12・vs 鶏と色どり野菜のクリームシチュー

 提案したはいいものの。

 それほど街を熟知しているわけではない少年が、美味しい店など知っているわけもなく。

 結果、何度か情報収集で足を運んだ酒場に向かった。時刻は昼の刻を過ぎ、太陽が真上から少しだけ低い位置へと移動した頃である。酒場が開いている時間ではないが、店主マスターに美味しい昼食ランチの食べられる店を聞いてみようと思ったのだ。

 ところが。


「あれ、珍しいな。こんな時間に開いてるなんて」


 酒場の扉が開いていることに気づき、メビウスが中を覗いた。カウンターでグラスを拭いていた男とすぐに目が合う。


「ん? ああ、この間の。怪我はもういいのかい? お連れさんから聞いたよ」


 人の好さそうな顔に、申し訳なさそうな笑顔を浮かべて男は言った。どうやらウィルは自分が死んでいる間、情報源に報告していたらしい。同行しなかった少年は、怪我をして動けないとでも言ったのだろうか。


「それに、魔獣でもなかったとか……。いやあ本当に申し訳ない」

「まあ、それなりに収穫はあったし、魔獣じゃなくても畑荒らしてたやつはいたわけだし、いいって」


 ひらひらと手を振って、店に足を踏み入れる。カウンター席にソラを座らせ、自分もその横に陣取るともうこれ以上ないというほどの嬉しさが爆発しそうな笑顔で言う。


「そんで、最高の収穫がソラちゃん! マスターから魔獣かもしれないって話を聞かなかったら会えなかったから、もう感謝しかないよ」


 どこからそういう話になるのか、聞いているほうはさっぱりである。店主がいかんともいいがたい顔で首をひねり、ソラもソラでどう反応すれば良いのかわからないのかどこへともなく目を逸らした。


「そうなんですか。……あ、まだ準備中なんですよ。掃除がてら扉を開けていただけでね」

「そうなの? 看板もでてるけど」

「……え?」


 店主が急いで戸口へ走る。少年の言葉どおり、木製の素朴な看板が置かれているのを確認すると慌てて引っ込めた。


「あれ……? もしかして、昨晩しまい忘れたのかなぁ……」

「なんだ。じゃあやっぱり店探さないとだめかー」


 首をひねりながらカウンター内へ戻った店主に、メビウスの残念そうな声がかかる。ここ、酒以外も美味いんだぜ、と隣の少女に説明している辺り、営業している可能性に期待していたようだ。


「店なら営業中だよ。親父も、今日から昼も営業するって言ったの忘れたの?」


 カウンターの奥、厨房からそんな声が聞こえた。店主はびくっと大げさなほど肩を跳ね上げると、奥から出てきた女を見てしばし硬直する。メリハリのある身体つきだが、まだ十代だろう。少女のあどけなさがほんのりと顔に残っている。

