったと素直に思える。


 軽快なリズムを生み出す足場となっているのは、通路とは名ばかりの大人がようやっとすれ違えるかどうか程度の幅しかない細い道だった。それもそのはず、神族は飛べるのだ。本来は、扉の前に立てるスペースがあれば事足りるのである。にもかかわらずここに通路が存在しているのは、空を飛べない来客のためだ。つまりは、人間が訪ねてきたときのためであり、本棚に住んでいた神族たちが比較的人間と交流を持っていたのではないかと考えられている根拠の一つでもある。


 軽い足取りで、そんな考察をされている足場から足場へ飛び移りながら、見覚えのないものが見えた気がしてメビウスは足を止めた。何度かきたことがあるとはいえ、前に訪れたのはもうかなり昔のことだ。整備のされていない下へ行くに伴い、崩れていたりしてもおかしくはない。


 だが、彼の目が捉えたのは、そういう類いのものではなかった。

 下と上、両方に素早く視線を動かすと、今度は慎重に通路に沿っておりていく。上下の移動には、それこそ人間のためとしか思えない、階段にも見える細い段差が通路の端に存在する。その階段を使い、気配を消して移動しながら少年はそっと下の様子をうかがった。


 先ほど朱の瞳に飛び込んできた、見覚えのないものがよく見える。

 ぱっと見には、茶色い枯草や木の枝のかたまり。こんな荒野でも、なんとか生き延びている植物の枯れたものを集めて作ったもの。周囲には、柔らかな羽毛が散らばっている。

 間違いない。

 二階下の通路の真ん中。

 朽ちた扉の中から見えるのは怪鳥ルクの巣だ。


 巣は半分ほど扉の中に入り込んでいて、全貌は見えない。が、巣の真ん中に座っている怪鳥の羽の色が全体的に地味な茶色であるところからみて、十中八九いるのはメスだろう。声はなにも聞こえないが、親鳥の羽毛に守られているとすれば雛の声も聞こえない可能性もある。姿を確認するまでは、孵化しているか否かは定かではない。


 まあ。

 どっかにいるとは思ってたけど。

 一度頭を引っ込めて、心の中で独りごちる。


 見たところ、親鳥は一羽。もう一羽が見当たらないということは、餌を取りに行っているのだろう。大型の鳥は、素早く飛び立つことはできない。怪鳥の場合も例外ではなく、谷風が強く吹き上がっているときに風を利用して飛び立つ。飛び立ってしまえば自由自在に動けるが、大きな身体を空中に浮かばせるという第一段階が難しいのだ。ならば、つがいの一羽が帰ってくる前に、さっさと端を通りすぎれば追ってこられないだろう。


 そうと決めたら、早く動いた方がいい。

 もう一度、下を確認する。今度は通路の状態を確認するためだ。右側の通路はすぐ下の階が崩れてしまっている。左側も少し崩壊が進んではいるが、自分一人ぐらいならなんとか持ってくれるだろう。

 簡単に答えを出して、少年は静かに立ち上がった。今までより慎重に足音を消して、比較的きれいに足場が残っている左側へ移動する。そこから再度下を確認し、これなら行けると確信を持つ。


 足を踏み出そうとちからを入れたときだった。強い谷風が吹き上げ、メビウスは思わず手をかざす。巻き上げられた小石がばちばちと腕に当たり、足もとに散らばった。

 散らばった小石を飲み込む、巨大な黒い影。それがなんの影なのかなど、考えるまでもない。反射的に、少年は下の階へ飛びおりていた。刹那、大きな黒い鳥が飛来し、足場を破壊していく。瓦礫は下の階の足場も削り取りながら、谷底へ吸い込まれていった。


「あー……。別ルート探すしかないか」


 苦笑いを浮かべてぼやき、上空を見上げた。見つかったからには急ぐ必要もない。一つ一つ片づけますかと胸中で呟いて、恐らくは射程距離内で旋回を続ける怪鳥をとらえたメビウスの瞳が大きく見開かれる。


「やっぱり、急がないとヤバいかな」


 彼の朱色の瞳がとらえたもの。

 それは、巨鳥の脚につかまれて動かない子供の姿だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る