16・襲撃

「ソラちゃん。おりる前に約束して」


 自分の身を守ることを優先で行動するって。

 少年の言葉に、ソラは少しだけためらいながらも頷いた。


「ま、最悪の話だぜ? 魔獣なんて何匹いようがオレが蹴散らす!」


 どんっと無意味に胸を張る。


「街に被害が出る前に食い止める。ソラちゃんついてこれる? ついてこれなさそうだったら遠慮なく言って」


 にっといたずらっぽく笑って抱えあげるポーズを取ると、少年はとんっと軽い足取りでくだりはじめた。

 メビウスに続こうとしたソラは、ふとあるものに目を奪われ動きを止める。

 それは、高台に実にひっそりと存在していた。

 少しだけ土が盛られた上に、少女の頭ほどの大きさがある石がまるで目印のように置いてある。


「あれ……なんだろう」


 ソラの言葉にメビウスが足を止めて振り向き、ちょっと背伸びをして同じものを瞳に捉えた。


「お墓、かな。花も添えてあるね」


 よく見れば、小さな白い花が一輪だけ置いてあった。しかし、ソラは首を傾げる。


「でも……わ。魂だけじゃなく、肉体も埋まってない」


 少女が気になったのはそこなのだろう。


「さっきの人かもしれないね。けどソラちゃん、いまは」


 詮索している時間はない。もちろんソラにもそれはわかる。

 すでに踵を返し、早足でくだりはじめた少年の背中を、ソラは後ろ髪引かれる思いで追いかけた。










 時間は少し巻き戻る。


「なんですか、あれは!」


 メビウスたちを迎えに街に出たウィルの目に飛び込んできたのは、異形の身体を持ち空中を自在に飛び回る大きな虫だった。小規模の集落や村程度ならともかく、こんな街中まで魔獣が襲ってくることは滅多にない。隙間から人間界にすり抜けてこられる魔獣は数が少なく、存在が確認されれば大きな街に出る前に討伐されてしまうからである。魔獣退治を仕事にしているのはメビウスやウィルだけではない。


 ざっと視認できたのは、すでに戦闘態勢に入っている三体だ。虫たちはみな蜂をベースにした形をしているが、体躯の大きさや羽の枚数などそれぞれ少しずつ違う。首が二つある虫もいた。

 そして、身体の一部分ないし全身がしろがねでできている。それを確認しなくても人間を持ち帰れるほどの大きさを見れば魔獣であることはまず間違いない。だが仕事柄、身体のどこかに印がないかどうか探してしまうのがすでにクセになっていた。


「いやあぁぁぁぁぁぁああッ!」


 甲高い悲鳴が空気を裂く。弾かれたように悲鳴の主をさがした。

 幸い、すぐに視界に飛び込んでくる。


 いつの間にか四体目の魔獣ジャイアント・ビーが通りに増えている。現れがてら、通りの端で店じまいをしていた子供を襲ったのだ。それは、メビウスがソラへのプレゼントを買った露店の少女であったのだが、ウィルが知る由もない。

 小さな身体が幸いし、一撃目を身体を丸めてなんとかかわしたようだ。だが、服の背中が魔獣の脚に引っかかり不安定な状態でぶら下げられている。魔獣も上手く掴めず獲物が安定していないため、掴み直そうと他の脚を伸ばした。


 ズドン、と魔獣の頭に衝撃が走りぐらりと体勢が崩れる。少女の身体が地面に触れた。服が破けるのも構わず、少女は必死に足を引きはがそうともがいた。

 そこへもう一発、衝撃が襲う。反動で足が外れ、彼女は家と家の隙間に逃げ込んだ。魔獣はふらふら飛びながら、執拗に細長い脚を差し入れて追い詰める。少女は恐怖で耳をふさぐと、その場に背を向けてへたり込んだ。魔獣は蜂特有の細い腰を壁に押し付けるように身体を固定すると、かえしの付いた脚を獲物へ向けた。

 本来ならば、攻撃を受けたことに警戒するべきだ。よほど腹が減っていたのか、衝撃の割に動く身体を良しとしたのかはわからない。魔獣は小さな獲物に固執しすぎていた。


 だから。

 気が付いたときには、もう遅い。


 ウィルの銃口が真っ直ぐに魔獣を狙っている。破裂音と共に無機質な黒い穴から放たれた魔力は、先ほどの二発とは段違いだった。凝縮された魔力が、きょとん、といった風に銃口を見つめた大きな複眼を貫き、外骨格に内側から衝突する。