 どこかで見たことがあるような気がして、メビウスはまじまじと少女の顔を見つめた。ふと、ぽん、と手を叩く。


「ああ、ここの看板娘のねーちゃん? 店主の娘にしては似てねーな」

「そうなの、よく言われる。母親似なのよね」


 ふいに、ふっくらとした唇が弧をえがく。


「それで少年。君、ランチデートのお店を探しているのかな?」

「うん。デートに見える?」

「見える見える! いやあ、ラッキーだね君たち。今日からあたしが昼の営業もすることになって。記念すべきお客様第一号だよ」


 記念だからサービスしちゃうわよん、と笑顔で言った声に、硬直から解けた店主の叫びが重なった。


「だだだダメだッ! アンナは厨房に立ったらいけないと何度も何度も言っているでしょうッ!!」


 優し気な風貌の店主から思わぬ大声が飛びでて、ソラだけではなくメビウスも目を丸くして驚く。


「言っているというより、なんで気がつかないのか……。料理だけは一生しないで……」


 もはや懇願と言ってもいい。祈るように手を合わせた姿を見、少年と少女は顔を見合わせた。


「なんだよ、親父が料理教えてくれたくせにさ。こんなに楽しいことを教えておいて、作るななんて無理な話よねぇ」


 アンナが頬を膨らませて反論する。その言葉を聞き、メビウスが店主へ視線を動かした。


「店主が教えたの? だったら美味いんじゃないの?」

「いや……。ええ、なんですよ、独特……」

「独特って言ってもなぁ。もともと店主の腕が神がかってんだから、師匠の基準が高すぎるだけじゃねーの?」

「ほら! やっぱりそう言われるでしょ!? 親父の舌が肥えすぎてんの!」


 ボリュームのある体格の看板娘が、ひょろっとした店主に言いつのるさまは中々に迫力がある。父親は多少のけ反りながらも顔だけは威厳を保とうと頑張っているようだが、はたから見ていてバレバレだ。つまりなんの意味もない。

 そして、父親は折れた。


「そこまで言うなら、いいですよ!? 君も! アンナについたからには文句はなしです、いいですね!」


 否。

 


「オレはいいけど。ソラちゃんは」

「わたしも食べてみたい。お腹も空いてきたし」

「じゃあ、二人前、サービスしちゃう! おかわり自由、たくさん食べてね!」


 育ち盛りでしょー君たち、とウインクひとつ。アンナは厨房の奥へと下がっていく。店主は頭を抱えてちからなく椅子に腰かけていた。


「はいっ! アンナさん特製! 鶏と色どり野菜のクリームシチュー!」


 どんっと目の前に置かれたのは、出来立てほかほか、白い湯気とミルクのほんのり甘い香りが食欲をそそるなんとも美味しそうなシチューだった。料理名にも入っているとおり、ブロッコリーの緑やにんじんの赤がホワイトソースによく映えている。見た目だけなら店主のそれにも負けていない。


「これ、サービス? ホントにいいの?」

「いいのいいの! どんどん食べて!」

「それじゃ、遠慮なく」


 いただきまーすとスプーンを手に取ると、まずはひとすくい。鶏肉と一緒にすくって頬張る。


「……?」


 味のしないでろんとした何かが喉を通りすぎていく。喉越しはとても悪い。首を傾げてシチューを見ると、今度はやたら存在を主張しているブロッコリーを口に入れてみた。

 なぜか、こりこりぷちぷちとした魚卵のような食感が広がる。それだけならともかく、ぷちぷちの後に残る生臭さまで魚卵のそれだ。ちなみに、魚らしきものは皿の中に一切見受けられない。


 そして一番の問題は。


 味という味がほとんどしない。見た目にことごとく裏切られる食感と、香りだけはするのに期待した味がやってこない。美味いとかまずいとかの問題ではなく、限りなく不安になってくる。


「……どう? 美味しい?」


 自信満々で料理を出した本人はにこにこと両手で頬杖をつき、ぐいっと少年の顔を覗き込む。


「殺人的にヤバい」


 ルシオラにすら滅多に見せることのない見事なまでの真顔で、メビウスも見つめ返した。隣では、ソラが黙々とスプーンを口に運んでいる。


「まずこれ、見た目以外はオレの知ってるシチューじゃねえ。見た目と中身のギャップで一瞬オレが間違ったかと思ったけど、そうじゃねーな。見た目と違う具材しか入ってないし、そもそも美味しそうな匂いがするのに味がしない。これだけものはいってんのにまったく味がしないって、どーゆーことだよ。なに食ってんのか不安になる物体だな。あとなんか無駄にねとっとしてるし、つまり精神的にヤバいなにかだよ、これ」


 食べ物、と言うのすら躊躇できる物体だ。スプーンを置くと腕を組み、シチューらしきなにかを睨みつける。相変わらず、見た目と匂いだけは美味しそうなままだ。調理過程と見た目で危険な香りがぷんぷんするが、その実味は不気味なほど最高というルシオラとある意味いい勝負である。


