10・ 厄介事がやってくる(2)

 状況は、あまりよろしくない。

 走りながら、メビウスは冷静に状況を整理していた。


 こちらを勝手に追いかけてきているようでいて、人が多い大きな通りから離れるように追い込まれている。時々街に寄る程度のメビウスとは違い、三人組は街の地図を頭に叩き込んでいるようだ。


 地の利はあっちが上、か。

 加えて、こちらにはソラがいる。抱き上げたままでは目立つが、だからといって裸足のまま整備もろくにされていない道を走らせることはできない相談だ。それに、ソラが裸足でなかったとしても少女の足では結局追いつかれるだろう。


 仕方がない。


「ソラちゃん。怖い?」


 早口でたずねると、少女は首を横に振った。それを見て、少年はにっと笑う。


「さすが。じゃあ大丈夫だね。はっきり言って、いまの状況じゃあいつらを撒けない。だから、話してみようと思う」

「わたしがいるから?」

「うん。なるべく穏便に済ませたいんだけど、そうもいかないかもしれない」


 言いながら、メビウスは細い道へ入っていく。当然、男たちも追ってきた。


「ソラちゃんにしてもらいたいことは一つ。しっかり、つかまってて」


 少女とは対極の、朱の瞳が頼もしい光を帯びる。ソラが首に回す腕にちからを込めたのを感じ、メビウスは足を止めた。先には壁が立ちはだかっており、人の気配はまるでない。


「もう逃げないのかあ?」


 薄ら笑いとともにかけられた声を合図に振りかえる。もちろん後ろには、かなり息を切らせた巨漢の男と青年、そして少し離れて嫌な空気をまとわりつかせている男。


 厄介事は起こすな巻かれるなって言われたけど。

 なんでかこういう状況に陥っちゃうんだよなぁと、メビウスは小さく肩をすくめた。








 話してみる、と少年は言ったのだが。

 これはどう考えても話し合いじゃない、とソラは思う。


 謝ったとか謝ってないとか、折れたとか折れてないとかそんなやりとりの繰り返しである。これはただの、子供のケンカだ。

 そしていま現在、ソラの頭の上を行ったり来たりしている話題はというと。


「大体ガキが昼間っから道の真ん中でイチャイチャしてんじゃねーよ! 目障りなんだよ!」

「イチャイチャじゃねーし! 靴が破れちゃったから買いに来たんだって、何回言ったら覚えんだよ!」

「うるせぇな! 目障りったら目障りなんだよ! 靴がないなら裸足で歩かせろ!」

「は!? 女の子を裸足で!? そんなだからモテねーんだよ。イチャイチャしたことねーだろー」

「こンのクソガキ……ッ!!」


 盛大に問題から脱線している。勝ち誇った顔で巨漢を見上げるメビウスを見、ソラはそっとため息をついた。


「あー、悪い時にぶつかっちゃったねー。こいつ、仕事で派手にやらかしたあとでさぁ。ちょっといま機嫌悪いんだよねぇ」


 一瞬言い争いが止まった隙に、三人組の中では比較的まともに見える及び腰の青年が割り込んだ。簡単に、巨漢の事情を説明してくれる。つまり、タイミングも悪かったわけだ。そのままこの場を収めてくれるのかと、多少の期待はしたのだが。


 「ほぅ」と小さな声が聞こえ、メビウスはそちらへ視線を飛ばす。一度も口を開かずにいた、一番得体が知れないと思った男だ。彼は顎に手をやり、なにやら頷きながら少女の全身を眺めまわしている。その不快な視線を遮るように、メビウスはずいと身体を動かした。

