20・エグランティア

「……そうか。じゃあ、一つだけ聞く」


 少年の静かな声に、エグランティアは首をかしげた。


「お前は、そうなるとわかっていて受け入れたのか?」


 真っ直ぐに見つめる太陽の瞳を、銀色が受け止める。


「そうよ。私は望んで受け入れた。後悔なんてしていない」


 涙を流しながら言い切った彼女の言葉に、メビウスは「わかった」とみじかく返して星屑を振りまく得物をしっかりと構え直した。


「それなら、遠慮はいらねーな。全力でぶっ倒す」







 星屑と銀色が激しくぶつかり火花を散らす。純粋なちからだけならメビウスのほうが上だ。だが、直線的ではないエグランティアの攻撃を防ぐのには読みや勘も必要となる。何度も衝突を繰り返し、跳ね返してはまたせめぎ合う。銀の咲く左目を間近で見ても、少年はもう動揺することはなかった。


 遠慮はいらねーな、とは言ったものの。

 数度刃を交えただけでわかった。相手は魔族としてのちからを手に入れたとはいえ、元はただの人間だ。戦いの経験も、知識も持っているわけではない。複雑に動く茨の先さえ読めれば、正直手強い相手ではなかった。


「お前、あのときよくオレを殺せたな」


 素直な感想をしれっと口にする。


「あなたが勝手に飛び込んできたんでしょう。腹が立ったからちょっといじめてあげたけど」

「あー……。かなりぐちゃぐちゃだったって怒られたぜ」


 エグランティアの狙いはあくまでもソラだ。少年に話を合わせながら防護陣に守られたソラを横目で見やり、その髪にきらめくものをみつけてエグランティアの顔色が変わる。


「どうして! なんであなたがその髪飾りを持ってるのよ!」


 怒りに満ちた叫びとともに繰り出された攻撃は、すべてソラのもとへ向かった。しかし、地面から伸びた茨はウィルが、左手の銀の茨はメビウスによって防がれる。


「なんでって、あれはオレがプレゼントしたもんだ! ちゃんと金も払って――」


 ふと、エグランティアの顔に、露店の少女の顔が重なる。

 ――最近、お姉ちゃんあまり家に帰ってこないの。

 ――時々、材料とか持ってきてくれたんだけど。

 似ていないのに、なぜか重なる。

 そして、最初に言いかけた名前は――。


「……うそ、だろ?」


 呆然と、メビウスは呟いた。

 髪の色も、目の色も違う。幼女と呼んでもおかしくない年齢の妹がいるようにはとても見えない。だが、さきほど彼女は自分で言っていたではないか。

 種を受け入れたら、誰もが振り向くようになった――と。

 それは。


「坊ちゃん!」


 パァンと後ろで銃弾が炸裂する音がした。剣で抑え込んでいた銀色の茨がばらけ、少年をかすめてソラへと伸びていたのだ。脱水ディハイドレイトの銃弾を受けた茨が、水分を失って急速に枯れていく。


「集中してください! また死にたいんですか!」

「……んなわけあるか! オレは、ソラちゃんの前では二度と死なねえって誓ったんだよ!」


 ウィルの言葉と、自身をかすめて傷つけていったチリチリとした痛みに思考が鮮明になる。伸びる銀色を、雄たけびと共に一振りで断ち切った。飛び散る星屑を剣に当て、エグランティアへ向けて一気に跳ね飛ばす。短くなった左腕での防御は分が悪いと踏んだのだろう。エグランティアは星屑を回避して距離を取る。