「これ、客に出したら不安すぎて死人が出るぞ」

「そうなんですよ……。なにを作ってもこうなるんです。だからダメだと」


 メビウスと店主がダメ出しを重ねる一方で。

 アンナは、黙々とスプーンを動かし続けるソラに話しかけた。


「君は? 君はどう思う?」

「ソラちゃん! 律儀に全部食べなくったっていいんだぜ。それこそ新手の毒だぞこれ」


 はっとして隣のソラを見やる。あまりのヤバさに、彼女が食べ続けているという可能性を忘れていた。否、除外していたといってもいい。これを何度も口に運ぶなど、スプーンを持つ腕のほうが拒否して動かなくなってもおかしくはない。

 三者三様の視線を向けられ、ソラはきょとん、と首をかしげた。


「メビウス……。これは、毒じゃない。まったりしつこい感じとか噛み切れない野菜とかちょっとクセがあるけど、そのクセが病みつきになるというか、美味しいとも違うけどこれはこれでいいと思う」

「いや、それは、別の意味でヤバいやつなんじゃ」

「失礼な! 入ってないわよ変な粉なんか!」

「いやいやそこまで言ってねーし」


 なんで男どもにはこの味がわかんないのかなー? とぶつくさ言いながらも、スプーンを口に運び続けるソラを見てにこにこする。そんなアンナを見て、メビウスも頬杖をついてなんとはなしにソラを眺めた。無表情無感情ではあるが、確かに無理して食べている様子はない。


 それよりむしろ、少女のきれいな銀髪が謎のシチューもどきについてしまうんじゃないかとか、そういう些細なことが気になって仕方がなかった。ソラの髪そのものは手入れがしてあるようだが、髪の長さはバラバラで前髪も長い部分と短い部分が混在している。さすがに長い個所は手で押さえて食べているが、どう見ても食べづらそうだった。

 やはり、不思議な少女である。魔法についてはもちろんのこと、見た目についても頓着はなさそうだがこざっぱりとしていて不快感はない。最初からそうだったとメビウスは思い出す。


 どこから落ちてきたのか、はたまた転移してきたのかはわからない。追手がすぐそこに迫っていたということは、記憶を失う前から追われていたのだろうか。それにしては、衣服の乱れも汚れも見受けられなかった。裸足だったのもやはり引っかかる。靴どころか、森の中だというのになにも持ってすらいなかった。


 改めて思い起こしてみると。

 まるで、眠ったまま転移でもさせられたかのような、そんな雰囲気だったのだ。


 ――結局。


 ソラちゃんのことってなに一つわかってないんだよなぁと嘆息し、店主に水を頼む。まったりとした謎の食感が舌の上にずっと残っていてすっきりしない。冷たい水を一気に喉に流し込むと、ほんの少しだけましになった気がした。ソラとアンナの味に対する独特な解釈を持つもの同士の話はまだ続いており、そこに混じる気にはさすがのメビウスですらなれない。


 手持無沙汰になってふと、開け放たれた扉から表通りへぼんやりと視線を送る。

 それほど人は多くない時間帯だが、それでも中規模の街の中ではじゅうぶんな人出だろう。まず、人通りが途絶えることがない。多種多様、様々な意匠をほどこした衣服が行き交っているのも、ラゼルの街ならではである。


 街に着いたときはソラと一緒で浮足立っていたこともあり、ゆっくりと街中を観察する余裕がなかった。こうしてぼーっと眺めてみると、立ち並ぶ店の間にも商人たちがこぞって露店を構えている。

 商魂たくましいなと思いつつ、少し興味が沸いた。

 ソラは相変わらず話に花を咲かせている。話題はともかく、それはそれで喜ばしいことだと笑顔を浮かべ、メビウスは立ち上がった。


「ソラちゃん、ゆっくり食べてていいよ」

「……?」


 不思議そうな顔のソラを残して店を出る。入ったときより影が少しだけ、長くのびていた。

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