21・死ぬ覚悟、生きる覚悟
ぽつりぽつりとエグランティアが話した内容は、メビウスが露店の少女――フィリアから聞いていた話とはかなり違うものだった。
最初は同じだ。両親を亡くし、姉であるエグランティアが城下町の屋敷へ働きにでていたこと。月に一度の休暇に、妹のもとへ帰ってきていたこと。妹に装飾品の作り方を教えたことや、珍しい材料をプレゼントしていたこと。
問題は、そのあとだった。
「帰り道で人買いに捕まって、それこそ地獄のような日々だったわ。でもね、売られた先が本当の地獄だったのよ」
彼女が受けた仕打ちがどのような類いのものだったのかは、血の気を無くした唇が、ありありとものがたっている。
「隙をついて私は逃げ出したわ。死に物狂いで逃げたけど、結局捕まってもう飽きてきたところだったからって最後の遊びだって、何人も何人も……」
聞きながら、メビウスは気持ちのやり場を探すように拳を握ったり開いたり、がしがし頭をかいてみたり忙しい。単純に腹が立っているのであるが、どんな気持ちで聞けばよいのかわからないのである。
「……ひどい時間も過ぎて、ひとりぼっちで放置された私はもうこのまま死ぬんだって思った。そんなときに聞かれたのよ」
――君はまだ、生きていたいかね?
突然かけられた柔らかなバリトン。しかし、彼女はそのとき首を横に振ったという。
「だって、こんな身体で生きていたって、なにもできないもの。あの子にも、迷惑をかけるだけだもの」
そう呟いたエグランティアに向かい、彼は囁いたのだ。死を受け入れようとしていた彼女を、異形に身を落としてまで復讐に走らせた言葉を。
話が終わり、訪れた沈黙を破るようにぱん、と軽い音を立てて
「あまり怪我はしないで欲しいんですけどねぇ、坊ちゃん」
「はいはい。まーこんくらいなら許容範囲だろ」
「そうですか? まったく、勢いで突っ込むから」
ああいうときは、相手が疲れるまで待つのが定石でしょう、とぼやいてウィルは包帯を取り出す。
「ま、結果オーライだったからいーじゃん」
いつもどおりのへらっとした笑顔で言う。小言を言うのも馬鹿らしくなり、ウィルは無言で包帯を巻いた。普段よりちからを込めて巻いてしまったのは、ほんの少しの腹いせである。
上着を羽織りなおし、包帯を巻いた右腕をぐるぐると動かして「ちょっとキツくね?」とぼやいたあと、不安げなソラに向かって満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。こんくらいならよくあるし、それにちゃんと止血もしてもらったしな」
少女の頭にぽんっと手を乗せて言い、立ち尽くしたままのエグランティアへ声をかける。
「ツラい話させちまってごめんな。あとはこっちで引き受ける。お前はこれからどうするか考えないとなんねーだろ」
あまりにもさっぱりと言い切ったメビウスに、エグランティアはあからさまに動揺した。
「でも、元はといえば私が……!」
「お前に殺されたオレがいいって言ってんだ。それ以上の被害は出てないってさっきも言ったろ?」
「坊ちゃんは言い出したら聞きませんので。説得するのは無理かと」
「そーゆーこと。諦めろ」
「そこ、胸張るところじゃないですから」
ウィルに突っ込まれてへらりと笑った少年をきょとんと見つめ、エグランティアは肩に入っていたちからを抜いた。この少年の捉えどころのない笑顔には、どうやら毒気を削ぐ効果でもあるのだろうか。
「あ、そうだ。お前、魔族がなんでソラちゃんを狙ってるか知ってる?」
そうだ、で聞くようなことですかね、と眼鏡の青年が呆れている。エグランティアは首を横に振った。ただ襲えと言われただけで、理由など聞いていない。
「私が言われたのは、自身のかけらを使って魔獣を増やすことと、増やした魔獣でラゼルの街を襲撃させること。それ以外はなにも聞いてない……」
結局、なんの役にも立たないわね、と自嘲気味に呟いて地面を見る。
ソラはうつむくエグランティアのそばへ行くと、顔を見上げた。
「上のお墓……。あれはあなたのお墓ね」
自分の話をしていたはずなのに、ソラの興味はそこなのだった。メビウスですら一瞬目を丸くして首を傾げたが、ソラの突拍子もない行動や感情は一日付き合って特に驚くことでもないかと納得する。
無感情な紅い瞳でソラを見つめ、エグランティアは右手で顔を隠して頷いた。
「……人間だった、私のお墓。私なりの、けじめのつもりだった」
「けじめ?」
「でも、本当はなんの覚悟もできていなかったんだわ。死ぬ覚悟も、生きる覚悟も、なにもかも」
「そう」
空色の少女は、みじかく返しただけだった。夜風が、通りすがりに少女の長い髪を持ち上げていく。反射的に髪を押さえようと頭のうえに手をやり、髪留めに触れた。
ソラの手が、止まる。
「……わたしが、これを持っててもいいの?」
その言葉は、エグランティアにとって意外なものだったのだろう。顔をあげ、逡巡する。ひとときの間をおいて、彼女は「いいわ」と言った。
「あなたが持っていて。あの子の前でつけて見せてあげたほうが、フィリアも喜ぶと思うから」
エグランティアの言葉に、ソラが返事をすることはなかった。なぜなら二人の会話に割り込んできた声があったからだ。
「話しすぎだな、エグランティア」
ふいに聞こえたバリトン。森の奥から、帯刀した壮年の男が姿を現した。特におかしな気配は感じないが、威圧的な空気を放っている。ぴりっと緊張がその場を走り抜けた。
エグランティアが目を見開き、一歩よろめくように後退する。震える唇が、なにごとか言葉を紡いだ。
メビウスの見間違いでなければ、彼女の口はそんな言葉を言ったように見えた。
「気まぐれで人間に植えてみたが、所詮この程度か」
感情などどこにもない。鉄壁の無感情無表情で言い放ち、男の姿がかき消えた。
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