15・異変
そのビラは、いつの間にかそこにあったらしい。
誰がいつ貼ったのか。誰がいつ撒いたのか。誰がいつ入れていったのか。
それを知るものは一人としていなかったが、手にしたものは内容を見て納得するのだった。
移動
最果ての魔女が運営すると言われる、いつどこに出現するかわからない幻の店。本当に存在するかどうかすらわかっていない、噂だけが一人歩きしているような店だ。そんな店のビラがいつの間にか出現していたとして、からくりなど気にはしない。好奇心旺盛なものは、我先にと店へ足を運んだ。なにより、本物であれば話のネタになる。
ビラには開店の知らせのほか、一つだけ注意事項が添えられていた。
魔獣のかけら、高く買い取りいたします。
普段、一般人では手にすることもない魔獣のかけら。持っているとすれば、魔獣退治の仕事をしているものか、瘴気の抜けたかけらを利用して、
現在、店内のカウンターには所狭しと買い取り希望客が列を作っている。その中には同業者の姿もあったりするのだが、彼らも相場の倍近い値段を提案されるとなってはにこにこ顔で手放していくのだった。
……ルシオラさん、ビラに言霊仕込むなんてやりすぎですよ。
客がみな、にこにこしながら手放していく理由。それはビラの中に「かけらがあったら売れ」という類いの言霊が封じられているからである。ビラを目にし、該当するものだけに発動する魔女のささやきだ。それを聞いてしまったら最後、術者以上の魔力を持つもの以外は簡単な催眠状態に陥ってしまう。
仕掛けを知っている、ウィルの胸中は正直複雑だった。だが、カウンターでかけらをどこで手に入れたかを問いながら、適当に値をつけて客をさばいている本人はどこ吹く風である。なにをもって選別理由にしているのかは定かではないが、どうやらあまりにも古いもの、出所が遠すぎるものなどは安く買いたたいているようだ。それでも、言霊によって支配されてしまっている客たちはみなにこにこしながら帰っていく。
というか。
誘導付きの言霊なんて、そう簡単に扱える魔法じゃないんですけど。
しかも、簡易的とはいえあんな枚数。
棚の整理をしながら、心の中でぶつぶつと独りごちる。
普通、言霊とは特定の相手にメッセージを伝えたいときに使う魔法だ。該当するものが手にしたとき、相手にだけわかる方法で伝言が伝わる。そこに相手の行動を制限するちからも付加しているのは、ルシオラのオリジナルだ。
店を開く、と言ったルシオラはさっさとビラを作成し、いとも簡単にオリジナルの言霊を仕込んでばら撒いた。さすがは『最果ての魔女』といったところか。
言霊ではなく、純粋に店を覗きにきたものも多少はいる。物珍しい顔で商品を手に取る客にぎこちない笑顔を見せながら、ウィルはそっとため息をついた。
そんなこんなで時間はさっさと過ぎていく。陽が傾き始めるころには、行列もおさまり店内に数人の客がいるだけの状態になった。その客たちも、ルシオラ特製の魔法道具を買い、いったいどうやって自慢してやろうかと話を考えながら帰っていく。
「ルシオラさん。魔法道具、売ってしまって良かったんですか?」
「こちらが買うだけでは損だろう。なに、どうせ失敗作ばかりだ」
最後の客が帰ったあと。閉店のプレートを出しながら鍵を閉めたウィルに、ルシオラはからからと笑いながら答えた。
「失敗作とはいえ、そこらの魔法道具なんかよりはずっと性能がいいぞ。暮らしが抜群に楽になる。私が作ったのだから当たり前だが」
「はぁ。相変わらずの自信ですね」
苦笑いを浮かべて返事をする。ルシオラはすでにその話題から興味を失っており、今日の目玉とも言える買い取った魔獣のかけらをあれこれと選別していた。みるみるうちに、かけらの山が仕分けられていく。
「……ふむ。これはなかなかわかりやすい。ウィル、こっちの大量にある小さいかけらはいったいなんだと思う?」
