幕間・ある日のできごと

1・騒動のあとで(1)

「坊ちゃんですか? さきほどまでオオハシさんと戯れてましたが」


 ソラにメビウスの居所をたずねられ、眼鏡の青年は本から視線をあげた。そういえば見当たりませんね、とぽつりと口にする。


「なにか、用事でも?」

「……姿が見えないってほとんどなかったから、どうしたのかなって思っただけ」

「ああ。そうですねぇ。特に、あなたを置いてどこかへ行くというのは、あなたがきてからはとても考えられない事態です」


 正に異常事態ですね、と青年は顎に手をあてて深刻な顔で考え始めた。まるで世界でも滅びるかのような表情で思考にふけり始めたウィルを見、少女は慌てて首をぶんぶんと横に振った。


「わからないならいいの。ありがとう、ルシオラにも訊いてみる」

「なんだ。ルシオラさんに訊いていなかったのですか? 僕に訊くより、ルシオラさんのほうが効率が良いでしょう」


 ソラが魔女の名前を出した途端、青年は考えるのをぱっとやめた。しかし少女は、自分で言い出したにもかかわらず部屋から出て行こうとしない。なにか言いたそうなソラに対し、ウィルは怪訝な顔をする。


「……まだ、なにか?」


 少女は一瞬うつむき、逡巡する。気合いを入れるように両手を握りしめて顔をあげ、夜空色の瞳でしっかりと青年を見据えた。


「わたしは、いまも自分のことが思い出せない。あのときのちからについても、なにもわからない。それでも、役に立ちたいと思う気持ちは本当だから」

「…………」

「ウィルがわたしのこと信用してないのはわかってる。だけど、わたしを信じてくれた。だからメビウスを助けられた。わたしは、ウィルのこと嫌いになれない」

「勘違いしているようですが。僕はあなたを信じたわけじゃない。坊ちゃんが死ななくてもいい可能性に賭けただけです。あなたの底知れないちからに賭けた、それだけです」


 言うだけ言って、視線を手元の本に落とした。もう話すことはなにもない。その、意思表示のはずだったのだが。


「……それでもいい。ありがとう」


 呟くような少女の声が聞こえ、思わず顔をあげた。空色の少女は取っ手に手をかけ、背中を向けている。


「ルシオラのところに行ってくる」


 ぱたん、と扉の閉まる音を耳にしながら、ウィルは複雑な心境で独りごちた。


「……なんで僕に、ありがとうなんて言うんですか」







「……あれ。いないや」


 目的の場所にたどり着き、メビウスは腕を組んで呟いた。

 幼い少女が店を出していた通りの端は、ひっそりと静まり返っていた。そういえば、街に出ている露店の数自体が少ない。少年は腕組みを解き、近くの露天商へ話しかける。


「おっちゃん。少し前までここで店開いてた小さい女の子、知らない?」

「知らんなぁ。そもそも人の店の心配してるような状況じゃねぇからな。誰に聞いても同じだと思うぞ」


 ほら、こないだの襲撃があっただろ、と露天商は言う。


「あのおかげでな。商品がやられたり、店を開いていた場所が崩れたりといまはどこもバタバタだ。うちがこうして店を出していられるのは運が良かったと言うほかねぇ」

「なるほどなー。サンキュな」


 露天商にひらひらと手を振って、少年はどうしたもんかと考え込んだ。

 あの騒ぎがあってから、メビウスは一度もラゼルの街を訪れていない。石舞台からはウィルの転移陣で帰ったわけだし、それから彼がここに来ようと思うまで少しの時間を必要としたからだ。ウィルの魔法で魔獣の被害は広がらなかったとはいえ、こんな通りで魔獣と戦えばそれなりの被害が出て当然だろう。言われてみれば、石畳が割れていたり家の壁にひびが入っていたり襲撃の跡はそこかしこに見て取れる。修理に精を出す男たちも多く見受けられた。


 確かに、こんな中であの少女がのんきに店を出しているとは考えにくい。出鼻をくじかれ、メビウスは途方に暮れた。

 店を出してないとすれば、普通は家にいるだろう。しかし当たり前だがメビウスは少女の家を知らない。


 ……が。


 両親がいない、姉も家を出て仕事をし、幼い少女自身も小銭を稼がなければ生きていけない。そんな子供たちがどこに住んでいるかなど、少し考えれば簡単に予想はつく。

 貧民街スラム。いつの時代、どんな街にもあるものだ。そして幸い……とはいいがたいが、目的の少女に出会う数時間前に、彼はその入り口まで行っている。

 深いため息を吐き、メビウスはがしがしと頭を掻いた。もともと気の重い用件なのだ。上着のポケットから破れた黒いレースの手袋を取りだして見つめると、彼はもう一度深いため息をつく。


 本当は、お礼だけ言いにくるはずだったんだけどな。

 ソラちゃんの髪飾りも、見せてあげたかったし。

 ……どこまで話すべきかなあ。


 胸中でぼやき、空を仰ぐと手袋をポケットにしまい少年は歩き出した。







 舗装されていないむき出しの地面を歩く。小石が跳ねて小さな音を立てる。そのたび、まわりから歓迎とはいいがたい視線を感じるが、姿は見えない。視線だけがいくつも追いかけてくるが、いちいち気にしていたらこの場にはいられないことをメビウスは知っていた。貧民街において歓迎を受けたことなど、どの時代でもなかったからだ。


 大概、貧民街に住むものたちはよそものを嫌う。特に、身なりのいいものや武装しているものは嫌な顔をされやすい。少年は特に良いものを着ているわけではないが、動きやすそうなこざっぱりとした服装だ。そしてなにより、剣を背負っている。いくら彼が小柄で十代半ばの子供であるとしても、武器を持った人間がいったいなんの用だと警戒されてしまう。

 だから、少年は用件を口にすることにした。こそこそと追いかけてくる数組の視線に向かって。


「オレ、人捜ししてるんだけど誰か知らねーかな? 大通りの端で露店を開いてる女の子のこと」


 足を止めて放ったせりふに、ざわざわとさざ波のような音が返ってくる。おおかた、どうするべきかひそひそと話し合いでもしているのだろうと考え、メビウスは頭の上で手を組んで相手の出方を待つ。

 しばしの話し合いの後、小石が跳ねる音が複数聞こえ、横道に入っていった。ひそひそ話よりは大きな声でなにごとか頼んでいるのが聞こえる。頼んでいるのは子供のようだが、面倒そうに答えている声は大人のものだ。


「人さらいってのはおま……!」


 言いながら横道から現れた大柄な男が、言葉の途中で硬直する。少年もまた、目を丸くして男をまじまじと見つめた。


「……な、んで、こんなとこにいんだよクソガキ」

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