4・封印

 カッ!! 


 石像から放たれたまばゆい光が視界を白く塗りつぶす。反射的に顔をそむけ、目をつぶった。

 強い光は一瞬でおさまった。青年騎士はゆっくりとまぶたを押し上げる。


「……え?」


 思わず、声がでた。

 石像があった場所には女が一人、ひざまずいている。

 それは、さっきまで石像だったはずの女で間違いない。生身の肉体を持っても肌の色は白く美しく、輝く白銀の長い髪と金色の瞳は神秘的だった。


 だが、なにより印象的だったのはその羽だ。背中から生えている羽は鳥のそれではなく、光そのものを背負っているように見えた。鳥の羽というよりは蝶の羽のように広がった形をしている。淡く白いかがやきをまとっている光の羽は、ふっと消えた。


「……まさか本当によみがえるとは。私も半信半疑だったよ」


 国王が女を氷点下の瞳で見下ろしながら、無感情に言い放つ。切り裂いた左腕の傷口からはいまだ血が滴っている。侍女の一人がはっとして応急手当を始めようとしたが、王は右手で軽く制止すると布だけ受け取って傷口に当てた。もとより、それほど深くは切っていないようだった。


「大罪人、神族ブリュンヒルデ。最高神の裁きにより地位を剥奪のうえ、神界を追放。エイジアシェルの血族がお前のちからを必要としたとき、その血をもってよみがえる。そんな与太話が真実だとはな」


 あくまで感情は込めず、静かな口調だ。しかし静かな声とは裏腹に、腕を押さえる右手にはちからが入っているのが見て取れた。いったい、どんな感情がないまぜになっているのだろうと青年は思う。


 ブリュンヒルデと呼ばれた女はゆるりと周囲を見回し、つと立ち上がる。ひらりと揺れた質素なドレスが彼女本人の美しさを際立たせている。


「……大罪人。わたくしは、そのように呼ばれていますのね」


 儚げでありながら強い信念も感じられる、不思議な声音。声もまた、心地良く耳に入り込んでくる。

 なにもかもが作り物のように美しく完璧すぎて、存在自体が嘘のような女だ。こんな女に会ったなどと、誰に言っても信じてもらえないに違いない。


「当たり前だろう。お前がすべての元凶なのだ。お前たちがまだそれぞれの世界を行き来できた時代、たった一つのルールは互いに過干渉はしない、ただそれだけだった。それが、種族の垣根をこえて人間を誘惑するなど、子を産むなど、あってはならぬことだったのだろう?」

「そう……。そうなのでしょうね。だけどわたくしは、あの人を愛したことを後悔してはおりません。それが罪だというなら、なにを愛と言うのでしょう」

「愛の定義を説くつもりはない。私にとって、いままでおとぎ話でしかなかった話だ。だが、おとぎ話が真実だったいま、私にとって大切なことはここでお前の罰を執行できるという、ただそれだけだ」


 ぴしゃりと言い放ち、沈黙が場を支配する。


 王妃は身体を起こし、侍女に支えられながら血の気を失った顔で二人を見つめていた。いったいなにが起きているのかわからない、そういった表情だ。どうやら王に一番近い身分の彼女ですら、なにも知らされていなかったらしい。青年にいたっては、なぜ自分が居合わせてしまったのかと頭を抱えたくなる衝動を必死に抑えている状態である。


 重たい沈黙がしばらく続いたあと、ブリュンヒルデが静かに唇を震わせた。


「……わたくしのちからを、必要となさっているのですね?」

「それ以外になにがある。お前の命をかけて我が国を救ってみせよ」

「それは……」


 神族は、初めて言葉に詰まった。形の良い眉をきゅっと寄せる。


「それは?」

「……さきほど、石化を解かれたときに感じました。亀裂が、できたのですね?」

「だから、呼んだのだ。いままでの魔獣とは比較にならない数と強さ、なによりあれらは、亀裂ができたことを好機ととり、この国を落としにきている」

「魔族は昔から人間界を欲しがっていた。変わらないのですね」

「変わらないどころか、お前のおかげで神族が神界に引き上げて以来、少しの隙間でもはい出てくるようになっているよ。お前は、後悔しないと言ったがな」


 それはやはり、だ。

 王は、そう言いたいのだろう。


 ブリュンヒルデは下を向くと黙り込んだ。しばしの逡巡があったのかもしれない。やがて、彼女は小さく首を横に振ると、意を決して口を開いた。


「魔族数匹ならばともかく、相手は正規の魔王軍でしょう。いくらなんでもわたくし一人で殲滅するのは無理なお話。ですが……」


 ぐるりと周囲を見回す。


「封印、ならば」


 ただし。

 それにはです。

 続けられた言葉に対し、王がみじかく問う。


「どういうことだ?」


 ブリュンヒルデはもう覚悟を決めているのだろう。真っすぐに王を見据え、答える。


「わたくしの命だけではなく、皆様の命も魔力に変える。そのすべてを使って魔族を彼らの世界に封印します」


 さらりと、なんでもないことのように。

 命を魔力に変えて扱う魔法のちからは確かに大きい。


 しかし――それは。


「……我々にも禁忌を犯して刺し違えろと言うのか。貴様はいったいどこまで罪深い……ッ」

「ですが、このままでは。エイジアシェルだけではなく、人間界そのものを魔族に滅ぼされかねません。この亀裂は、それだけの規模があります。放置すれば魔族の王すら出てきてしまう」

「……国を、世界のために犠牲にしろと言うのか」


 かろうじて絞りだした声は掠れていた。


「雨が止むまで待っているのはなぜか? 魔族の王は、雨が嫌いなんだそうですよ」


 遠い昔に聞いた噂ですけど、と神族の罪人は告げる。


「わたくしは、果てるまで魔族と戦っても構いません。ですがそれではこの国はおろか、人間界そのものを危機にさらす可能性が高い。それでも構わないのであれば、王が命じてくださればそのようにいたしましょう。わたくしのちからをエイジアシェルのために行使する、それがわたくしに課せられた罰なのですから」

「……まるで、脅しのような言葉だな」


 ぽつりと呟き、視線をやったのは今にも倒れ込みそうな顔色で成り行きを見守っている王妃へだった。それから、ゆっくりとこの場にいる全員の顔を見る。


「雨が止む前に決断か。私はこのまま、ずっと降っていて欲しいよ」


 それは。

 青年が聞いた、国王の初めての弱音だったかもしれない。

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