19・再戦

 女の言葉に、ソラがきゅっと身を縮める。言葉の意味がわかったのだろう。少女は不安げにメビウスを見た。

 少年は、女を真っ直ぐに見上げている。


「じゃ、オネーサンが種を蒔いた張本人? ってことは、オレを殺してくれちゃった魔族さん?」


 あのときの不快感を思い出し、無意識のうちに風穴をあけられた胸をさすりながらメビウスが問う。女はくす、と馬鹿にしたように笑うと大げさに嘆いてみせた。


「あら、魔族だなんて。私のどこを見たらそう見えるの? 私にはあなたのほうがずっとわけのわからない化け物に見えるわ」

「それは否定しねーけど。でも生き汚いは心外だな。まぁ、手品みてーなもんだよ」

「そう。それじゃあ、タネがあるのね?」

「さあ。それはどうかな。あくまで例えだよ、例え」


 へらりと笑みを浮かべ、のらりくらりと探り合う。しばしの沈黙が流れた。

 先に口を開いたのはメビウスだった。少年は肩を上下させて大きく息をついたあと、笑顔をすっと消し去る。


「オレのことはどーでもいいや。ソラちゃんを狙ってるのは、なんでだ?」


 口調だけは、軽いままだ。だがその視線は、青いバラの髪飾りで留めてあるヴェールに隠された女の瞳に届けとばかりに鋭い。魔獣と戦っているうちに辺りはすっかり暗くなっていたが、満月を過ぎたばかりの月明りをうけて煌々と輝いている。


「……そんなこと、簡単に話すと思って? 見つからないと思ったら、まさか死んだはずの人間と一緒にいるなんてね」

「サービス悪いなぁ。こーゆーときって、冥途の土産に教えてあげるわ、とかべらべら喋ってくれるもんじゃねーの?」


 ふっ、と女が赤い唇を歪める。


「そうね。――死ぬ瞬間に教えてあげる」

「あー、それは無理だな。だって


 にや、とメビウスも口の端を持ち上げた。


「そう。それなら――」


 ――死ぬまで殺してあげる。








 いままでとは桁違いの瘴気があふれ、大地が細かく躍動する。揺れる地面から姿を現したのは、太い茨の蔓だ。茨は真っ直ぐソラをめがけて伸びていく。

 しかし、魔法はほぼ完成していた。


「――幾多の災厄から護る障壁となれ」


 探り合いの中で唱えていた、長い詠唱を締める最後の一文。淡々と紡がれたその言葉で魔法は発動した。

 青い魔法陣が少女のまわりで次々と展開し、弾ける。

 銃を介さず、完全な詠唱で発動した防護陣プロテクトは前後左右、そして上下にいたるまで完全にソラを包み込んでいた。茨は魔力の壁によって押しとどめられている。


「これでソラさんには手が出せない。僕たちを倒さないことにはね」

「どうかしら? ちゃんとやってみなくちゃわからないでしょ!?」


 もう一度茨を動かそうとした女の前に、小柄な影が飛び込んでくる。


「やらせるか!」


 それは、ソラに気を取られていた隙に距離をつめていたメビウスだった。疾風はやてのごとく瘴気を切り裂いて、巨大な剣を振るう。女は舌打ちをしながらターゲットを少年に変え、自分を守るように茨を壁状に召喚して距離を取るため後ろへ跳んだ。が、茨は一瞬で切り刻まれ、少年が金髪をなびかせて突っ込んでくる。仕切り直すにじゅうぶんな距離を取れないと踏んだのだろう。少年に向かって左手を振り下ろす。肩口から袖を引きちぎり、しろがねの茨が太く絡み合い一本の錐のような形状になってメビウスに襲いかかった。


「あんときゃどーも!」


 ったく、初対面のいたいけな子供を串刺しにしやがって、と心の中で続けながらメビウスは剣を振り上げて茨を弾き飛ばした。

 風圧でヴェールが飛び、素顔があらわになる。


「……ッ!!」


 ひゅっとソラが息を呑んだ。白いワンピースをぎゅっと握りしめ、肩が大きく跳ね上がる。間近で見たメビウスは目を見開き、追撃の手が思わず止まった。なにごとにも動じなさそうなウィルでさえ、一瞬動きがかたまる。

 声や身体つきから想像するより、ずっと幼い顔立ちだった。右目は、暗い感情をはらんだ紅い目が闇夜に輝いている。あまりの憎悪を含んだ輝きに気圧されるものもいるだろう。


 だが、問題は左目だった。

 眼球がはまっているはずの箇所から、大きなしろがねが咲いていた。


 ――否。


 眼球から、花が咲いているのだ。球根が地に根を張るがごとく眼球に細い根が絡みつき、眼窩へ押しやられている。本来、紅い瞳と対になるものがあった場所からは銀色の大きなバラの花が咲き、左目全体を覆っていた。左頬から首にいたるまで、銀と青の混じった小さなバラの花が茨と共に絡みついている。髪飾りに見えていたのも自前だったというわけだ。


 そして、泣いている。

 本来左目があるであろう場所から、じくじくと赤い涙を流している。

 それでも、唇は弧をえがくのだ。妖艶に。壮絶に。


 メビウスと変わらない年頃の少女の顔で、蠱惑的な笑みを浮かべるそのさまはあまりにもアンバランスで。


「どうしたの? 私の素顔がそんなに珍しい?」

「お……まえ……ッ」


 それだけ絞り出すのがやっとだった。メビウスは剣を構えてはいるが、左目の花から視線を外せずにいる。

 これじゃあ、まるで。

 じゃねーか。

 代わりに、冷静な言葉を口にしたのはウィルだ。


「あなた……人間ですね?」


 一瞬、右目に宿る憎悪の炎が激しくなった。それを隠すように彼女はわざとらしく笑い、馬鹿にするように問う。


「私のどこを見たらそう見えるのかしら。まさか、あなたの眼鏡を通したら、なんでも人間にみえるわけじゃないわよね?」

「ああ、すみません。元、をつけるのを忘れていました。もう一度聞きます。あなたは、元人間、ですね?」


 女の皮肉には答えず自分の質問を押し通したが、くいっと眼鏡を押し上げたのはわざとだろう。女が眉を吊り上げたのを見、あいつほんっとにひとをいらっとさせんの上手いよなーと、メビウスは少しだけいつもの調子を取り戻した。


「……だとしたらなに? まさか人間とは戦えないとか言うんじゃないでしょうね」

「言いませんよ、そんなこと。それより、元人間であることを認めましたね」


 青年に指摘され、いらだちを隠しきれずに紅い目で睨みつける。


「そうよ。私はね、どうしようもないクソみたいな人生を送ってきた哀れで可哀そうな女の子だった。そのまま死ぬのかと思っていたときに、助けてくれたのが魔族だった。ただそれだけの話よ」


 笑っちゃうでしょ?

 唯一助けてくれたのが、私を必要だって言ってくれたのが魔族だなんて。

 喉の奥でくつくつと笑いながら、人間だった女は語る。


「この左目ねぇ、どうせ潰されてたの。いまはとてもきれいでしょう? 身体も痩せこけて貧相で誰も私のことなんか見向きもしなかった。それが種を受け入れたら誰もが振り向くようになったわ。ねぇ? 笑っちゃうでしょう?」


 異形の左目から涙をあふれさせながら、彼女は空虚に嗤う。


「いまの私は――魔族、エグランティア。それ以外のなにものでもないわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る