エピローグ

「それでさー! ソラちゃんが超きれいだったのなんのって! あれは天使だね。ほんと、色んな意味で天使」


 腕を組み、大真面目で頷きながら話す少年を横目に、ルシオラは静かに口を挟んだ。


「ほう。そして彼女が、魔王とやらを倒したと、そういうわけか?」

「まぁ、簡単に言えばな。オレ最後のほう記憶曖昧だけど」


 石舞台から転移陣で帰ってきてからまだそれほど時間は経っていない。ソラはすぐにシャワーを浴びせられ、ウィルは挨拶もそこそこに自室に引っ込んでしまった。メビウスは、着替えて真っ直ぐにルシオラの部屋へ押しかけ、迷惑そうな顔をした魔女に構わず顛末を語っていたというわけである。


「……で、ルシオラ。お前、なんでソラちゃんになにも話さなかった?」

「ああ、そっちが本命か」


 真っ直ぐに見上げる朱の瞳を見つめ、ルシオラは微笑む。


「ソラちゃんがオレたちと離れたらわかるって言ったな。お前、わかってたのになにもしなかった、そうだよな?」

「そのとおりだ。私はなにもしなかった。彼女がなにものか、私にもわからなかったからな」

「だから、最低限しか話さなかったのか。だから、泳がせたのか」


 普段よりも抑えたトーンで、少年が核心を突く。太陽の瞳が一瞬強い光を帯びて、最果ての魔女を睨んだ。これは本気で機嫌が悪い。珍しいこともあるものだ、とルシオラは笑みを深くする。


「まったくそのとおりだよ、メビウス。外の世界を見ても驚かない。自分がなにものなのかもわからない。そんな人物を、どこまで信用できる?」

「どーせそんなこったと思ったぜ。オレについてはかいつまんで話したからな。オレが、ソラちゃんを信用して話したんだ。お前にどうこう言われる筋合いはねーぞ」


 椅子に深く腰掛け、じとっと見慣れすぎた魔女の顔を見やる。魔女は笑みを崩さない。それがメビウスの癪にさわった。


「ソラちゃんの正体についてはわかんねーから保留でいいな。さっき話したことで大体全部だけど、なにかわかったら隠さないで話せ。こそこそ監視するのもなしだ。気になるなら、お前も閉じこもってねーで一緒についてこい」

「見た目だけは反抗期の年齢だがな……」

「誰が反抗期だ! お前がこそこそ工作してんのが気に食わねーんだよ」


 ガタン、とわざとに大きな音を出して立ちあがる。扉に手をかけ、振り返った。


「ブリュンヒルデが、魔王をばらばらにしたってのは、本当か?」








 ウィルは自室でぼーっとベッドに横たわっていた。いつも気を張っているこの青年が、自室とはいえまったく無防備なのも珍しい。

 彼は誰よりも近い場所で、彼女を見ていた。

 石舞台の下からとはいえ、意識が朦朧としていたメビウスよりもはっきりと、そして客観的に判断できる自信がある。


 ソラの背負ったしろがねの翼。

 銀は魔のものの印。

 だが、彼女が魔族や魔獣と違うのはわかる。少女が使ったちからは、それらとはまた違ったものだった。あの、気持ちの悪いかたまりを消滅させたのも事実だ。


 そして。

 メビウスを救ったちから。


 少女から、なるべく離れていてください、と言われたことを思いだす。

 ソラに集まった大小の暖かな光。光が集まるにつれ、虫の声が聞こえなくなり、少年とあの日ともに火を囲んだ場所の草が急速に枯れ。

 ウィルの身体からも、急速にちからが失われるのを感じた。膝をつくほどではなかったが、唐突に生じた倦怠感に恐怖を覚え、無意識のうちに少女からもっと距離を取ったのである。


 あのちからは。

 あれは、周囲のすべてのいきものから、命を吸い取ったのではないか。

 その小さな命たちの集合体で、少年の命を繋いだのではないか。

 そんなことが可能なのかはわからない。状況から導き出した仮定の話だ。


 だとしても。

 あの少女は、あまりにも得体が知れない。

 果たして、関わっていいものなのか。

 いくら考えても答えは茫洋として、見つからなかった。








 シャワーに打たれながら、少女は自身について考えていた。


 助けたいと、心から願った。

 役に立ちたいと、心の底から願った。


 でも。

 ソラには、自分に起きた変化が理解できていない。あのときは偶然ちからが発揮されたから良かったものの、どうやったらまた使えるのか、いったいどういうちからなのか、結局なにもわかっていないのだ。

 ただ必死だった彼女の声に、眠っていたなにかがたまたま応えてくれたとしか思えない。


 それじゃあ、ダメだ。

 それでは、またみんなに迷惑をかけてしまう。役立たずに戻ってしまう。

 多分また、魔族は襲ってくるのだろう。

 そうしたら、少なくともメビウスは自分を守るのだろう。それこそ文字どおり、死んでも守ろうとするだろう。

 それでは、ダメなのだ。少年が死なないことは知っている。だが、心が割り切れない。感情が、押さえられなくなってしまう。


 わたしは――。

 ――わたしはいったい、なんなのだろう。


 少年を守るためにはまず、知らなければならない。

 自分自身を。

 思い出さなければならない。

 湯気で曇った鏡を流し、自身の夜空色の瞳と見つめ合う。


 ――強く、なろう。


「ソラちゃーん。そろそろ晩飯だから上がってね」


 耳に届いたのほほんとした声が、強張っていたソラの表情を崩す。声の主の、へらりとした笑顔を思いえがいて、少女はふわりと自然な笑みを浮かべた。

 返事がてら、ソラは思い切って問いかける。


「……わたし、ここにいてもいいのかな?」

「ん?」

「わたし……みんなに迷惑かけてばかりだし、結局なにも思い出せないし、さっきのちからだってどうやって使えばいいのかわからないし」

「ソラちゃんは、オレたちと一緒にいたくない?」


 いつの間にか扉の近くで聞こえた声に、気づけば首を横に振っていた。水滴がぱらぱらと飛び散る。


「ソラちゃんが一緒にいたくないんだったらそれでいいし、いたいんだったらいればいい。ソラちゃんがどうしたいか、じゃないかなって思うぜ」


 ソラちゃん本人が決めたことに、誰もなにも言わないよ。


「……ありがとう」

「ん? うん、まあ」


 なぜ少女に感謝の言葉を言われたのかがわからず、メビウスは曖昧な返事をするしかなかった。


「わたし、強くなるから。みんなを守れるぐらい強くなるから」

「……そっか。ソラちゃんがそんだけ決意してるんだったら、オレもソラちゃんハラハラさせねー程度には強くならないとな」


 扉の向こうで、にかっと笑った気配が伝わる。少女も、不思議と笑顔が浮かんでいた。


「じゃ、ソラちゃん。改めまして、よろしくお願いします、だな」

「こちらこそ」


 満面の笑みを浮かべてソラは言う。惜しむらくは、誰もその笑顔を見ていないということだろう。


 大丈夫。

 彼と二人なら、強くなれる気がする。


 そう心の中で呟いて、空色の少女はふふ、と小さく笑った。

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