14・夕日の丘で
どうしても、ソラを連れて行きたかった場所がある。
買い物を済ませ、店に戻ったメビウスはとっくにシチューもどきを完食していた少女と一緒に店を出た。ちなみに、結局アンナとソラに押されて店主が折れたのだそうで、明日から昼はアンナが厨房に立つという恐ろしい話は右から左へさらっと流しておく。
太陽はかなり西へ傾き、影も長くなってきていた。そんな中、メビウスは街の外れまで少女と歩く。行き交う人も少なくなり、道幅も徐々に細くなり足元も悪くなる。辺りを見回せば、森の入り口が見えた。
「ソラちゃん。なにか、思い出した?」
森を見据えて立ち止まり、少年が問う。ソラはふるふると首を横に振った。
「そっか。この森の中で、ソラちゃんに会ったんだ。ソラちゃんが街から来たなら、ここを通るはずなんだけど……」
言いながら、少女が普通にここを自分の足で通ってきたわけはないと、脳内ではすでに否定している。なぜなら少女は、空から降ってきたのだから。
「わたし……。なにも見覚えがなかった。街の中も全然わからない」
「そう焦って思い出すこともねーのかな。ソラちゃんが思い出したいなら、もちろん全力で協力するけど」
少年の言葉に、ソラは夜空色の瞳をぱちぱちと瞬きさせて首をひねる。
「……思い出したいかどうか……。あんまり、わからない」
「わかった。じゃ、無理しないでいこうぜ。記憶なんて、これからいくらでも作れるんだ」
ソラですら見慣れた笑顔を向けて、メビウスは歩き出す。森の方向ではない。太陽が沈む方角へだ。ゆるやかな勾配がついた細い道を、少年はゆっくりとのぼっていく。そのおかげで、ソラも遅れずに着いていけた。
途中、女性とすれ違う。シックだが、こんな場所には似合わない黒いドレスが妙に印象に残った。立ち止まると二人に道をゆずって足早に降りていく。
「これからがいい時間だってのに、もったいないな」
「……?」
メビウスの独り言はソラには理解できなかったようだ。もう道とも言えないような足場を、少年はひょいひょいと軽く登っていく。だから、すれ違った女が少し降りたところで足を止め、二人を振りかえったことに気が付かなかった。口元が、わずかに動く。
「うん、間に合ったみたいだな」
先に頂上についた少年がほっとしたように息をついた。遅れて登ってきたソラに手を差し出す。
「お疲れさま。ほら、ソラちゃん」
登ってきた斜面と違い、裏側は崖と言ってもいいほどの急斜面になっていた。その高台から、メビウスが指差すままに視線を動かし、少女は息を呑む。
「……きれい」
思わず、声がこぼれた。
見下ろした大地には、丘が幾重にも重なって続いている。太陽の作り出す光と影がまるでパッチワークのようだ。風が吹くと皆同じ方向にさざめき、いきもののようにうねる。一時として、その表情を留めていることがない。
地上のアートを作り出した広大な空は、少しずつ茜色に染まり始めていた。雲が青からオレンジに染められ、ぽこぽこと宝石のようにきらめいている。
広大な地平線で区切られた地上と空の生み出す圧倒的な光景に、ソラはしばし言葉を忘れた。
「だろ? 見せたかったんだ、ソラちゃんに」
穏やかな声に、ソラは思わず隣に立つ少年を見上げた。見慣れた笑みとは少し違う、大人びた笑顔でメビウスは眼前の光景を眺めている。色素の薄い金色の髪が、茜色を反射して輝いていた。
「オレのお気に入りの場所なんだ。ここに来ると、なんか悩んでてもちっぽけだなって思える。季節が違うと色んな花が咲いててもっときれいなんだぜ」
「……見てみたい」
「また、来ようぜ。今度はいまより、飛びっきりにきれいな季節にさ」
眩しそうに目を細め、メビウスは無邪気に笑った。
美しい光景は、長くは続かなかった。太陽がほんの少し傾きを変えただけで空は茜色一色に染まり、青空と夕焼けの作り出す絶妙なコントラストはすぐになりを潜めてしまう。
「そうだ。これ」
言いながら、ごそごそと懐から小さな包みを二つ取り出す。中身はさきほどの露店で買った髪留めとペンダントに加工してもらったリングだ。片方を開け、ペンダントにしてもらったリングから首にかけた。
「これは、ルシオラから。これを身につけてると、なにかがあったらルシオラにわかるようになってるんだ。オレは死んだとき。ソラちゃんは一人になったときって言ってたかな。なるべく身につけておいてね。あと、こっちはオレから」
もう一つの包みを開けてソラに見せると、そっと少女の長い前髪を持ち上げ耳の横でとめる。素朴な星型の髪飾りは、少女の空色によく馴染んだ。
「……あ」
