26・しねないいきもの

 べちゃり、ずちゃり。

 繭から這いだした黒いものが立てる音が森に響く。メビウス、ウィル、ソラだけではなく、ジェネラルでさえも動きを止めてその光景を眺めていた。

 それは。

 成人男性ほどの大きさがある赤ん坊――胎児のような姿をしていた。

 ただし、まだ不完全だ。腹が破れて中身が飛び出しているし、手足も未発達だ。大きな頭だけが目立つ。繭が壊れたため、出てくるしかなかったのだろう。すべて漆黒に染まっているぶん、異様ではあるが生々しくはないのがむしろありがたかった。


「……魔王様」


 震える声でジェネラルが呟く。感情の薄いバリトンでは、怒りなのか感動なのかわからない。だが、壮年の魔族が口にした言葉ははっきりとその場の全員に届いた。


「魔王……? これが?」


 訝し気に目を細め、少年が一瞥する。得体の知れない気味の悪さはあるが、とても魔界の長であるようには見えない。メビウスの疑問を読んだかのように、魔王と呼ばれた物体はぶるりと大きく身体を震わせて――身体じゅうから黒い小さな手を生やした。本来の腕がある場所はもちろん、跳び出た中身からもぶちぶちと生えて好き勝手にゆっくりと揺れている。それが魔王であるかどうかはともかく、未成熟な身体がゆらりとうごめくさまはあまりに醜悪だ。


「魔王様。完全なかたちで復活を手助けすること叶わず、申し訳ありません」


 ジェネラルの言葉に応えるように、それは鳴いた。聞くものすべての心を押しつぶすような、声ともいえぬ音で。


「……魔王かどうかはともかく。ヤバいってのはわかるな」

「ええ。同感です」


 お互い、顔を見ずに確認し合う。


「……ウィル。ダメだったときは、ソラちゃんを連れて一度退け」

「そんな隙があるとは思えませんが。まぁ……坊ちゃんが作るというのでしょう?」


 大げさなため息のしたに隠された本心を知ることなく、メビウスはへらっと笑う。


「こーゆーときは便利だよな、オレの加護。お前になら心置きなく任せられるし」

「便利便利って使わないでくださいよ。慣れていると言っても、限度があります」

「あールシオラにも怒られるしな」

「そういう問題ではないと思いますが」


 そうか? と軽く流した少年にもう一度小さなため息をつくと、ウィルは軽く頭を振った。


「まぁ、ルシオラさんに怒られないよう、せいぜい頑張るとしますか」


 その言葉を合図に、二人は二手にわかれる。メビウスは魔王のほうへ、ウィルはソラのもとへとお互い駆けた。少年の行く手を塞ごうと動いたジェネラルの足元に、ウィルの魔力銃が着弾する。特に魔法はこもっていない。純粋に青年の魔力を弾として発射しただけの攻撃だが、二発、三発と間髪入れずに着弾するそれにほんの僅かだが出足が遅れた。


 その間にメビウスは星屑あしばを打ち込み、大きく跳躍する。


「混沌の外に住まうものよ。我が命を喰らいてそのちからを貸せ――!」


 詠唱に応じ、赤い魔法陣が左手の甲に吸い込まれていく。青い浄化のちからに加え、赤い光によって純粋に斬るちからの増した巨大な剣を振りかぶり、一気に振り下ろした。青と赤の軌跡を残し、刃はいともたやすく魔王を一刀両断する。拍子抜けするほどきれいに分断された身体は、べしゃりと耳障りな音を立てて左右に倒れた。身体中に生えていた手も時間差でぱたぱたと倒れていく。

 あまりの呆気なさに、メビウスは首をひねる。漆黒が放つ嫌な気配は晴れないが、それは真っ二つにおろされてぴくりとも動かない。


 ……なんだ?

 どうしても、振り払えない嫌悪感。

 アレは、防ごうとすらしなかった。

 斬った感触は、ある。

 倒した実感は、ない。

 思わず、きょとんとして右手を見る。


 そんな少年の思考を遮ったのは、一気に膨れ上がった殺気だった。ジェネラルが猛然と剣を振るう。勢いに押されて完全に防戦一方だ。器用に巨大な刃でいなしながら、メビウスは相対する魔族のちからを思い知る。瘴気も魔力も最小限しか持たずに、それでもこちらへやってきた理由。単純に、そんなものがなくとも圧倒的に強いからだ。

