23・ルシオラの思惑

 地図の上に、青い点が浮かぶ。見守っていたルシオラは、すっと目を細めた。

 青ということは、メビウスが連れてきた少女だ。彼女が少年たちから一定以上離れたときに、地図上に信号が送られてくるようリングに魔法をかけている。

 青い点は一定速度で森の奥のほうへと向かっていた。さきほどまで充満していた瘴気とは違う、得体の知れない嫌な空気――魔界の空気である瘴気をもっと濃密に圧縮したような、どろりとして気持ちの悪いもの。その中心へ、青い点は動いているようだ。

 さて。


「これは、どちらだろうな」


 ひとりごち、ゆっくりと脚を組み替える。

 少女が自ら一人になった可能性。この妙な空気が充満しているなかで、メビウスがそれを許可するとは到底思えない。自然に考えるなら、魔のものに連れ去られたと考えるほうが妥当だろう。

 だが、ルシオラは少年ほど少女を信用していなかった。外の世界を見ても驚かず、メビウスの加護についても素直に受け入れる。自身が記憶を持っていないことに関しても、他人事のように淡々と語った。常識がないとか柔軟とか、すでにそんなレベルではない。

 そして。

 少女の記憶は、ルシオラにも視えなかった。

 メビウスが雨の日の夢を見ているとき。彼女は、ソラの意識へ潜ってみたことがあるのだ。記憶はもちろん、少女の素性に関する僅かな手がかりでも見つからないかと潜り――。


 ――


 少女の中に潜む、圧倒的ななにかによって。

 全身が凍りついたように冷え切り、震えが止まらなかった。アレがいったいなんだったのか、最果ての魔女ですら、未だに予想すらできない。自分たちにとって、良いものなのか悪いものなのか。そんな簡単な問いの答えすら、出てこないのだ。

 だから、少女が一人になるのを待っていた。

 自分たちにとって……否、利用できるものなのかどうかを見極めるために。








 誰かに、呼ばれている気がする。

 ふうわりと、少年の意識は上昇していった。

 雨の匂いは、しない。


「……坊ちゃん。しっかりしてください坊ちゃん!」

「……いってー……。ウィル?」


 うっすらと開いたまぶたの奥で捉えたものは、見慣れた眼鏡の青年の姿だった。少年が気が付いたことにほっと安堵の息をもらすウィルを見、メビウスは不思議そうな表情を浮かべる。


「お前、なんで……オレ、は――」


 魔族と戦って……。

 ソラちゃんが――。


「……ソラちゃん」


 ぼんやりとしたままだった焦点が合う。目を見開いてきょろきょろと忙しく辺りを見回し、ウィルに縋りつくようにたずねた。


「……ウィル。ソラちゃんは? オレ、どれぐらい寝てた?」


 返答はない。だが、青年がぐっと悔し気に顔を歪めたのを少年は見逃さなかった。


「ちょ……坊ちゃん。なにやって」

「なにって、追いかけるんだよ。お前だって感じるだろ、この嫌な空気」


 自身がもたれかかっていた木の幹を支えにして、なんとか立ち上がった少年に結局肩を貸したが、それだけで息が上がっているメビウスに怒声を浴びせずにいられなかった。


「馬鹿も大概にしてください! そんな身体で追いかけて、なにができるっていうんです!」

「追いかけなかったらなにもできねーだろ!」

「追いついたってなにもできませんよ! まずは応急処置をして、頭を冷やしましょう。これからどうするかは、そのあと考えたほうが効率がいい」


 ぴしゃりと言い放ち、少年を放り出すと応急処置に必要な道具をコートから取り出してさっさとそろえていく。彼のコートの中がいったいどういう仕組みになっているのか気になってしょうがないのだが、どうやら代々続く企業秘密だとかでずっとはぐらかされ続けていた。

 勢いを削がれ、とすんと腰をおろす。同時に、怒りでさほど感じていなかった痛みがどっと襲ってきた。脇腹は熱を持っているし、頭はがんがんと内側から岩でもぶつけられているかのようだ。


「……悪い。確かに、お前の言うとおりだな。身体中痛えや」


 苦笑いを浮かべ、脇腹を押さえた。


「あー……。多分これ折れてんなー。つーかほんとよく生きてたわ、オレ」

「僕なら死んでます。これだけの怪我なら……いっそ」


 続きを口にする前に、太陽の瞳が鋭い光を帯びて手当てをしている青年を貫く。だがそれも一瞬で、少年はどこかぼんやりと前を向いた。


「それはダメだな。怪我が治るにしても、タイムロスがでかすぎる。あと、もしほかの魔族まで出てこられたら厄介だ」

「いまのは失言でした。軽率に言うべきことではありませんでした。申し訳ありません」

「勘違いすんなよ? 仮に死に戻って、ベストな状態でソラちゃんを助けられるならそうするよ。ただ、いまはそうじゃねえから死ねないってだけの話だ」


 いったいなにを考えているのか。朱色の瞳はやはりぼんやりと宙をさまよっている。しばらく、されるがまま手当を受けていたが、特に青年のほうを向くこともなくふと口をひらいた。


