3・ソラの決意

 ――ブリュンヒルデが、魔王をばらばらにしたってのは、本当か?


 少年が残していった言葉に、ルシオラは即答できなかった。それは、彼女すら知らない事柄だったからである。

 動揺を気取られぬよう、そのときは当たり障りなく返事をしておいたが、即答できなかった時点でメビウスは気づいているだろう。雨の日の記憶。封印の日に起きたすべてをルシオラも知っているわけではないと。そして、少年が口にしたことは、最果ての魔女が初めて耳にした事柄だと。


 彼女が魔界の封印について携わったのは、本当に後始末だけだ。亀裂に赴いたときはもう、封印自体は終わっておりルシオラはそれをより強固なものにするため鍵をかけただけにすぎない。だから、その前にその場でなにがあったかは彼女も詳しく知らないのである。

 もしもメビウスが言ったことが本当なら、ブリュンヒルデはそれを隠していたことになる。正直、あのときのブリュンヒルデに魔王と対峙するだけのちからが残っていたかは甚だ疑問だが、あの女のことだ。切り札になにを隠し持っていても不思議はない。


 ブリュンヒルデ。

 ずっと、自分を縛り付けてきた女。

 あれはいつまで居座り続ける?


 たった一人の神族に振り回され続けている自分に苛立って、気づかぬうちに形の良い爪を噛んでいた。そんな状態であったから、ソラが部屋に入ってきたことにも気づかない。少女も、どう声をかけたらよいのかわからず、入り口で固まってしまっている。

 少女が出直そうと取っ手に手をかけたときだった。きぃ、と思ったよりも大きな音が部屋に響き、ルシオラがはっとしてソラを射抜く。金と銀の瞳には一瞬、殺気にも近いほどの想いが乗せられていたのを感じ、ソラはびくん、と身体を硬直させた。


「……ソラ、か」


 ルシオラもそんな自分に驚いたのだろう。呟いた声には、謝罪の色が見え隠れする。


「ごめんなさい。ノックしても、返事がなかったから……」

「ああ、少し考えごとをしていた。驚かせただろう。謝るのは、私のほうだな」


 額に手を当てると薄く苦笑を浮かべた。だがすぐに、普段の見慣れた魔女の顔に戻る。


「なにか、用事か?」

「え、と……。メビウスを見なかったかなって……」


 まだ動機が治まらないのか、小さな声だ。ルシオラは、ああ、と頷き答えを唇に乗せる。


「メビウスならラゼルの街だ。てっきりお前も連れて行くものだと思っていたが、珍しいな」

「……ウィルには、異常事態だって言われました」

「ふ、確かにそうだな。どうする? お前も行くか?」

「いいえ! いないから、話したくて」

「……?」


 ソラの必死な表情を見、魔女は立ち上がって少女を向かい側の椅子へ誘導する。少女を座らせ、一度肩に手を置くと自分ももう一度向かいの椅子へ腰かける。


「わかった。話を聞こう。アレには聞かせたくない話か?」


 面白そうに付け加えた一言に、ぶんぶんとソラは首を横に振った。


「そういうわけじゃ……! ただ、いまはまだ、内緒にしていたくて」


 できるようになってから、伝えたいから。

 心の中でのみ続けると、空色の少女はその決意を口にした。







「……魔法の、練習?」


 ルシオラが意外そうに少女の言葉を繰り返した。思い切って打ち明けた少女は、ピンと背筋を伸ばして固まっている。あからさまに緊張でガチガチなのが見て取れた。


「わたし、もう足手まといになりたくないんです。わたしも、なにか役に立てないかと思って」


 脳内で何度も反復練習をしたであろうセリフもたどたどしい。最初はルシオラの持つ威圧感も気に留めなかったソラだが、メビウスと打ち解けるとともにそのオーラに気が付いてしまった。少年が大げさに話すのも原因では、ある。

