1・枯れた遺跡
「いやー、相変わらずの迫力ですなあ」
本棚を見下ろし、冗談のような口調でメビウスが言う。
ここは前日まで滞在していたラゼルから遥か西。一つの国を飛び越えて存在するエレアール国だ。国の面積の半分以上が荒野に侵食されており、最近では人よりも隙間から這い出す魔獣のほうが多いのではないかと危惧されている。乾いた大地と高い平均気温が、魔獣にとって住み心地がいいらしい。
大きな障害物がない荒野では、乾燥した風が常に舞っている。一緒に舞い上がる砂埃がレンズにつくのを嫌ってか、ウィルは眼鏡を押さえながら辺りを見渡した。
「それにしても、見事に観光客が誰もいませんね」
「ああ、
――あんたがた、いま遺跡に行くのはやめたほうがいい。
手前の集落で注意されたことを思い出す。普段なら、遺跡に観光へ行く人たちで賑わっているのだが、いまはそんなことはなく、しんと静まり返っていた。その理由が、遺跡で何度も怪鳥が目撃されたという話なのである。
わけを聞いてしまった手前「様子だけでもみてこようか?」とメビウスが口走り、そのままなし崩し的に頼まれてしまった。集落は遺跡の観光業で成り立っているため、このままでは自然崩壊してしまうと言われればさすがにスルーはできない。基本的に、お人好しなのである。
怪鳥は魔獣ではない。もともと人間界に存在する大型の猛禽類である。魔獣ではないが、羽を広げた大きさはゆうに五メートルを超える巨大な鳥だ。もし出くわせば襲われることもあるし、小さな子供程度なら軽く連れ去れるだけの脚力を持つ。だが鳥はその賢さ故、滅多なことでは人里には近づかない。現に、これまで遺跡に怪鳥が現れたなど聞いたことがなかった。
「うーん、ここからじゃなにも見えねえけど。一体どの辺にいらっしゃるのやら」
額に手を当て、目を細めながら少年が言う。鳴き声を拾おうにも、吹き上げる谷風の音がうるさすぎて聞こえない。
「しょーがねーや。おりながら探すとしますか」
下ばかり見ていて首が痛くなったらしい。首に手を当ててこきこきと動かしながら、メビウスは崖から離れた。
「おりる? おりるってここ、道あるんですか?」
「まあ、あると言えばあるし、ないと言えばないような」
「……? なんですか、それ」
へらっと気の抜けた笑顔を浮かべて曖昧な答えを返した少年に対し、問うた青年も呆れた声を出した。
「お前が気にすることはない。二人とも、こちらへ」
ルシオラが、ウィルとソラを手招きする。観光で生計を立てている集落の人間には悪いが、人がいないというのは彼女にとって好都合だった。人目を気にせず本棚を調べられる。
「メビウスは?」
その場に立ち止まったままの少年を見て、ソラが至極当然な質問を口にする。少年はいつもの笑みを浮かべたまま、「歩き」とあっさり返した。空色の少女の顔が、みるみる不安に染まる。
「言ったろ。ブリュンヒルデを持っている限り、オレはこの街の恩恵を受けられない。だからって、なにが起こるかわかんねーのにこれを置いていくわけにもいかねーし。大丈夫だって。ここには何度も来たことがあるし、ちゃんと道だってあるんだぜ」
言いながら三人とは反対の方向へ歩き、地面を指差した。そこには太い杭が二本打ちこまれており、これまた太いロープがきっちりと巻き付けてある。
「途中までならガイドがいれば誰でもおりられるんだ。いまは怪鳥騒ぎで誰もいねーけど、梯子に行列ができてることもあるんだ」
にしっと笑ってメビウスは杭の頭をぽんぽんと叩いた。
「ま、ルシオラと一緒に行くよりちょっとゆっくりにはなるけどな。愛に困難は付きものって言うし、ソラちゃんに会いに行くと思えば楽勝です!」
「……うん」
「え? なに、いまの空気。なに、いまの妙な沈黙」
騒ぐ少年を置き去りに、ルシオラは足もとの土を払う。土の下から現れたのは、円と現在の文字の原型になったと言われている古代語の羅列だ。それらを組み合わせたもの――つまり、魔法陣である。
ルシオラは魔法陣の真ん中へ移動すると「
詠唱も、なにもない。
一瞬、ルシオラの長い前髪に隠された右目が金色に光ったように見え。
ヴォン、と空気が振動する微かな音がして、魔女の立つ魔法陣からぐるりと淡い黄緑色の光が立ちのぼる。ソラがぽかんと上を見上げると、光が丸みを帯びた天井を作っていた。まるで、魔法の光で包まれた小さなドームである。
