11・ソラの魔法
とんとん、と買ったショートブーツの感触を確かめるように歩くソラの後ろで、メビウスは大きく伸びをした。いくら彼女が軽いとはいえ、ずっと抱えたままではさすがに疲れがたまる。加えて、ソラを抱えた状態で戦うというアクシデントもあったのだから尚更だ。
ぴりっとした痛みが脇腹に走り、メビウスは顔をしかめた。かすり傷とはいえ、刃物で切られたのだから痛みがあって当然だろう。あーあ、とげんなりした顔で傷口を見る。
死んでも生き返るくせに、傷の治りが早いとか病気にかからないなどといったことは一切ない。
どんなに激しい損傷を受けていたとしても、死ねば傷跡も残さず生き返るだけだ。あまりに見事な再生っぷりに、実は自分のスペアが何個も用意してあるんじゃないかと幼心に疑ったこともあるぐらいである。だが、使われた毒に耐性がついたり以前かかった病気にもかかりづらくなっていることから、身体自身はやはりそのままなのだろう。さすがは、灰になってもよみがえると言われる不死鳥の加護を享けているだけのことはある。いいんだか悪いんだか、正直微妙なところではあるが。ちなみに、まだ完全な灰になってみたことはないし、今後試してみる予定もない。
「……傷、みせて」
考えに耽っていると、いつの間にかソラが振り返って立ち止まっていた。
「いや、かすり傷だし。放っときゃ治るよ」
「わたしには怪我をしちゃダメだって言ったのに、メビウスはいいの?」
「ソラちゃんが裸足で外を歩くのとオレが勝手に怪我することとは」
「なにが違うの?」
食い気味に少女は言い、つかつかと寄ってくると上着の下に手をいれて傷口を触った。濡れた感触が伝わり、ソラは半眼でメビウスを見上げる。
「かすり傷? まだ血が止まってない」
「大丈夫だよ。すぐ止まるって」
経験上、嘘ではない。ただ今回はなんの処置もせず、さらにソラを抱いたまま動いていたことで傷がふさがるのが遅れているだけだ。だがそれを正直に少女に話すという選択肢は、少年の中にはない。だからいつも通りの、へらっとした笑みを浮かべるにとどまる。
「みせて」
有無を言わさぬ声音だった。いったいなにが少女の逆鱗に触れたのかはわからないが、確実にソラは怒っている。わからない以上、メビウスは少女の言葉に従うしかなかった。彼女を怒らせるために街に出てきたわけではない。ここが大通りから一本中に入った通りで良かったと思いながら、しぶしぶ厚手の黒いインナーをまくり上げる。
見た目どおり、十四、五歳程度の少年らしいまだ線の細い身体だ。しかし、小柄ではあるがつくべきところにはしっかりとしなやかな筋肉がついている。ソラを抱えたまま立ち回ることができたのも頷けた。
「あのー……あんまり、触んないでね? 汚れるし、毒がついてる可能性はあるから」
ソラは少年の言葉に一瞬眉を下げたように見えたが、すぐに血の滲む脇腹へ瞳を向ける。実際目にしてみると、メビウスの言ったとおり大した傷でないことは少女の目にも明らかだった。
「……な? 大した傷じゃないだろ?」
「……そうかも、しれない」
「もう気は済んだ?」
「待って」
傷口をしまおうとする少年を制し、手をあてた。一瞬、ソラの手の甲に青い魔法陣が浮かび、手のひらが淡い光に包まれる。ざわざわと、触られている箇所がくすぐったいような感覚を覚えたがすぐに消えた。
「……ソラちゃん?」
「これでいいと、思う」
言って手をどけると、そこにあったはずの傷は綺麗さっぱりなくなっていた。滲んでいた血がその名残を感じさせるだけである。呆気にとられ、ソラと自分の脇腹とをかわるがわる見ながら、ぺたぺたと傷があった場所を触る。
「え……? え? なにこれ、
この世界に、回復魔法はない。正確には、理論としては成り立っているが使い手がいないのである。理由は単純で、魔力で生命を扱うことが危険で難しいからだ。ほんの少しのちからの加減で、薬は毒にもなってしまう。リスクが高すぎるのだ。