「ソラちゃん可愛いのに、ずっと気になってたんだ。これで顔もよく見えるしなによりオレが嬉しい」
へらっと笑って本音をさらした。
「ルシオラやウィルも隠れ気味だったけど……」
おそるおそる髪飾りを触りながら、メビウスのテンションが下がることを言う。少年はわかりやすく肩を落とした。
「ウィルは面倒なだけだと思うけど。ルシオラは……好きで伸ばしてるから」
言われ、ソラは思い出す。最果ての魔女の、金色の瞳を。
前髪の奥から金と銀の視線に射抜かれたときは圧倒されたが、なぜ隠しているのかはわからない。いまは、神秘的な光を湛えた瞳をソラは純粋に美しいと思う。
「あ、ソラちゃんも好きで伸ばしてるんだったらごめん」
黙り込んだ少女を見て、少年はなにやら勘違いしたようだった。慌てて髪飾りを外そうと手を伸ばす。
「ううん、違う」
ぶんぶんと首を振って、少年の手から逃れる。
「……えっと、ありがとう」
うつむいて髪飾りを優しく触りながら、ソラは呟いた。メビウスは大げさに息を吐いて、ほっと胸をなでおろす。
「あーもー、嫌われたかと思ったぜ。ソラちゃんに嫌われたらオレ生きていけない」
「ルシオラの瞳を思い出してたの。あんなにきれいなのに、どうして隠してるのかなって」
少年の冗談を華麗にスルー。ソラちゃん、そーゆーとこあるよね、と心の中で独りごちつつ、メビウスは少女の話に興味を持った。
「ソラちゃんに見せたのか。珍しいなー。それ、本人に言ってやったらいいと思うぜ」
ソラは首を傾げ、「どうして?」と大きな瞳で問いかける。
「あいつ、自分の目の色嫌ってるから。ソラちゃんがきれいだって言ったら、喜ぶと思う」
そう言いつつも、メビウスの心中は複雑だった。ソラにきれいだと言われたら、確かにルシオラは笑うだろう。だがそれは、自分も同じだ。笑みを浮かべても、心から受け入れることはできない。
ルシオラが金の瞳を嫌っているのは、ブリュンヒルデを思い出させるからにほかならない。自分の存在が異質であると、強く思い起こさせるからだ。どれだけちからを持っていようと、彼女がそのために孤独であろうとしていることをメビウスはよく知っている。
そして、自分自身も。
雨の日の記憶。あの夢を見るたび、太陽の色をした瞳に疑問を感じずにいられないのだ。
両親はどちらも碧眼だ。碧眼の二人から、青のかけらも見て取れない朱色の瞳が生まれてくることはあるのだろうか。
もちろん、可能性はゼロではないだろう。隔世遺伝や突然変異ということもある。
しかし――。
一度疑問に思ってしまえば、それは簡単に彼の心に居座った。覚えているはずのない記憶は、少年の役目を縛り付けると同じぐらい強く彼の出生について影を落としてしまっている。
だから。
メビウスも、自身の瞳の色が嫌いだった。なにもかも与えられる前に奪われ、本当の名前すら持っていない少年。それが自分。何者かもわからぬまま、ただ魔族を封印し続けるために生きているそれだけの存在。
いくら太陽の瞳が美しいと称賛されようと、影を消し去ることはできない。真実を知るものはもうどこにもいないのだ。影ごと、受け入れるしかない。
メビウスがこの場所に惹かれたのは、ほんの少しでも、自分の瞳と同じ色が作り出す風景がきれいだと思えたからだ。悩みなんてちっぽけだと思えると言ったのは、けして嘘ではない。
「……メビウス?」
突然黙り込んだ少年に、ソラが心配そうに声をかける。ゆるゆると緩慢な動作でソラを見た少年の顔には、見慣れない表情が映っていた。
否。
おそらくそれは、表情とも呼べないようなものだ。無ではない。ただ、それだけ。
「どうかした?」
「……ん、ああ、ごめん」
生返事をするのも珍しい。ソラはメビウスの正面に回り込み、彼の視線を探す。ぼーっと焦点が定まっていなかった朱色の瞳は少女が見上げているのに気が付き、ようやっと少しだけ弧をえがく。
「ごめん、ちょっと考えごとしてた。えと、なんの話だったっけ?」
無理をしているのがバレバレだ。ソラはじとっと半眼になって言う。
「ルシオラの瞳の話。でも、本気じゃなかったみたいだから、いい」
「いや、そういうわけじゃ。ごめんね、ソラちゃんが褒めたら喜ぶっていうのはほんとだよ」
「メビウスが褒めたら喜ばないの?」
「オレはもう、褒めつくしてるし……。ソラちゃん?」
しどろもどろの言い訳に、ソラは大きくため息をついた。
「わたし、本気の話してもいい?」
「え、あ、うん」
少女に気圧されてたじたじの答えを聞き、ソラは深く深呼吸をして言った。
「どうして――あのとき
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