28・空色の告死天使

 初めて見たときから、いびつだと思った。

 不完全な魂など、存在できるわけがないのに。

 生きることなど、できないのに。

 滅びることなど、できないのに。

 不完全ゆえに、生きることも――死ぬことさえも知らない。

 それが、あの「魔王」。


 そして。


 それしか知らない、


 いびつな――わたし。 






 

 それは、まったく異質のちからだった。

 ジェネラルが叫び、細切れの肉片となった魔王がまったくダメージなど受けていないのを証明するかのごとく、散り散りになったままで無数の赤子の手を生みだす。同時に石舞台の下で輝いた眩いばかりの光が目の端に差し込み、メビウスは閉じかけていたまぶたをむりやり押し上げた。転移の光ではないと気づいたからだ。横向きに倒れたまま、視線だけで光を追う。


 光に反射するきれいな空色。

 ふわりと広がる白いスカート。

 繊細で、華奢な手足。


 少年の朱の瞳に映ったのは、確かにソラだ。だが、その身にまとう強大なちからはいったいなんなのだろう。


 神族の持つ、浄化でもなく。

 人間の持つ、魔力でもなく。

 魔族の持つ、瘴気でもない。

 そのすべてを合わせたようで、どのちからともまったく違う。穏やかで、破滅的なちから。


 まるでそれを恐れるように、魔王がすべての動きを止めていたのだが、メビウスの意識は完全にソラに奪われていた。身体中を苛む痛みを思わず忘れるほどに。

 自身の作り出した血だまりの中で、声にならない音でソラの名前を呟き。


 ――へらりと、笑った。


 満身創痍でなければ、大きな声をあげて笑っていただろう。

 初めて彼女を抱きとめたとき。

 天使が降ってきたのかと、思った。


 間違いじゃなかったんだ。


 彼女は、本当に天使だった。

 外の世界を含め、世界というシステムを創り出したと謳われる創造神。その手足となり、さまざまな世界を行き来して監視し、ときには粛清もおこなうと創世記にてえがかれているのが天使。

 天使はみな、一様に翼を持つという。神族が神と呼ばれるゆえんはその外見にある。背中に背負う光の羽が、天使のそれに似ているからだ。

 しかし、本物の天使が持つ羽は鳥の翼だ。身体を包み込むほど大きく、優雅に空を飛び、世界をも飛び越える。


 ソラの背中には、一対の翼が生えていた。

 鳥の羽を模したそれは、しろがねで形成されている。銀は魔の証といわれているが、あまりにも神々しく輝く羽からは一切の瘴気も感じられない。

 代わりに、少女の細い身体には魔法陣を分解したような複雑で禍々しい紋様が浮かび上がっていた。薄手のワンピースを透かして見える紋様は、緑色に発光している。左右対称に浮かび上がった紋様の光はしかし、神族の浄化を連想させた。


 機械の翼で宙にとどまりながら、ソラは夜空色の瞳で魔王を見おろす。細かな黒い肉片となりはて、元の姿に戻ることもできず、それでも滅びを知らぬものを。

 無数に浮かび上がった顔が恐怖に歪む。不完全な魔王が初めて覚えた感情だった。

 黒い顔たちは、みな一様に泣き叫んでいる。声が聞こえないのが不思議なほど、生きている表情で。

 化け物でも魔王でもない。黒いものは初めて、血肉の通ったいきものに見えた。


 透明な声で、ソラが告げる。


「滅びを知らない魂……。わたしと一緒に


 ともに滅びる――そのときまで。


 少女が両腕を広げる。おいで、と彼女は全身で呼んでいる。石舞台全体に散らばった黒いものからゆらりと影が立ちのぼった。陽炎のようにうごめきながら、華奢な少女の中へと吸い込まれていく。魔王としての復活を阻まれた不完全ないきものは、黒い灰となって風に溶けた。

 

 石舞台に、夜の静寂が戻る。


 すべてを受け入れたあと。

 ソラの両腕に新たな文様が浮かび上がった。少女は少しだけ困ったように眉を寄せたが、すぐにメビウスを探す。誰もいない石舞台の上に、一人倒れる少年の姿を確認するのは容易だった。