 メビウスは、追わなかった。ウィルが怪訝な表情で少年を見やる。


「お前、妹いるか?」


 メビウス以外の三人には、問いの意味がよくわからなかった。ただしエグランティアと、ウィル、ソラの二人とではわからないの意味合いが違う。


「……どうして、そんなこと聞くのよ」

「いいから答えろ……ッ。妹は、いるのか?」


 低く感情を抑えた声音。有無を言わせぬ強い光をともした朱の瞳に、エグランティアは思わずたじろいで一言だけ口にした。


「……いた、わ」

「いた?」


 過去形に首をひねる。憎悪をたぎらせた紅い瞳を悔しそうにゆがめて、女は答えを返した。


「死んだのよ。……殺されたの。あの街のやつらに」

「……ん? いや、生きてるぞ。オレの勘に間違いなければ」

「勘……? そんな適当なもので話をしていたの?」


 ざわり、と断ち切った左腕が再生していくのが目にはいったが、メビウスは話し続けた。


「お前の妹、薄い茶色の髪に緑色の瞳の、まだ十になるかならないかぐらいの女の子だろ」


 背の高さはこんくらい、と自分の胸辺りに手をかざす。


「正直、いまのお前とは似てない。だけど、種を受け入れる前は違ったんじゃねーか? 魔獣になっちまった動物の見た目が変化するのはよくあることだ。だったら、人間だって見た目が変わったっておかしくねーよな」

「……それも、勘? 本当に確証のない話だわ」

「ああ、勘だよ。でもお前、元人間ならわかるんじゃねーかな? っていうやつ。もしかして、顔立ちだけ幼いのはそこだけ元のまま――」

「勝手な解釈しないで! 私は、もうあの頃の私じゃない!」


 叫んで、再生の終わった左腕を思いっきり振りおろす。何本もの茨が絡みつき一本の枝のようになりながらも先端が大きく開いているさまは、まるで巨大な手のひらのようだ。少年を握りつぶそうとする手のひらを、彼は剣を使わずただ避ける。


「……本当に。また、死にたいんですか」


 メビウスの意図を悟り、眼鏡の青年は飽きれ半分で呟いた。ソラが心配そうにウィルを見上げる。


「坊ちゃんはね。もう、彼女を倒す気なんて微塵もありませんよ」


 彼の言葉を聞き、ソラは目をぱちくりとさせた。ウィルはちらりとソラを見やると、大げさにため息をつく。


「まぁもともと。話ができる相手とはなるべく戦いたくないんですよ、坊ちゃんは」

「……そういえば、さっきも話してみようと思うって言ってた」

「さっきとは?」


 器用に片方の眉毛を跳ねあげて、ぼそりと問う。


「結局、話し合いじゃなくなっちゃったんだけど」


 少女の話を聞いて「やっぱり厄介事に巻き込まれてたんじゃないですか」と胃が痛くなるのをこらえ、もう一度深いため息を吐きだした。


「その程度の相手なら、それでいいんですけどね。先ほど、相手に隙があったのに追撃しなかった。いまだって攻撃に合わせて守りはしてますが、基本的に避けてるでしょう。あれは、相手が疲れるのを待ってるんですよ。疲れたところを隙をついて動きを封じる気です」


 僕個人としては、死なないためには戦って欲しいんですけど、という本音を飲み込み少年を見る。

 必要最低限の動きでかわし、巨大な剣は茨を弾いたりガードに使用するだけだ。星屑を目くらまし程度に飛ばしたりはするけれど、決して自分から仕掛けない。しっかりと応じるのは、言葉のやり取りだけだ。


「あれを作ってくれたのは、お前の妹だ! 彼女はお前のことをずっと待ってる! 妹がいる街を襲うだなんて、いったいなに考えてんだよ!」


 怒鳴る少年をきっと睨みつけ、エグランティアはさらに激昂した。


「あの子が生きてるですって!? あなたの勘ひとつで、信じられるもんですかそんな嘘!」

「んな悪趣味な嘘をつくかっての! 話を聞けバカ女!」


 怒りにまかせて振るわれた左腕。その左腕と自身の間に巨大な剣ブリュンヒルデを滑りこませて地面に突き刺すと、メビウスは得物から手をはなした。一瞬の動揺をついてそのまま突っ込むと、エグランティアの右手首と胸ぐらをつかんで抑え込む。慌てて呼んだ茨が少年の頬をざっくりと裂いて胸ぐらをつかむ右腕に巻き付き、腕を引きはがそうとするがびくともしない。棘がぶつぶつと刺さり、袖に血が滲んだ。