「……なぁ。お前、あいつがいったいなにをしたのかわかったか?」

「いえ……。坊ちゃんが防護陣プロテクトを破ったあとの、瘴気を爆発させたものしかわかりませんでした」


 そうだよなぁ、と覇気のない声でメビウスも同意する。


「最初、エグランティアを攻撃したとき。次のオレへの一撃。どっちもなにをしたか見えなかったし、わからなかった。でも多分、んだと思う」

「え?」

「あいつがオレに向けて手をかざしたとき。ソラちゃんの顔色があからさまに変わったんだ。あれ、ソラちゃんにはヤツがなにをするつもりかわかったからじゃねーのかな」


 包帯を巻き終わった頭を軽くさわり、胡坐をかいて左手で頬杖をついた。ただでさえ傷ついていた右腕は、剣を振り切った無防備な体勢で爆発に巻き込まれたため、もとの傷も大きく抉られたりあちこち打撲も加わってまさにぼろぼろである。状態を確認したウィルが思わず顔をしかめたのも、頷けるというものだ。


「ああ、そこは止血だけでいーや。折れてねーし、ちゃんと腕がついてんだ。とりあえず剣が握れればそれでいい」


 オレが突っ込んだ結果だしな、とやっといつもの笑みを少しだけ見せて話を戻す。


「あと、さ。魔族のやつら、最初はソラちゃんに容赦なく攻撃してただろ? でも今日は違った。エグランティアはなにも知らなかったみたいだけど、ジェネラル……あいつはソラちゃんを巻き込まないようにしてた。自分がソラちゃんを確保してから、デカい魔法を使った。なんでだ?」


 問いかけておいて、答えを待っていない。


「おそらく、あっちの事情が変わったんだ。少なくとも、殺しちゃダメなんだ。だから連れ去った。……とまあ、オレなりに頭冷やして整理してみたんだけど、どーしたもんかな」


 頬杖をついたまま、深くため息をつこうとして咳きこんだ。折れた肋骨を内側から刺激したのだろう。浅い呼吸を繰り返して息を整えると、ゆっくり小さくため息をつく。


「整理したところで、こんな調子じゃソラちゃんに笑われんな」


 自嘲気味に呟いて、目を閉じる。高ぶっていた怒りも痛みも、少しだけ落ち着いた。とにかくどれほどの時間が経ったのかが気になってしょうがなかったが、ふと思い出したように頬の傷を触る。


「こんだけ血が出てるってことは、そんなに寝てたわけじゃねぇな」


 血は流れていないまでも、固まってはいなかった。指についた、鮮やかな血の色を見てひとりごち、まだ間に合うと自身に言い聞かせる。


「じゅうぶん出血多量ですよ。本当は即連れて帰りたいです。でも坊ちゃんは、それじゃあ納得いかないんでしょう?」


 テキパキと慣れた手つきで上半身を裸にすると、さっさと肋骨を固定し始めた。患部を無造作に触れられて思わず大きな声が出たが、構わず処置を続けるウィルをメビウスはへんなものでも見たような表情で、大きな瞳をぱちぱちさせる。


「いて、いた、痛いって! ……そのとおりだけど……説教はねぇの?」

「いまは、ありません。あ、このお札には痛みを和らげる効果があるそうです。一緒に巻いておきますが、あくまで痛みを和らげるだけで怪我が治るわけじゃないですからね。ムチャはしないでください」

「……どーも。ルシオラの道具?」

「そうですよ。こんなことになると思ってませんでしたから、一枚しか持ってきていません。他の箇所は気力でなんとかしてください」

「あー、それは慣れてる」


 苦笑いを浮かべて服を着直し、剣を固定するベルトを手に取った。鞘に収まった得物は、小振りなサイズに戻っている。メビウスはゆっくりと、鞘から剣を引き抜いた。


「……ん?」


 見慣れないものが見えた気がして、少年は目を細めて剣を近づける。薄い刃の側面に、赤黒いものがこびりついていた。乾いた血によく似ているが、さすがに血が残るほど剣の手入れを怠ることはない。

 ということは。


「……届いてたんだ」


 ぽつり、と言葉をもらす。ウィルが訝し気に片眉を跳ねあげたが、少年の目には入っていない。

 防護陣を破った、あのとき。

 完璧にカウンターをもらったと思っていた。爆発で受けた衝撃が大きすぎて、斬った感触もわからなかった。

 だけど、届いていた。どんなに小さな一撃だとしても、少年の刃は届き、ジェネラルを傷つけた。その事実に変わりはない。

 刀身にそっと触れる。こびりついていた血は、簡単にこすれて落ちていく。


「どーしたもんかな……?」


 整理しながら呟いた言葉を、まったく違うニュアンスで口にして。

 メビウスは、にっと楽しそうに笑った。

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