 全部終わったのに、立ち上がらない。立ち上がる気配もない。

 心臓が、早鐘を打つ。頭の中で鳴っているかのようにうるさく響き、鳴りやまない。

 彼が死なないことは、理解している。

 理解は、している。が、感情がそれを受け付けない。


 いつも、守られてばかりだ。

 今度は、わたしが守る番。

 いまなら、そのちからがあるの。


 ――お願い。


 翼を羽ばたかせ、少女は急ぐ。







 ソラが魔王を消滅させたのを見届け、ジェネラルはそっとその場をあとにした。

 ――あれは。

 不完全なものが、手にできる代物ではない。

 だが、魔王から離れて生きることもできないだろう。

 結局、お互い惹かれ合う運命にあるのだ。焦ることはない。

 そう、確信して。

 男は夜の闇に紛れて消えた。気が付いたものは、誰もいない。







「メビウス!」


 叫んでソラは血だまりに倒れた少年の側に着地する。白い衣服が血で汚れるのも構わず、少女は膝をついて少年を抱きかかえた。いつもの笑みは返ってこず、メビウスの瞳は閉じられたままだ。


「メビウス……。お願い、目を開けて……」


 額を寄せて囁いた。ぴくりと少年の指が動く。

 まだ、間に合う。


「……ウィル。少し、離れていて。あなたを巻き込んでしまうかもしれない」


 舞台の端で、監視するように鋭い視線を投げつけている青年に忠告をする。彼が自分の姿に不信感を持っているのはさすがにソラにもわかったが、いまは言い争っているひまはない。


「わたしは、メビウスを助けたい。彼はわたしを何度も守ってくれた。だから、わたしも」

「……わかりました。いまはあなたを信じましょう」


 少しの間があったのは、ウィルが自身を納得させる時間だろう。銀を背負う少女。だが、魔王を消滅させたちからを持つ彼女に、いまは賭けるしかないと。


「ありがとうございます」


 心からの感謝を述べて、ソラは夜空を見あげた。


「……ごめんなさい。あなたたちの、使


 小さく呟いて。

 ソラは、金髪の少年を抱きしめて祈る。

 少女の身体に浮かぶ紋様が、強く発光し始めた。

 二人を中心に、光のドームが広がっていく。雨の光とはまた異なる若葉色の光。それは一気に石舞台を飲み込み、弾けた。きらきらと、暖かな若葉色のダイヤモンドダストが舞ったのも一瞬で、大量の光は二人を取り囲むように渦を巻いて少年のなかへ吸い込まれた。


 刹那の静寂が訪れて。

 少年が、眩しそうに目をあける。太陽の色をした瞳に飛び込んできたのは、美しい空色の髪を持つ少女の泣き顔だった。


「……おはよう。ソラちゃん」


 へらっと、だけどほんのり情けなさを滲ませてメビウスは言う。ソラはなにも言わず、がばっと少年に抱き着いた。そこで初めてメビウスは、自分が少女に膝枕をしてもらっていることに気づく。


「えへ、役得」


 普段の軽い笑みを浮かべて、少年も少女の背中に手を回そうとし、違和感を覚える。


「あれ……痛くねえ」


 腕だけではない。折られた肋骨も、貫かれた足も。身体中が悲鳴をあげていたはずなのに、どこも痛みを感じない。動かすのも支障はなく、ほぼ完治している。


「……うーん。やっぱこれ、夢かなぁ」


 ソラちゃんの羽も消えちゃってるし。

 さわさわと羽の生えていたであろう場所を触る。が、構わずソラは大きく首を横に振って否定した。


「夢なんかじゃない。夢だったらわたしが困る。夢じゃない」

「……そっか。ソラちゃんが言うんだったら現実だ」


 サンキュ、な。

 にひっと笑って少女の頭にぽん、と手を置いた。そこで、自分の手が血で汚れていることに気づき、ソラが血だまりの中で座り込んでいるのを知る。少年の顔が一気に焦りに変わる。


「ソ、ソラちゃん! 名残惜しいけどもう立って! 汚れちゃうからっつーか汚しちゃってごめん! 責任取って洗うから服脱いで!!」

「バカなこと言ってないで、早く起きてください」


 少し離れた場所から聞こえた声に、メビウスはぴょこんと飛び起きた。ついで、ソラの手を持って立ち上がらせる。真っ白だったワンピースも、空色に輝く銀髪も赤く汚れ切っていた。


「ごめん、ほんとにごめんッ! オレの上着も真っ赤だしズタボロだしこーゆーときはかけてあげるのがセオリーだと思うんだけど、ウィル、コート貸して!」

「なんで僕が。そもそも転移陣で帰ればいいことじゃないですか。いつまでのろけてる気です?」

「あーもー。だからお前はモテないんだぜ。雰囲気っつーかムードってーか」

「モテなくて結構。あいにく、そういうことに興味ありませんので」

「……ルシオラにしか興味がない、の間違いだろ?」


 二人のやり取りを眺めながら、ソラはくすっと笑いだす。少女が声をあげて笑い出したのを見て、メビウスとウィルは顔を見合わせ、どちらともなく笑みを浮かべた。


「帰りますか」

「ああ、帰ろうぜ。すっげー疲れた!」

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