27・絶望
「ああああああッ!」
石舞台に響いたのは、金髪の少年の叫び声だった。振り抜こうとした右足に黒いものが突き刺さっている。魔王から伸びた手が一本、ふくらはぎを貫通していた。
……くそッ。
壮年の男に集中しすぎた。
完全に、もうひとつの存在を失念していた。
黒いものは一度、もてあそぶように逆さに吊った身体を振り回してから、ぽいと空中に投げ出す。ぱっと鮮血が鮮やかに宙を舞った。
下にいるのは、ジェネラル。
「小僧。娘のためには命などくれてやると大口をたたいたな。望みどおり、いただくことにしようか」
冷酷に言い放ち、右手をかざす。残った瘴気を一気に少年に向かって放出した。投げ出された身体ではかわせない。せめて、両腕を交差してガードするのが精いっぱいだ。重たい衝撃を殺しきれず、舞台の端まで吹っ飛ばされる。
「……ぁ……ぐ……ッ」
「まだ死んではおらんな」
三つ編みの根本を持ってずるりと少年の身体を引きずると、ソラに見えるように手前へ投げだす。どさっと無防備にメビウスの身体が落ち、衝撃に小さく呻いた。左腕があらぬ方向へ曲がっている。少年のまわりが、みるみる血に染まる。
魔族は満足に動けない少年をちらりと見おろし、ソラへ話しかける。
「娘。魔王様が必要とされているのは貴様だけだ。貴様が素直にこちらへくるというのなら、他のものには手出しはしない。どうかね?」
言いながらメビウスの胸の上へ片足を乗せたのを見、少女は思わず身体を前へ乗り出した。ウィルがすかさず片手をだして、それ以上の動きを制止する。驚いて青年を見たソラに、ウィルは小さく首を横に振った。
「考える時間が必要かね? ならば、少しだけ待とう」
ぐっと足にちからがはいる。もともと折れていた肋骨に加え、残りの肋骨も何本か嫌な音を立てて砕けたのを感じ、メビウスは零れ落ちそうなほど目を見開いて絶叫した。痛み止めの札などとっくに役には立っていない。処理できる痛みの許容範囲を超えていた。
ウィルは黙ってソラを制止している。
「貴様は存外残酷だな。小僧が死ぬより自分が大事か」
「違う……! わたしは」
「だめです、ソラさん。坊ちゃんは、
小さく早口で言ったウィルを非難するようにきっと見上げて――はっと息を呑む。
いつも冷静な青年の眼鏡の奥の瞳には、殺意といっても過言ではない激しい感情が浮かび上がっていた。薄い唇は、いつ噛み切れてもおかしくないほどかたく噛みしめられている。
それを見て、ソラは悟る。死なないとわかっていても、死なせたくないのは青年も同じだと。
わかっていても。
慣れることなんて、ない。
「……お願いだから。坊ちゃんの気持ちを、わかってやってください……ッ」
二人の葛藤を楽しみながら、少しずつ踏む場所を変え、ちからをいれる場所をずらし、足元で必死に暴れて抵抗する少年をじっくりといたぶる。だが、メビウスも大きな声をあげたのは最初だけであとは歯を食いしばって耐えていた。声をあげればソラの耳に届く。彼女に間違った決心をさせる後押しをしてしまう。
だから。
メビウスは太陽を宿したような瞳で、精一杯ジェネラルを睨みつけた。彼の心は、まだ折れていない。
当たり前だ。
ソラがまだ、この場にいるのだから。
折れるわけには、いかない。
「……その瞳。気に入らんな」
ジェネラルの呟きを聞いて、少年の口が勝気な笑みをかたちどる。
「そーかよ。……オレは、けっこー気に入ってるぜ」
ひゅーひゅーと掠れた声で言い放つ。
「お前の、
「黙れ!」
思わず足を大きく振り上げ、蹴りつけた。小柄な身体は簡単に吹き飛び、石舞台の上を血の跡を残して転々とする。咳きこむと、大量の血とともに胸が痛んだ。折れた骨があちこち内蔵を傷つけたのだろう。浅い呼吸を繰り返して、なんとか横向きに転がる。ブリュンヒルデを飲み込んだ魔王の姿が目に入った。
ジェネラルが、ゆっくりと近づいてくる。
身体中の痛みを受け止めて明滅する意識のなかで、はっきりと聞こえる声があった。
仕掛けるなら、いましかない。
「……オレなんか、構ってていいのか? 命がけで、隙間くぐってきたんだろ。……そろそろ、あの出来損ない、壊れるぜ?」
「貴様、なにを言って」
「あんな出来損ないに、いつまでもブリュンヒルデが抑えられるわけがねえって言ってんだよ……ッ!」
掠れた声で叫び、なんとか折れてはいない右手でぱちん、と指を鳴らした。星屑が、魔王を取り囲むように出現する。形はすでにつらら状に変化していた。ジェネラルが目を見開くがもう遅い。
「貫け――ブリュンヒルデ――ッ!!」
星屑が閃光となって、魔王のいびつな身体を切り裂いた。内側からひときわ眩い光が走り、漆黒の胎児は一瞬で爆ぜ、黒い肉片となってばらばらと石舞台に降り注ぐ。黒い雨があがったあと、石舞台に深々と突き刺さるブリュンヒルデだけが残った。
魔王の四散とともにウィルが舞台から飛びおりる。一緒にソラの手を掴むはずが、か細い彼女の手は青年の手をすり抜けてしまった。少女がメビウスに駆け寄ろうと動いたからだ。
それを見て、メビウスは珍しく舌打ちをする。彼にも余裕がないのだ。ソラの動きを敵に気づかれる前に、少年は詠唱を開始する。
「混沌の、外に住まうものよ」
血の味が広がる喉の奥から、必死で声を絞り出す。
「我が、命を喰らいて――光の加護から弾きだせ」
ひどく掠れた声ではあったが、詠唱は成功し左手に赤い魔法陣が浮かぶ。激痛を堪えて動く範囲だけ持ち上げると、ソラを指差した。少年の指先から赤い光がほとばしり、少女の身体を光が降っている場所――石舞台の上から弾き飛ばす。見えない壁にぶつかったような衝撃が身体に走り、ソラは思わず目をつぶる。目を開いたときには、宙に放りだされていた。
下にいるウィルは、転移陣の詠唱に入っている。
これは、まるで。
すべてが、スローモーションに見えた。
夜空色の瞳が、太陽の瞳をとらえる。少年は、もう役目は終わったとばかりにふっと安堵の表情を浮かべた。
「……いや」
やっぱり。
いやだ。
そんな顔、しないで。
浮遊感の中、少年に向かって必死に手を伸ばす。
わたしの前では、二度と死なないって。
魔族の怒号が聞こえる。
不完全な魔王がばらばらになったまま、漆黒の身体を震わせて大量の手を、顔を生み出すのが見えた。
「やめて……ッ!」
小さな叫びとともに、ひときわ大きな鼓動を感じ。
「やめてえええぇぇぇぇぇぇッ!!」
ソラの中で、ちからが弾けた。
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