 それでも表情一つ変えず、金髪の少年は静かに言う。彼女の、銀色の花が咲く瞳を深く覗き込んで。


「お前の妹は、生きてる。あの髪飾りは今日買ったんだ。お姉ちゃんに作り方を教えてもらったんだって、あまり帰ってこなくて寂しいけど人前でなんて絶対泣かないって、そう言ってた」

「……うそ、よ」


 弱々しい否定の言葉をはいて、エグランティアは虚ろな笑みを浮かべた。


「だって、あの子は死んだって、聞かされたもの。私が会いに行ってあげられなかったから、私がもたもたしてたから、あの子は、誰にも助けられずひとりで死んだって」


 ちからなく、銀色の左腕がだらんと垂れる。少年の右腕に巻き付いていた茨もぷつんと切れた。


「だから。だから、私は」


 ――君は、まだ生きていたいかね?

 感情のこもらない冷たい声が、脳裏によみがえる。


「死んでもいいって思ってた。でもあの子を――フィリアを見殺しにしたやつらに復讐できるちからをくれるってあのかたは言ったのよ。だったら……! 死ぬ前に復讐してやったっていいじゃないって……ッ!」

「…………」

「それは、いけないこと? 望んじゃいけないこと?」

「……いけないことだよ。それだけは、いけないことだ。きれいごとなんかじゃねえよ」


 いけないことなんだ。

 噛んで含めるように、メビウスは何度も同じ言葉を繰り返した。


「わかるなんて言うつもりはない。だけどオレ、お前みたいなのたくさん見てきたから……。だから、復讐を果たしたあとになにが待ってるかも、見てきたから」

「見てきたって……あなた」


 メビウスのまだあどけなさを残す顔を見てまた声を荒げかけたが、彼が目の前にいること自体が本来あり得ないのだという事実を思い出して紅い目を見開く。


「まさか……あなた、いったいいつから……」


 呆然と声を絞り出したエグランティアに向かい、へらりと苦笑を浮かべて首をかしげた。


「さあ。ただ、これだけは言える。復讐を果たしたやつらに、おめでとうって声をかける気にはなれなかったぜ。……なんでだろうな?」


 わずかに語尾をあげて口を閉じると、うつむいて黙ってしまった彼女を解放する。ふらりと立ち尽くすエグランティアは、一回り小さくなってしまったように見えた。

 覇気のない声で、彼女は言う。


「……なんでかしらね。私も、そんな言葉はいらないと思えるわ」


 ぽたりと、地面に雫が落ちた。月の光を浴びてきらめく、透明な雫。ぽたり、ぽたりと続けて落ちた。


「いまでも――後悔はしてないって言えるか?」


 少年の問いにふるふると頭を振る。透明な雫と赤い雫がまざりあって宙を舞った。感情を押し殺した泣き声が静かな夜の森に吸い込まれていくのを、ぎゅっと両の拳を握りしめてメビウスは聞いていた。


 ――元人間。

 魔獣以外では、こいつが魔族による最初の被害者。

 大元は、近くにいるはずだ。


 小さな声が、思考を遮る。


「……ごめん、なさい……。私、わた、し……!」

「大丈夫。魔獣はほとんどここで始末したし、街のほうもウィルが上手くやった。お前がやったのは、オレを殺したことぐらいかな」


 つってもピンピンしてっからノーカンで、と少年はにへらっと普段の笑みを浮かべてからりと言った。聞き耳を立てていたウィルが頭を抱え、ソラが笑みと困惑の混じった微妙な表情をする。


「そろそろ、なにがあったか話してもらえるか?」


 メビウスの問いに、エグランティアはこくりと頷いた。

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