 少女の心中を知ってか知らずか、最果ての魔女は始めこそ意外そうに見ていたが、ふいに魅力的な紅い唇を持ち上げた。


「なるほど。それは良い心がけだ」


 柔らかな声で言われ、少女の表情がぱっと明るくなる。しかしすぐに、眉尻をさげると視線を落とした。


「でもわたし、どんな魔法が使えるかどうかも覚えてないんです。使える、とはなんとなく思うんですけど……」

「回復魔法。メビウスが言っていた。お前に二度も治してもらったと」

「あ、あれは……! 最初のは、メビウスの回復力を押し上げただけで、大きな怪我には使えない。二回目は、わたしも、あんまりよく覚えてなくて……」


 必死だったから、としどろもどろで説明する。ルシオラは意図の読めない笑みを浮かべたまま、ソラの様子を眺めていたが、ふむ、と頷いた。


「メビウスに聞いたときも要領を得なかったが、本人に聞いても変わらんな。では、私から一つ提案をしよう。私に、?」

「え、でも、どうしたらいいか」

「言い方を変えよう。ソラの記憶を、私に覗かせてくれないか?」


 それならば、どのような現象が起きたのか私も整理ができる、とルシオラは続ける。


「お前はなにもしなくていい。ただ、私の魔法に身をゆだねてくれればそれでいい。じかに視れば、どのような現象が起きたのかわかるかもしれん。あくまで記憶を視るだけだから、なにも結果がでない可能性もあるがな。どうする?」


 記憶を視ることができる。その言葉に、ソラは少し身体を乗り出す。少女の言いたいことがそれでわかったのだろう。ルシオラは首を横に振って、彼女の希望を消し去った。


「記憶を視ると言っても、ここ最近の記憶だけだ。本人も覚えていない記憶を探るとなると、私にも、ソラにも精神に負荷がかなりかかる。それには双方それなりの準備も必要だからな。いまは、お前の魔法の素質を確かめる、それだけだ」


 そもそも、お前の用事はそういうことだろう? と最果ての魔女は問いかけで結ぶ。少女は言いすがろうとして、金髪の少年の言葉を思い出し、やめた。


 夕日の丘にのぼる前。

 メビウスが彼女に言った言葉。


 無理しないでいこうぜ。

 記憶なんて、これからいくらでも作れるんだ。


 ソラは、自身を納得させるように頷くと、「お願いします」とルシオラに頭を下げた。







魂の接続ソウルリンク


 詠唱もなにもない。ただ、ちからある言葉を発しただけで、ルシオラは魔法を発動させた。

 目を閉じたソラの額に魔女のひやりとした手が触れる。ルシオラの右目が見開かれるのと同時に、右肩から光の結晶のような羽が現れた。瞳を閉じていても伝わる強烈な光の感覚に、少女のまぶたが震える。

 ルシオラの黄金の右目にはいま、ソラの覚えている限りの記憶が映っていた。以前のような、深く潜る真似はしない。いまは、いまのソラが見てきた事柄だけ見えれば良いのだ。


 最初はそう、彼女が目覚めたところ。見慣れた、太陽の瞳だ。魔女は記憶を早送りにし、必要な場面を探し出す。

 少年の傷に少女が手を触れる場面が映った。詠唱もなにもない。ただ、傷に手を触れただけで皮膚が閉じていく。ルシオラは繰り返しその場面を再生し、興味深く観察する。実用された回復魔法など、彼女の記憶の中にもない。しかしこれはソラが説明したとおり、少年の回復能力を底上げして本人の治癒能力を高めたものだと、ルシオラも結論付けた。


 そこをすぎると、また早送りだ。しかし、ジェネラルと黒いかたまりが映ったとき、彼女は思わず声をあげてしまいそうになり、寸でのところで押しとどめる。

 ジェネラル、と呼ばれている男の瘴気には覚えがあった。封印の日、押し寄せてきた魔王軍の中に同じ気配のする瘴気が混ざっていたはずだ。そのときとは段違いに瘴気の規模が違うとはいえ、同一人物だと考えてまず間違いはない。