魔法は魔力を持っているものなら誰でも使うことができるが、理論を理解し、練習を重ねて加減などを身につけていく。回復魔法は理論を理解しても、匙加減を覚えるまで練習することが容易にはできないうえ、魔法の暴発や事故は確実に命に関わる。だから、使おうとするものは減っていき、いまでは理論だけが残った文献の中の魔法なのである。医療技術や薬の発達、魔法道具の開発が著しかったことも一役買った。
さすがにメビウスでもそれぐらいは知っている。なぜなら、彼もいままでに一度も見たことがないからだ。どこかで使われたという噂を聞いたこともない。二千年の間、噂すらでないのだから理論上の魔法なのだろう、と魔力がなく魔法に興味がない少年にも嫌でもわかるというわけだ。
それなのに。
メビウスが目を丸くして自分を見つめているのを感じ、ソラは少し早口で言う。
「メビウスの治癒能力を活性化させただけ。わたしが治したわけじゃない」
「活性化させたって……凄いよソラちゃん!」
「傷が小さかったからできたの。大きな怪我や毒には使えない。身体への負担が大きくなりすぎてしまうから」
「それは大丈夫です! オレに毒は効かないって聞いてただろ?」
にひっといつもの調子を取り戻した少年がドン、と胸を叩いた。だが、ソラは今度こそ眉を吊り上げてはっきりと怒りをあらわにする。
「大抵の毒は効かない。それってもし、今までに
尻すぼみに声が小さくなっていく。勢いで声を出してしまったが、収拾がつかなくなったのだろう。最初は目を合わせて怒っていた少女がいまはどうしたらいいのかわからなくなったのか、下を向いて石畳を見つめている。
下を向いた少女の頭に、ぽんと手が置かれた。
「簡単に考えすぎ、かぁ。確かに、死ぬことはないって軽く思ってるところはあったかもな」
素直な告白に、ソラは顔をあげる。てっきり自分を見ているだろうと思った二つの太陽はそこにはなく、メビウスはまっすぐ前を向いていた。そのまっすぐで穏やかな横顔に、少女は一瞬見惚れてしまう。
「心配してくれて、サンキュな」
そんな穏やかな言葉を、穏やかな笑顔を、いま向けられて。
見つめ返すことができず、ソラはまた下を向く。ぽんぽん、ともう一度優しく手が触れた。
「ソラちゃん。もしかして君が狙われてるのは、そのちからのせいかもしれないな」
「……わたしは、そんなに大したことができるわけじゃない。メビウスの怪我が治ったのも、結局メビウス自身のちからであって、わたしは少し後押ししただけ。わたしにできるのは、それだけなの」
小さな声は、少しだけ震えていた。それを聞き、頭に乗せた手はそのままに、少年はもう片方の手を少女の背中へ回す。美しい銀髪でほぼ隠れている背中はやはり骨ばっていて、ちからをいれればすぐ折れそうなほどに華奢だ。この細い身体に、いったいどれだけのものを背負っているというのだろう。
「大丈夫。なにがあっても、ソラちゃんはオレが守る。だからソラちゃんは、なにがあっても安心してていい」
――たとえ。
――たとえ。
ソラちゃんが、
「オレが――守るから」
耳元で、柔らかな声が力強く告げる。少女の身体から、不自然にこわばっていたちからが抜けた。同時に少女は、さきほど自分がなぜあんなにも怒っていたのかを悟る。
死なないって、理解していても。
わたしは――
二人の間を、静かな時間が流れた。
多分それは、とても長い――瞬きするほどの短い時間だっただろう。
「ところで、腹減らない? 思ってた以上に動き回ったからオレもう限界かも」
空気をぶち壊すおどけた声で言ったメビウスに、少女は微笑みながら小さく頷いた。
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