これと同じようなものを、ウィルは故郷で見た覚えがあった。ただしそれは、光に包まれていなかったし、大型の魔獣から採れた金属を使用したもっと物々しい代物ではあったが。
「こ、これはまさか……昇降機ですかッ」
やや上擦った声で青年はルシオラに問いかけたが、答えを待ちきれずに顎に手を置くとぶつぶつと持論を呟き始めた。ソラはウィルの興奮っぷりに目を丸くして驚いているが、残り二人は慣れたもので呆れた息をついている。眼鏡の青年は、古代の技術に目がないのだ。本棚には続きがあると話したときは半信半疑だったようだが、こうして目の当たりにするとどうしても感情が抑えられないのだろう。
「いや、しかし、魔法式の昇降機なんて聞いたことがありません。それに、
「その認識が間違いなのさ。いま稼働している機械とは、もともと純粋な魔法として稼働していたものだ。その知識は、神族の遺跡から発掘された資料を基にしているものが多い。だが、入れ物は魔族から採れる魔力を流しやすい金属を加工して作っている。純粋に魔法として行使するには人間には荷が重すぎたからだ。どうにかして使えないかと思案した結果、魔力でガワまで作るのではなく、ガワを別に作り、そこに魔力を流すことで再現する方法を思いついた。それが、機械、魔法道具と呼ばれるものだよ。年月が過ぎていくうち、認識があやふやになっていったのだろう」
つまり、
青年の独白に割り込んだ魔女は、ほんのり皮肉交じりな口調で続ける。
「融合させたのが人間だというのがまた、笑える話だ」
正に
「さて、人に見られると面倒だ。早く移動してしまうとしよう。二人とも、乗るといい」
言いながら、ルシオラは胸の高さに現れた半透明の文字盤のボタンを押した。また小さく風が動く音がして、ドームの一部がスライドする。大人が二人並んで通れるぐらいの大きさで、それが扉であることは容易にわかった。ウィルはせわしなく視線を動かしながら、ソラはちらりと少年を振り返りながら乗り込む。
中には、ルシオラが操作している文字盤以外なにも見当たらない。淡い光で作られている壁は、案外しっかりとした感触で触れることができた。冷たくないガラスのようだ。
その壁をこんこん、と叩いてみたりしながら、青年はなにげなく口にしてしまう。
「本当に坊ちゃんはコレに乗れないんですか?」
「試してみるか?」
軽いノリでひょいっと入り口に立とうとする。
その瞬間。
目の眩むような閃光がドームの外側からほとばしり、少年は成すすべなく弾き出された――ように見えた。実際はとんっと軽く後ろへ跳び、ことなきを得ている。ドームの中は静かなままだが、外はまだバチバチと帯電していた。
「な、こーなんの。理不尽だろ」
大げさに肩を竦めて、ため息をつく。
「初めてのときは、どーせ一瞬だから頑張れるかなと思ったらあっさり死にましたね。防護機能だかなんだかしらねーけど、まったく、いたいけな少年相手に本気で殺す気でくるんだぜ。だから、オレにとっちゃ歩いておりるのが一番安全」
「……ああ。転移陣と違って、昇降機は移動に時間がかかりますからね……」
「そゆこと。ま、下についたら頭のかたーい連中にオレのことまた説明してくれよ」
前者はウィルに、後者はルシオラに向けた発言だ。
「話すだけ、話しておこう。だが期待はするなよ」
「最初からしてねーよ。挨拶みてえなもんだな」
からからと笑ってから開いた瞳は、煌々と光を灯している。期待はしていない、と言いつつも彼はこの状況を諦めてはいないのだ。
いつか、
「……メビウスが、悪いわけじゃないのに」
ぽつりと漏らしたのはソラだ。少女は光の壁に右手をつき、左手はぎゅっと強く握りしめている。太陽の瞳がとらえた夜空色の瞳は、小さく揺れていた。
「ソラちゃん。心配してくれるの?」
少女が手をついている淡い光の壁に、限りなく近くまで自分の手を寄せて。
「心配してくれてサンキュ。ちょっと遅れるけど、必ずソラちゃんのところに行くから」
「なにも今生の別れでもなし。コイツは欲望には忠実だからな、ちょっとどころかすぐ会える」
ふっと軽く笑うと、ルシオラは文字盤をあっさり操作した。ほんのわずか、触れられそうな距離にいたはずのソラの姿がふっと消える。
行き先を示しているのは、その光が消えかかっている魔法陣だけ。
重ねられなかった手をおろし、メビウスはぐっと拳を強く握った。
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