 ぱきっとなにかが砕ける音がした。内側から青い魔法陣が浮かび、防護陣プロテクトが発動する。防護陣とは、その名のとおり魔力の壁を出現させて敵からの攻撃を防御する魔法だ。だが、狭い魔獣の頭の中で発動した防護陣は、本来の役目とは逆の破壊のちからとなって柔らかい内部から硬い外骨格を吹き飛ばす。頭を失った魔獣は体液をまき散らしながら、身体を維持できなくなってばらばらと崩壊しながら後ろへ倒れた。あとには、守るものがなにもない防護陣だけが空中で手持無沙汰に浮いている。


 ウィルは攻撃魔法が得意ではないが、そのぶん補助や防御魔法の応用法を心得ていた。防護陣が魔力の壁を作り出す、という魔法であるなら、足場にしたりいまのように内側から発動させ攻撃に使ったりといった具合である。使っている魔力銃がルシオラの改造をうけているという利点もあるが、展開の仕方は青年の魔法の研究と発想力に関するところが大きい。


 他の三体が自警団や戦えるものたちによって足止めされているのを確認し、ウィルは少女が逃げ込んだ隙間を覗き込んだ。ちょうど真ん中辺りまで進んだところで、背中を向けている少女を見つけてほっと息をつく。


「大丈夫ですか?」


 少女はびくっと肩を跳ね上げると、そろそろと振り向いた。隙間からのぞく青年の顔を認め、彼女は安心したのか大きな瞳から涙をぽろぽろと流しながらはい出てくる。すぐ横で足を丸めて倒れている魔獣の残骸が目に入ったのだろう。もう一度びくりと大きく肩を震わせると顔をそむけて、ウィルのコートをぎゅっと握った。


 まだ少女は大きくしゃくりあげていて、涙も止まる気配はない。正直、子供の扱いが苦手なウィルは助けたはよいもののこれ以上どう接したらいいのかわからず、気まずく視線を巡らせた。

 こういう時は坊ちゃんがいると助かりますねえ、と心の中で呟く。


「えーと……歩けます?」

「……うん」


 しゃくりあげながらも、少女は頷いた。


「……怪我はなさそうですね」


 破れた服に血の色がついていないのを見、とりあえず安堵の息を吐く。辺りを見回せば、逃げ遅れたのだろう人々が何人か見て取れた。他の三体は足止めされているが、いまの四体目のように他に現れないとも限らない。


 まず、人々を屋内に避難させなければ。

 空を飛ぶ魔獣の場合は、それが鉄則だ。特に蜂など飛ぶことに特化している魔獣であれば、屋根があるだけでもかなり違う。もちろん、なるべく窓の少ない倉庫のような頑丈な建物が理想だが、普通の家でもじゅうぶん時間は稼げる。だがしかし、この状況で扉も窓も開けている家などまずないし、それが当たり前だ。


「みんな、こっちだよ!」


 聞いたことのある声が耳に届く。

 声のほうへ目をやれば、酒場の店主マスターが扉を大きく開け、看板娘が声を張り上げている。逃げ遅れた人々は我先にと店へ駆け込んだ。ウィルも少女を抱き上げ、それに続く。

 無事店の中へはいると少女をアンナに任せ、店主へ向き直る。


「僕の連れを見ませんでした? 多分今日こちらへ伺ったと思うのですが」


 メビウスが本気でデートをしに街に来たとして、彼はラゼルの街についてそれほど詳しくないことを青年は知っている。昼食を食べるにも店ひとつ知らないはずだ。だとしたら、顔なじみの人物を頼ってもおかしくはない。