 二人が近接してしまうと、ウィルが手を出す隙はなくなる。青年が得意なのはあくまでサポートだ。下手に手をだせば、メビウスに当たりかねない。

 攻めるにせよ退くにせよ、隙を待つしかない。そんな自分に苛立ちを覚える。


「……あ」

「うわッ」


 ソラが小さく肩を跳ね上げた直後、メビウスが珍しく焦りの混じった声をもらした。

 がくんっと少年の動きが止まる。得物が突然びくともしなくなったからだ。自身が握った剣に引っ張られたおかげでジェネラルの切っ先をかわせたのは、運でしかない。続けて斬りあげてくる長剣を避けるため後ろへ跳ぼうと足にちからをいれると、跳ぶ前にずるずると後ろへ引きずられる。引きずられながら、ちらりと刃先へ視線を飛ばした。


「……なッ!」


 剣を絡めとっていたのは、無数の黒い手だった。不完全な魔王が左右にわかれて泥のように広がったままうねり、赤子の手を幾重にも生み出して巨大な刃に張り付いている。手はどんどんと増え、メビウスの手の上まで到達する。漆黒の光のない手に触れられて、心臓を鷲づかみにされたかのような悪寒を感じ、とっさに少年は得物から手を離した。肉薄していたジェネラルの刃を横に転がって避けると、いったん距離を取る。触れられたときの気持ち悪さが、悪寒が止まらない。視界の隅に、ブリュンヒルデを飲み込み、なにごともなかったように胎児の形に戻る魔王が映る。


「……なんですか、あれは……」


 ウィルが呆然とひとりごちた。メビウスの心中も似たようなものではあったが、距離を詰めてくるジェネラルと平然と手を伸ばしてくる魔王の攻撃を避けるので考えるひまもない。


「……あれは、死なない」


 ソラが、ぽつりと呟いたのをウィルは聞き逃さなかった。禁呪の障壁がふわりと消える。


「死なない? そんなもの、どうやって」

。いびつだから」

「……死にかたを、知らない? それはいきもの、なんですか」


 自然、詰め寄るような言いかたになっていた。ソラはふるふると首を横に振る。


「いきもの……だと思う。でも、あのままでは、死ねないの」


 淡々とした言葉とは裏腹に、少女は食い入るように漆黒を見つめていた。夜空色の瞳には、魔王と呼ばれるかたまりに宿る、いびつな魂がはっきりと映っている。

 なにかが、思い出せそうで思い出せないもどかしい感覚。手繰り寄せようと手を伸ばしても、するりとすり抜けて行ってしまう。


「メビウスとは、違う。彼の魂は、とても強いから」


 そう。

 あれは、死ねないだけ。

 呟いて。

 空色の少女は、瞳を伏せた。








 得物ブリュンヒルデが飲み込まれたことにより、少年の不利は圧倒的だった。速さで勝負するスタイルゆえに、剣を弾くものもない。無詠唱で発動できる魔法もなく、ウィルのように一発で魔法を発動させる道具を持っているわけでもない。

 よって、メビウスの取れる行動は相手の攻撃を避けながら素手で応戦するぐらいに限られてしまっている。先の戦闘で傷ついた身体でジェネラルの攻撃をかわし続けるのは、あまりに無謀と言えるだろう。


「貴様は言ったな。私は空っぽだと。いいとも、それは認めてやろう。確かにいまの私は空っぽだ。だが、私以上に魔界はなのだよ。いま誰かが動かねば滅びてしまう。だから、私は!」


 話しながら繰り出される斬撃は、まったくぶれることがない。のけ反り、しゃがみ、転がって刃を必死に避ける。懐に潜り込もうにも、容赦なく振るわれる剣技が早すぎて困難だ。


「だから、なんなんだよ! 魔界のことは魔界のなかでどーにかすんのがスジだろうが!」


 ひゅっと金髪が数本斬られて舞う。浅い斬り傷があちこちにできていた。


「貴様は知らんだろう。あの女……ブリュンヒルデが魔王様になにをしたのか。魔界の入り口を閉じただけではない。あれは、魔王様の身体をばらばらにして、人間界こちらがわへ捨てたのだ。瘴気のない、人間界へ」


 魔界の危機に、取り戻したいと思ってはいけないのかね?


 それは、とても真摯な思いだった。

 一瞬、言葉を失う。


 ――彼女にとっては仕返しも含めての選択だったんじゃねぇかな。


 いつだか、ルシオラに言った言葉が思い出された。

 まさか。

 オレは、なんのために。

 ……だけど。


「……だとしても、それにソラちゃんがなんの関係あるんだよ。彼女を巻き込むなら、オレは何度だって立ちはだかってやる! 命でも魂でもくれてやるよ!!」


 上からの斬撃を吠えながら避け、返す刃が下から斬り上げるタイミングを狙って。

 刃の腹を蹴って飛びあがる。勢いそのまま、魔族のこめかみめがけて一気に足を振り抜いた。

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