25・反撃
声を押し殺して泣き続ける少女の背中に左手をまわして支えながら、メビウスはふっと笑顔を消してじっと前を見る。
ブリュンヒルデ開放の光を至近距離からまともに食らった黒いものは胎動をやめ、形が半分ほどなくなっていた。石舞台に浮かんだ魔法陣も地面ごと削られている。動きが止まったのは、おそらくそのせいだろうとメビウスは見当をつけた。
胎動しなくなったおかげで、少しだけ重たい空気が晴れたような気がする。しかし、それはまだ気持ちの悪い存在感をともなって石舞台にこびりついており、なにより得体が知れない。残ったものが崩れないということは、動けないまでも死んではいないのだろう。
そして、もう一人。
ジェネラルの姿が見えない。
メビウスが飛び込んだとき、壮年の男の姿は確かに黒いものの近くにあった。確実に巻き込んだはずだが、どこにも見当たらない事実が少年の心をざわつかせる。
ジェネラルは、魔力も瘴気も感じさせない。詠唱もない。唯一攻撃動作だとわかるのは、対象に向かって手をかざすぐらいだ。そしてその攻撃も不可視。
最初の一撃で伸びててくれたらいーんだけど。
ちらりとそんな都合の良いことを考え、すぐに捨てた。見当たらないのなら、いまのうちに確かめておかねばならないことがある。
「……ソラちゃん。君には、ジェネラルの攻撃が見えるの?」
髪飾りが光る耳元へ囁く。ソラはその名前を聞いてびくりと肩を震わせたが、小さく頷いた。
「あの女の人を撃ったのは……魔獣たちの魂。たくさんあった魂を使って、攻撃したの」
「…………」
「魂は命の源で、大きなエネルギーを持っている。生きるために、必要なエネルギー」
「生きるために必要なものを、殺すために使ったってわけか……」
うつむいたソラの表情は、わからなかった。
「魂はどの世界でも共通で、心を生かすために使われてる。だけど、高エネルギー体であることは間違いないから、使おうと思えばあんなふうに使うこともできる。でもそうやって消費してしまったら、魂は消滅してしまうわ」
初めて話したときのような、色のない声音で淡々と言葉を紡ぐ。が、少女はなにかを堪えるようにメビウスの上着をぎゅっと強く握りしめた。あのときソラは、舞い上がる雪にも似た輪廻する魂をきれいだと言いながら見つめていたのを思い出す。
「……それは、ソラちゃんの記憶? 知識?」
言われてソラはきょとん、と彼の顔を見上げた。わからない、と少女の顔いっぱいにこれ以上ないほどわかりやすく書いてある。
「前に話したときもそうだった。魂や命については詳しい。それは、ソラちゃんの記憶に関係があるんじゃ……」
気配を感じて言葉を途中で切り、メビウスは少女をおろした。小声で素早く詠唱を終える。
「混沌の外に住まうものよ。我が命を喰らいて護りの障壁を成せ」
ソラの足元から、禁呪の赤い魔法陣が広がる。赤い光は、ふわりとシャボン玉のようにソラを優しく包み込んだ。
「禁呪っつってもオレ、魔法得意じゃねーから。ウィルのみたいに安心できねーかもしんないけど」
近づかせねーから。
へらりと笑って、背中を向ける。
「メビウス……わたしもッ」
いつも守られてきた。
守られてばかりで、傷つかせてばかりで、そんな自分がとても歯がゆい。
「ソラちゃん。この辺に魂はある?」
「……ない、と思う」
そっか、と少年は明るく返して。
「サンキュな」
背中越しに手を振った。
「やっぱり、解放の光で伸びてたってわけじゃねーよなー」
いまだ動きをみせない黒いかたまりの影から姿を現した壮年の男を見つめ、メビウスはひとりごちた。
「貴様は自分がなにをしたか、わかっているのかね?」
ジェネラルの声には明らかに怒りが含まれていて、少年は確かな手ごたえを感じる。身体的ダメージを負わすことができたかどうかは定かではないが、なんらかの精神的ダメージは与えることができたようだ。揺さぶれば隙が生まれる。チャンスができるかもしれない。
「ソラちゃんを助けにきただけだぜ? ついでに、その気持ちの悪いやつ壊しちまったけど」
へらっと薄く笑って挑発する。正直、メビウスもこの程度で相手が乗ってくるとは思っていなかったのだが。
なにも言わず、ジェネラルが剣を抜いた。放たれる殺気だけで体感温度が二度ほど下がったような気がする。つ、と冷や汗が頬を背中を流れていく。
魔族が右手に持っているのは、なんの変哲もない長剣だ。構えるまでもなく、無造作にただ持っている。歩きながら少年に向かい、静かに左手をかざした。
その動作を見て、メビウスは魔族に向かって地面を蹴る。飛んできた瘴気のかたまりを得物でなんなく弾くと、勢いに乗って一気に振り下ろした。ギィン、と金属がぶつかる音がして火花が飛び散る。
「二度も生き延びるチャンスがあったというのに。よほど死にたいとみえる」
「守るって決めたからな。ソラちゃん置いて帰れねーんだよ」
「ならば、今度こそ死ね」
「無理かな。オレは
にっと少年の口の端が上がる。
長い三つ編みと、軍服にも似たコートがなびいたのは同時。
甲高い音を響かせて、二人はもう一度激突する。
ジェネラルの剣技は正確だった。美しく洗練された剣さばきに豪胆さを乗せて、無駄のない攻撃を仕掛けてくる。怒涛の勢いで繰り出される剣技を紙一重でさばきながらも、メビウスはなぜ相手が物理一辺倒になったのか不思議に思う。この辺りに魂はないとソラは言ったが、陽動の星屑もすべて剣で弾き落とし、守りにも魔法を使う気配がない。
少年とて、利き腕を負傷し身体も騙し騙し酷使している状態だ。相手が無詠唱の魔法を使わないのなら、それにこしたことはないのだが。
やはり、違和感がある。
剣を交えながらも、ジェネラルから瘴気を感じることはなかった。魔族である証の
それなのに。
なぜ……!?