「……あのときのかけらに似ていますね。大きさや形ぐらいのものですが、勝手に紛れ込んだり動物が踏みつけたりしてもわからなさそうな……?」
ウィルの答えにルシオラは満足そうに頷いた。目の前に一番大きく場所を取っているかけらの中から一つを手に取り、最果ての魔女は言った。
「これらはすべて、ラゼルの森の中で見つかったものだ。自然に剥がれ落ちたとするなら、その持ち主もいなければおかしいが、魔獣は見かけられていない」
「……まさか」
そう、とルシオラは口を歪める。
「これは種だよ。魔族が意図的にばら撒いたんだろう。見つかり始めた時期からすると、そろそろ芽が出てもおかしくないだろうな」
少女がなにを言っているのか、一瞬わからなかった。
「あのとき?」
「……化け物かって言われたとき」
ああ、とメビウスはほんの少しだけ困った顔をし、結局へらっと笑顔を作る。そのほかに、どういう表情をしたらいいのかわからなかったからだ。
「否定できねーもんな。死んでも生き返る。成長も遅い。二千年も生きて、いったいいつ死ねるのかもわからない。生まれたときは人間だったとしても、いまは否定できねーよ」
いつもの笑顔と口に乗せた内容はひどくちぐはぐで、ソラはきゅっと眉根を寄せた。
「いいんだ。もうオレ自身が納得してるから」
「だったら、どうして――」
あんな顔で笑ったの?
少女の言葉は途中で飲み込まれた。目の前の少年が、あのときと同じ顔で笑っていることに気がついたからだ。そこに、いつものハツラツさは微塵もない。
「ソラちゃんに、そんなに気にしてもらえるとは思わなかったなあ」
えへ、と目を細める。だが、ただ目を細めただけだ。笑顔のようななにかを張り付けただけ。
それがわかり、ソラは今度こそ眉をきっと吊り上げた。
「メビウスが生き返ることはわかってる。あなたの魂は、ずっとその身体から離れる気配がない。それも、わかってるけど……ッ」
「ソラちゃん?」
「わかってるけど、わたしはさっき怖かった。毒が効かないって言ったけど、もし効いたら、また目の前でッ」
夜空色の大きな瞳に涙が浮かぶ。
「メビウスが死んじゃったらどうしようって、そう思ったら――とても怖かった」
たまった雫が、目の端からすぅっと流れ落ちていく。わかっていると言いながら、感情が理性に追いついていない。初めて話したとき、彼の死を淡々と口にしていた少女とはまるで別人のようだ。
――だが。
だから、わかった。
ソラがなぜ、毒の一件のあと怒ったのか。答えはいま、彼女の口から何度もこぼれた。
初めて話したとき。あのときはまだ、彼女はメビウスのことを知らないも同然だった。目の前で死んだことに多少のショックはあったかもしれないが、ソラのよく口にする「魂が身体から離れない」という言葉を信じれば、戻ってくるとわかっていたのだろう。少女からすれば、知らない少年が自分をかばって大怪我をした。だけど少年は死なないから大丈夫。そんな認識だったのかもしれない。
しかし、今回は違う。
メビウスはソラにとって、知らない少年ではなくなってしまったから。
言葉を交わし、名前を知り、多少なりとも一緒の時間を過ごした。彼のひととなりを知ってしまった。
だから。
死なないとわかっていても、
もし――があったら、怖い。
その考えは簡単に腑に落ちて、メビウスは自嘲気味に薄く笑う。
やっぱり、オレが怒らせたんじゃねーか。
守るって誓ったのになと心の中で呟き、心配させた自分に呆れ返る。
「……ごめん。ホントにダメだなオレ」
はぁ、と肩を落とし、頭をぽりぽりと掻きながら少年はぽつりと言った。
「ソラちゃんが怒ってくれたことは嬉しいよ。だけど、言われ慣れてるし――ホントに納得してるんだ。オレが相手側なら死なないやつなんて化け物だと思って当然だなって考えたらさ……。納得できちゃったんだ」