 それよりも不気味なのは、魔王と呼ばれた黒いかたまりだ。醜悪な胎児の形をしたそれは、なにもかもが彼女の知る魔王とはあまりにもかけ離れている。


 なんだ――これは。


 続くシーンを見ながらも、疑問だけが膨らんでいく。黒いもののすべてが、ルシオラの知識の中に存在しない。復活前のできそこないだとしても、これは――

 そもそも、魔王はしねないいきものではない。生きているのだから、いつかは死に、滅びる。それは、すべての生きとし生けるものに平等な定義だ。例外など、ない。


 気味の悪い疑問を頭の片隅にひとまず置き、ルシオラは最後の場面へと記憶を進める。

 しろがねの羽を背中から生やし、滅びを知らぬいきものに滅びを与えたソラ。驚愕を覚えつつも、彼女の腕に浮かび上がった模様を確認し、ルシオラは少しだけ黒いいきものの正体がわかったような気がした。少なくとも、仮定はできることに安堵する。

 そして、ソラが瀕死のメビウスに施した処置は、ウィルが考え導き出していた仮定と同じ答えに行きついた。もっとも、ルシオラの場合は仮定ではなく確証を得ていたが。


 長い回想ダイブを終え、魔女はそっと少女の額から手を離す。ソラがゆっくりと目を開けたときには、もうルシオラの背に美しい羽は生えていなかった。


「……なにか、手掛かりはありましたか?」


 一言も口を開かないルシオラに、少女はそっと声をかける。魔女は深刻そうに口元を押さえ、ソラの瞳をゆるりと覗き込んだ。


「……そうだな。お前たちに聞いた話を整理することはできた。結論から言おう。対象者の治癒能力を強化して傷を治す、ということは可能だ」


 それを聞き、少女は柔らかな微笑みを浮かべる。同時に、肩にはいっていたちからが抜けた。ルシオラは、まとっていた深刻な空気をいつの間にかきれいにしまい込み、切れ長の瞳をソラに合わせて細くした。


「治癒能力を底上げする、というのは傷がきれいに閉じなくとも一時的に止血したり痛みを取り去るという使い方もできるだろう。考えてみれば、筋力を魔法で上昇させたりできるのだから、本人の回復力を上昇させて傷を治すというのは、理にかなっている。まったく、なぜいままで気が付かなかったのか不思議なぐらいだ」


 ぶつぶつ言いながら、窓の近くに所狭しと置かれている植物のほうへと歩いていく。実験用途ごとに陳列された小さな鉢の中から、手のひらに乗るぐらいの大きさの鉢を選びテーブルの上へと持ってきた。鉢には先のとがった分厚い葉と、葉の縁に生えた棘が特徴的な植物が植えてある。興味津々、ソラが眺めているとルシオラは小さなナイフで厚みのある葉の表面をなぞるように切った。切られた傷から、甘い香りのする樹液がぽつぽつと湧いて出る。


「いま、これを治せるか?」

「……やって、みます」


 棘のない葉の表面につけられた傷。ソラは深呼吸してから慎重に手を当てる。だが、メビウスのときのように魔法陣は浮かび上がらず、少女は困惑して手を離す。


「……ふむ。植物も治癒能力を持つ生物だからな。同じ原理で治せるはずだ。ソラのちからはすべて無詠唱で発動していたが、詠唱などは一緒に思い浮かばなかったか?」


 ソラはちからなく首を振る。


「自分でも、どうやったのかよくわからなくて。だから、ルシオラに相談しようって」

「そうか。では、まずそのサボテンの治癒能力を高めてみろ。一度成功してるのだから、できるはずだ。すぐ傷が治るぐらいになったら、見せにこい。どれぐらいまでの怪我に干渉するかは、結果を見ながら決めていくとしよう」

「わかりました。頑張ります」


 サボテンの鉢を大事そうに抱え、少女は気合いを込めて頷いた。

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