 少年の行動を見、三人目が愉快そうに笑みを浮かべる。


「……これさー。上手くやればアンタのミス帳消しになるかもよ? 女の子は申し分ないし、男のほうもまぁ見た目は悪くない。そういう趣味の奴らにはウケるんじゃねぇか?」

「……おっ? なるほどなァ。言われてみりゃ、活きのいいこいつらのほうがマニアにはよっぽどたまんねぇかもな」


 仲間の言葉に調子づく巨漢の男。仕事ってそーゆー仕事かよ、とメビウスは頭を抱えたくなった。これこそ正真正銘、最高級の厄介事である。


 ――が。

 それ以上に、そういう視点でソラを見られたということが不愉快でしょうがない。


「いらねえ評価をどうも。なにが仕事だ。ただの犯罪者じゃねーか」


 抑揚のない低い声で吐き捨てた。不愉快を通りすぎて気持ちが悪い。それは、ソラの初めて耳にする少年の声で、思わず彼を見上げる。普段のへらっとした笑みを浮かべている彼からは想像もつかない厳しい表情で、巨漢を睨みつけていた。


「おお、怖ェなぁ。そんな顔されたらおっかなくておにーさん震えちゃうよ」


 せせら笑うとわざとらしくぶるぶると震えてみせた。それを見て、三人目の不愉快な提案をした男が「まったくだ」と笑う。そんな二人を横目にしながら、青年はおろおろしているが止める気配はない。というより、自分では止められないと諦めているのだろう。一緒になって不自然な笑みを浮かべたりしている。


「……ソラちゃん。頭だけ、引っ込めてて」


 不意に耳元で囁かれ、呆然と成り行きを見守っていたソラは慌ててメビウスの胸に頭を寄せた。


「お前らさァ……いー加減に離れろよ。腕だって疲れるだろ? 俺が代わりにやさしーく抱いててやるから、な? おとなしくしてりゃなんもしねーよ」


 気味の悪い猫なで声をだし、巨漢がゆっくり近づいてくる。背後の壁をちらりと確認し、メビウスは足にちからを込めると少しだけ腰をおとした。


「なにもしないヤツはご丁寧になにもしないって言わねーんだよ」

「はは、そりゃ正論だ!」


 獣のように獰猛な笑いを浮かべて、巨漢が突進してくる。メビウスは男を見据えたまま動かない。男の太い腕が少女の白い衣服に届きそうになった瞬間。ふっと少年の姿が消え、巨漢は前のめりの体勢になる。目の端に、輝く金色が見えた気がした。


 刹那、巨漢の身体が跳ね飛ぶようにのけ反った。しゃがんで男の体勢が崩れたところに、メビウスの膝蹴りが顎にクリーンヒットしたのだ。みし、と嫌な音が顎から聞こえ、少年は伸びきった男の身体を蹴り飛ばして離れる。ボールのように勢いよくすっ飛んできた巨漢をかわし、三人目の男は「ほぅ」と楽しそうに瞳を細めた。完全に顎に決められ伸びた巨漢を一瞥し、みじかく何事かを呟く。どうやら詠唱だったようで、それぞれの細長い指先に淡い光がともり、バチバチと青白い火花が飛んだ。


「これはこれは。少ーし痛い目を見てもらう必要があるなぁ」

「やれるもんならやってみろ。やれるもんならな」

「ホント、活きがいいなー。痛い目っても一瞬で麻痺するから、怖がんねぇでさっさとおねんねしてくれよぉ!」


 広げた指先から、青白い稲妻がほとばしる。稲妻はまるで意思を持っているかのように放物線を描き、次々と少年の周囲に着弾して砂埃を巻き上げた。


 耳元で聞こえたのは、風を切る音。


「……がッ!!」


 重たい衝撃が男の後頭部を襲う。容赦なく振りぬかれた回し蹴りは脳を揺らし、男を昏倒させるにはじゅうぶんな威力を持っていた。二、三歩ふらふらと前に進むと、あっけなく倒れる。