ふと。
メビウスの脳裏に、ひとつの仮定が浮かぶ。
――ああ。
そうか。
「お前、ほとんど
「なんのことかね?」
「瘴気も、魔力も。隠してるんじゃない、
ギリギリで斬り結びながら、少年はまくしたてる。対する男の顔は無表情のままだ。
「隙間をとおれるのは瘴気の比較的少ない魔獣ぐらいだ。だから、邪魔な瘴気も魔力も隙間をとおり抜けられる限界まで
「よく喋る。仮にそのとおりだとして、そこまでしてこちらへ出向く理由はあるのかね」
「……ただの旅行、なわけねーよな」
ありえない言葉を呟きながらがッと大きく水平に刃を払い、ジェネラルを後方へ吹き飛ばす。追撃の星屑を避けるように魔族は後ろに距離を取った。剣戟の音が止んだ森の中に、メビウスの声が静かに響く。
「
答えはない。沈黙は、応か否やか。
ぱっと見には、明らかに息が上がっているのは満身創痍の少年のほうだ。大きな剣も、右腕一本で振り回すのは限界になり、両手で扱っている。
「お前の……いや、お前ら魔族の目的なんか知るか。ただ、あの黒いやつを使ってなんかやらかそうってのはわかる。それにソラちゃんを巻き込みたいのもな。オレはそれが気に食わない。だから、ぶっ倒す」
肩で息をしながらも、メビウスは真っ直ぐにジェネラルを見上げて告げた。
「目的がわかったところで、お互い仲良くなれる気もしねーしな」
言って、わざとらしく頭をさする。暗に、
「なるほど。確かに。互いの目的など知っても無意味か」
「そーゆーこと」
にまっとメビウスも目を細めて笑う。
突如、石舞台を囲むように白い光を放つ柱が五本、夜空に向かって伸びる。柱同士がぐるりと光の線で繋がり、中央へ向かって文字や記号をえがきながら進んでいく。あっという間に、石舞台の上空に煌々と輝く魔法陣ができあがった。
「やれ、ウィル!」
メビウスの声に、詠唱のラストが重なる。
「災厄を洗い流す――浄化の雨を降らせよ!」
辺りが、昼間のように明るくなった。枝葉から零れ落ちる木漏れ日のように、暖かな光が石舞台に降り注ぐ。雨に打たれて、初めてジェネラルから余裕が消えた。
無数の光に穿たれ、沈黙したままの黒いものも一瞬咆哮をあげたような気がする。雨が当たった箇所からは黒い霧のようなものが吹きだしていた。表情をほとんど動かさなかった魔族の顔に、憤怒の形相が浮かぶ。
「貴様ッ!」
「……
読めない笑顔を貼り付けたまま、少年は言う。
「空っぽの身体には、結構効くだろ?」
「たかが人間風情がこのような術式を使うなど……ッ! 成長するちからがなんだと言うのだ!」
「人間風情。そーやって見下してっから、お前らずっと変われねーんだよ」
二千年だぞ? と呆れた口ぶりでジェネラルを見やる。
「よーく考えてみろよ。長い年月を生きるお前らにとっても、一瞬だって言える時間なのか?」
それは、メビウス自身にも当てはまる言葉だ。彼には正直、長いのか短いのかよくわからない。この先のことを思うと、自身の過ぎた二千年が果たしてどちらなのかなどまだ結論は出せなかった。しかし、人間にとっての二千年とは果てしない時間なのだと、この世界で一緒に生きていれば理解はできる。
「研究を重ね、知識を蓄え、効率よく魔法を使うにはどうしたら良いか。長い長い時間でしたよ。僕たちは脆弱ですからね。学び、考え、進化することぐらいは大目に見てもらわなければ」
舞台の上へゆっくりとのぼってきたウィルが、皮肉を交えた。
「さて、
ざっと少年が剣を構える。得物が大きいため、刃先は斜め下を向く。が、これが彼の自然な構えだ。ジェネラルも怒りの表情をあらわにしたまま、初めて長剣を正確に前に向ける。それだけ、余裕がなくなってきたということだろう。一瞬、忌々しそうに上空の魔法陣を睨んだ。
じりっと二人の足が動く。斬り込んだのはやはり同時だったが、魔族には前ほどの速さがなく雨によって削られているのが明白だ。メビウスが巨大な剣を下から斬り上げようとした瞬間。
光すら飲み込む漆黒が、二人の間で雨を切り裂く。のけ反るようにしてかわせたのは、もはや勘ですらない。経験からくる反射のようなものだ。
肌が粟立つ感覚を押し殺し、メビウスは朱色の瞳でゆっくりと視認する。
黒いものが、動いていた。
――どくん、と。
もっとも濃厚な闇をまとわりつかせて。
それは、繭からずるりと這いだした。
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