 さらに、少年はいま街にいない。もしこの場にいたならば、率先して魔獣を蹴散らしていただろう。その姿がないということは、もうラゼルの街にはいないということだ。

 ウィルの問いになにか嫌なことでも思い出したのだろうか。店主は一瞬遠い目をした。


「ああ。可愛い女の子と一緒に、お昼を過ぎた辺りにきましたね。夕方になる前に、お帰りになりましたが」

「それが、帰ってきていないんですよ。どこへ行くか言っていませんでしたか」

「いやぁ、それは……。ん? そういえば、見せたい場所があるって言ってましたかね」


 見せたい場所、と呟いて首をひねるウィルに、思わぬ場所から助け船が出た。


「もしかして、金髪の三つ編みのお兄ちゃん? 森の方へ行くのを見たけど」

「……森?」

「森に入る前に、高台へのぼる道があるの。きれいな髪のお姉ちゃんも一緒だったし、あれは高台に告白に行ったのよ」

「……はあ」


 なぜそういう話になるのか。頭を抱えたい気持ちをこらえ、ウィルは先を促す。


「夕方の高台から見る景色って凄くきれいなの。あんな時間に森のほうへ行くなんて、あの景色を見に行く以外ないと思う」

「そうですか。とにかく、森のほうへ向かったんですね?」

「うん、それは絶対」


 私、見たもの、と少女は胸を張る。ついさっき魔獣に襲われていたというのに、涙も止まっている。アンナが落ち着かせたようだ。


「一応聞きますが、戻ってきたところは見ましたか?」


 少女は首を横に振る。店主とアンナも顔を見合わせて肩をすくめた。


「この街にくわしくないなら、帰りもここを通るはずだから……もしかしてまだデート真っ最中?」

「もしそうだったら一発殴りますよ」


 アンナの冗談が冗談に聞こえず、思わず心の声が表にこぼれたときだ。


 ぞわっと形容しがたい悪寒が背中を駆けのぼる。

 それは、道端の魔獣たちからではない。間違いなく森のほうからだ。立ち上る瘴気の量は、ここにいる魔獣の数など比べものにもならないほど多い。


 こいつらの発生源は――森か。


 この瘴気をメビウスが気付かないわけはないだろう。森の近くにいるのなら、自分より早く気が付いているかもしれない。


 ウィルはそっと扉を開け、外の状況を伺った。自警団と、ちょうど街に居合わせた魔獣退治を生業にしているものたちが蜂を引き付けることには成功している。が、虫特有の硬い外骨格には苦労しているようで、致命傷を与えられずにいるようだ。

 静かに扉を閉め、ウィルは持ってきた弾丸を確認する。こんなことになるとは思っていなかったから、仕事のときよりもずっと量も種類も少ないが仕方がない。


「ありがとうございます。僕は連れをさがしに行きますが、外の魔獣が倒されるまでくれぐれも外には出ないようにしてください」


 言って、返事も待たずに外に出た。


 この地方では魔獣が見かけられることは珍しい。それゆえ、ここを拠点として退治をしているものは少数派だ。だが、交通の拠点としてラゼルの街には人が多く集まることから、護衛として一緒に街にやってきたものたちが多数いる。いま戦っているのもそういったものたちだろう。致命傷を与えられずに一進一退しているのであれば、魔獣の装甲を弱くしてしまえばいい。あとは彼らに任せられるだろうとウィルは考え、一発の弾丸を選び装填した。


 それは、複数の対魔獣戦で切り札になると言っても過言ではない。本来ならば、森につくまで取っておきたい弾丸だ。だが、街にいる蜂を相手にしている時間はなかった。


 酒場から静かに離れ、最初に倒した魔獣のそばに立つ。

 魔法の弾丸を装填した銃を、まっすぐ天に向かって構え。


「清浄なりし輝き――其はいにしえの光」


 本来の威力を引き出すための、詠唱。

 魔力銃は、魔力を増幅し詠唱なしでもある程度の魔法を放つことのできる便利な武器だ。だがそのぶん、魔法の威力は詠唱ありのものには劣ってしまう。だから、本来の威力を引き出すには結局詠唱が必要になるのだが、ウィルの持つそれはルシオラにより魔力増幅の改造をうけている。詠唱をすることによって、ように。


「穢れなき清き光を、今ここに呼び覚ます」


 静かに詠唱を続ける青年に、魔獣が大きな複眼を向けた。


 パァンと。

 一瞬途切れた詠唱に混ざる乾いた破裂音。

 瞬間――ラゼルの街すべてを包み込むように。

 白い光を放つ巨大な魔法陣が上空に浮かび上がる。


 それは正に。

 穢れなき清浄な光。


「災厄を洗い流す――浄化の雨を降らせよ」


 ウィルの口から厳かに紡がれた、ちからある言葉が完成する。

 巨大な魔法陣が、どくんと鳴動したように見え。

 木々の合間からこぼれ落ちる木漏れ日のように、魔法陣からきらきらとあたたかな光が街中に降り注いだ。

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