ごめんね、と繰り返す。
「だから、ソラちゃんが怒ることは一つもないんだ。でも、知ってるやつの死ぬとこなんて普通見たくないよな。オレ、長生きしすぎてそーゆー感覚麻痺しちゃってんのかも」
浮かべた苦笑には普段の彼らしさが少し戻ってきていて、ソラの乱れた心を包み込む。それは、彼女に落ち着きを取り戻させると同時に、メビウスの言葉のおかしな部分に目を向けさせた。
「……長生き……。二千、年……?」
散々毒で死んだら慣れちゃって。
唖然として、メビウスを見る。夜空色の瞳が訴えかけている疑問に気が付き、少年はすぐに自分と少女の認識の違いを悟った。あまりにも大きなすれ違い。
彼女は、メビウスがずっと生き続けていることを知らない。
「ソラちゃん……。オレたちについての話、ルシオラからどこまで聞いた?」
少年の問いを聞き、ソラはきょとんと目を丸くした。さきほど、自分の瞳から涙が流れていたことにも気が付いていないらしい。少し上を向いて考え込み、答えを口にする。
「……どこまでって……。メビウスが死なないこと、魔獣退治をしてるっていうのは聞いたけど……」
「それだけ?」
頷く少女を見、メビウスは疑念を抱く。自分が死に、外の世界にある拠点にウィルが他人を連れ帰ってきたあの状況で、ルシオラがただそれしか話さなかった。当時のソラの様子からすると、それでじゅうぶんだと判断したのかもしれないが、後々疑問を持つ可能性は捨てきれない。もう少し、事情を説明していたほうが納得できるのではないか。
それとも。
わざと、話さなかったのか。
ルシオラが、ソラになにを視たのかはわからない。それは本人にしかわからないことだ。
……あいつ。
いったいなに考えてんだ?
「ソラちゃん。そろそろ暗くなる。今日は帰ろう」
真面目な口調のメビウスに、ソラも首を縦に振る。
「帰ったらオレたちについてのこと、もう少し詳しく話すよ。ごめん、話してないことが多すぎて、ソラちゃんに余計な気を使わせちゃったみたいだ……?」
少年の語尾が不自然に上がる。ゆっくりと彼は足を踏み出し、のぼってきた道を見下ろした。
「……ッ!」
ぞわっと悪寒が背筋を駆けのぼる。ぴりぴりと肌を刺すような攻撃的な気配には覚えがあった。
瘴気。すなわち、魔族や魔獣がまとう気配である。
それも、一つや二つではない。大量に、森の入り口に押し寄せているのがわかる。あのときのような圧倒的な瘴気は感じないことから、魔獣の群れだろうと予測をつけメビウスは呟いた。
「厄介事どころじゃねーな」
ここから街に帰るには、森の前を通らなければならない。いまからおりれば確実に鉢合うだろう。しかし、放っておけば街中に魔獣がなだれ込むことになる。そうなれば、被害は甚大だろうことは簡単に想像がついた。
更に、これからどんどん暗くなる。少年は夜目が効くほうではあるが、もちろん昼間と比べれば動きにくいのは当たり前だ。ソラを連れて、魔獣の群れとやり合うのはあまりに条件が悪い。
……どうする?
そんなの決まってるよな、と内心で独りごちる。
ソラがふと、口を開いた。
「ルシオラが言ってたこと、思い出した。メビウスは馬鹿だが、決めたことはやり遂げるやつだって。そう、言ってた」
彼女の夜空色の瞳はまだ濡れていたが、柔らかく弧をえがいている。その視線を受け止め、少年もまた、普段どおりのへらっとした気楽で勝気な笑みを浮かべた。
「あいつ。どーでもいいことばっか言いやがって。けどまあ、おかげで色々吹っ切れた。悩むのはオレの性に合わねーや」
太陽の瞳にちからがこもる。
教えてくれて、サンキュ、な。
へらりと口にして、メビウスは自信に満ちた笑顔をソラに向けた。
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