「女の子は申し分ない? そんな程度じゃねーだろ、ソラちゃんは最高なんだよバーカ!」


 とっと軽い音を立てて着地すると、高らかに言い放つ。


「そんなこともわかんねーんだったらとっとと人身売買なんかやめちまえ!」


 わかるわからないに関わらず、それは犯罪ですとウィルがいたら突っ込んでいただろう。なんにせよ、明らかに的外れな怒声は倒れ伏す男たちには届いていない。


「な、なんなんだよ、お前……!」


 ひどく震えた、動揺だらけの声が耳に入る。声の主の手に、まるで似合わない刃物が握られているのを見て、メビウスは眉根を寄せた。


「武器を持ったら命のやり取りになる。先に抜いたのはそっちだ。そういう覚悟はもちろんできてんだろうな、お前」


 震える手でナイフをこちらへ向ける青年に、いつの間に抜いたのか。メビウスは真っ直ぐに得物の切っ先を向けて静かに言い放った。少年の右手に握られた小振りの剣は、青年が一歩でも踏み込んで来ようものなら迷いなく振り切られるだろう。燃えさかる太陽の炎を宿した瞳が、鮮やかに語っている。


 強い意思をともした視線に射抜かれ、青年は狙いの定まらないナイフを持った手をぱたりとおろした。それを見て、メビウスもあっさりと剣を鞘にしまう。


「お前さ、多分こーゆーこと向いてねえよ。いまなら逃げられる。見なかったことにしてやるから、な?」


 太陽の色の瞳。広大な空の中で、圧倒的存在感を持って輝く星と同じ色。その瞳を細め、僅かに笑顔を乗せると少年は背を向けて歩きだす。暗い路地裏から、明るい光の差す大通りへと。


 その姿に。

 無性に腹が立ったのは、なぜだろう。


「……逃げられるなら」


 とっくに、そうしてんだよ。

 光のない目で呟いて、握ったままだったナイフの切っ先をあげる。

 もう、手は震えない。

 小さく縮めていた身体をそろりと離したソラの視界に、刃がきらめく。


「メビウスッ!」


 青年が背後から突き出してきたナイフを、身体をひねって避ける。伸ばされたままの手をぱんっと蹴り上げると、ナイフは簡単に青年の手から離れて地面に落ちた。


「結局、お前も心の底まであっち側ってことか」

「今更俺だけ逃げるなんて、できるわけねぇだろ! 一人ぐらい道連れにしねーと……ッ」


 ひっくり返った声で叫んだ。見開かれた瞳には狂気の色が宿っている。


「ひ、一人ぐらいッ! そう、一人ぐらいはッ!」


 叫びながら、少年を指差して笑った。意味がわからずきょとん、と首をかしげると一瞬ぴりっとした痛みが脇腹に走る。痛みの先に視線を落とすと、ナイフが掠ったのだろう。小さな切り傷ができていた。


「あーあ、これからデートだっつーのに」


 服が切れちゃったじゃんとぼやいて、落ちたナイフを拾う。刃をよく見ると、赤いもの以外に透明な液体で濡れていた。ため息をついて、なにかに憑りつかれたように笑い続ける青年に問う。


「これ、毒か?」


 心底面倒そうに口にした少年を見、青年の笑いがぴたりと止まった。


「な、んで……」

「残念だけど、オレ、大抵の毒は効かねえの。散々毒で死んだら慣れちゃって」


 申し訳なさそうに、苦く笑う。


「お前……ほんとなんなんだよ、なんなんだよお前ッ! 化け物かよ!」

「多分、そうかな」


 まだうっすらと苦笑を浮かべたままだが、淡々とした口調には何の感情もこもっていない。それもまた、ソラが初めて聞いた声だった。色のない空っぽな、声。


 ひゅっとかすかな音を立て、メビウスの右手が動く。次に響いたのは、大げさなほどの絶叫だった。びくりとそちらに目をやれば、青年の肩にナイフが突き刺さっている。


「言ったろ? 武器を持ったら命のやり取りになるって。オレには効かないけど、お前は解毒剤ちゃんと打ったか?」


 言われて青年はその存在を思い出したのだろう。内ポケットへ手を伸ばすも、身体がいうことをきかず、その場に膝をついた。


「ま、そんなとこだと思ったよ。商品を殺すわけにいかねーもんな。即効性の麻痺毒ってとこだろ。自警団に連絡しといてやるから、それまでおとなしく痺れてなさい」


 にまっと浮かべた、いつものメビウスらしいいたずらっ子のような笑みを少しだけくもらせて。

 少年は、今度こそ悠々と路地から出て行った。

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