5・太陽

「止まぬ雨などありません。わたくしのちからを望んだのは、国王様ではございませんか」


 残酷な言葉が場を切り裂く。言葉とは裏腹に聖母のような優しい微笑みを浮かべ、ブリュンヒルデはささやいた。


「悪いのは国王様ではありません。ただ、時期が悪かっただけ。なにもしなければ国は滅び、世界も危機にさらしてしまう。でもいま亀裂を封印すれば、国は滅んでも永遠に伝説として残ります。命をかけて世界を救った――英雄が率いた国だ、と」


 甘い、ささやきだった。とろけてしまいそうに甘いが、言葉には猛毒が含まれている。


「もうやめて。これ以上彼を苦しめないで」


 声を上げたのは、王妃だった。侍女の制止を振り切り、ブリュンヒルデに食ってかかる。


「罰ですって? あなたが言っている罰とは、いったい誰の罰です? この国を救うと言いながら、私にはあなたのほうがエイジアシェルを滅ぼしたがっているように聞こえるわ」


 王ははっとして王妃を見る。


「神族だかなんだか知らないけれど、馬鹿にしないで。仮にあなたが本当に『罪』を悔いて『罰』を受けるつもりだとしても、『罰』を決めるのは私たち。あなたはただ『罰』を執行されるだけの、それだけの存在でしょう。そんなあなたがまどわさないで。国の、世界のために命をかけるのも私たち国民だけ。あなたは、ただそれが実行できるというだけだわ。軽々しく命を使うなんて言葉を口にしないで」


 神族を前にして、きっぱりと言い切った。


「私はなにも知らなかった。知ろうともしなかった。それでも、この国の王妃です。あなたに言われずとも最後ぐらい、王妃として国と命を共にする覚悟ぐらいできています」


 ブリュンヒルデはなにも言わず、無表情で王妃を見つめていた。微笑みも、甘い毒もなりを潜め、王妃の凛とした態度に気圧されているかのようだ。


 しかし、それも一瞬のこと。

 彼女はふたたびふわりとした優しい微笑みを貼りつかせると、ぽつりと呟く。


「うらやましいわ。わたくしも、命を共にする覚悟はできておりましたのに」

「……あ」


 小さな声だったが、王妃の勢いを削ぐにはじゅうぶんだった。彼女は国王よりもさらに若く、外を知らない。自分が感情にまかせてずいぶんと言い募ってしまったことを後悔し、言い過ぎてしまったと謝罪を口にしようとしたときだ。


 ぽん、と彼女の頭に国王の手が触れる。自然と彼女は王の顔を見上げた。

 彼は、すっきりとした表情を浮かべていた。


「ありがとう。君のおかげで吹っ切れたよ。半信半疑だった伝説のちからまで呼び起こしておいて、無駄死にはできない。雨があがれば、太陽が青い空を照らしてくれるだろう」

「それでは」

「ブリュンヒルデ。お前に魔族と亀裂の封印を命じる。なにか、用意するものはあるか?」

「いいえ。しいて言うならば、生き残っている国民たちにこれから行うことを知らせてあげてくれますか?」

「わかった。知らせよう。みなにも知る権利がある」


 うなづいて、女性騎士に指示を出す。いままで影のように王妃に付き添っていた女は、それこそ影のようにするりと部屋を出て行った。


「大事なことを忘れていました。あの子は……ルシオラはどこにいますか?」


 唐突な質問だった。国王以外は質問の意味すらわからない。ブリュンヒルデの存在と同じく、代々王家の血を引く人間にしか伝えられていない名前だからだ。

 ブリュンヒルデの金色の視線が王の青い視線とぶつかる。王の視線がまた険しくなった。


「それを聞いてどうする」

「封印の、後始末を。わたくしの命を使うのですから、仕上げをするものが必要です。それができるのは、ルシオラぐらいでしょう」

「……なるほど。確かに、あの魔女ならば可能だろうな。島の南西にある塔に籠もりっきりだ。お前も一度だけ見たことがあるだろう」

「まだ、あの場所にいるのですね。良かった」


 魔女、と呼ばれたときに一度きゅっと手を握りしめたがそれだけだった。だがそれだけの動作で、ルシオラとは何者なのか今までの話を聞いていればなんとなく想像はつく。


「あの塔でしたら、入り口までわたくしでも転移陣がかけられる。目立たないよう、なるべく小さな転移陣がいいわ。どなたかお一人、ルシオラに連絡を。詳しい説明はわたくしが『言霊』に吹き込みます。ただそれを、渡してくれればいい」


 そうすれば――。

 運が良ければ、生き残る可能性もあるでしょう。


 生き残る。

 その言葉に全員が落ち着きなく視線を泳がせ。

 自然と、ひとところに視線が集まる。


「――そう。生まれたばかりの赤子。未来がたくさんありますもの」


 慈愛のこもった瞳でブリュンヒルデも赤子を見つめる。

 柔らかな白い布に包まれた赤ん坊は、いまだ安らかな寝息を立てていた。ときおり、むにむにと口を動かすのはなにか夢でも見ているのだろうか。


 しかし、ブリュンヒルデは首を横に振った。


「でも、赤子では塔まで歩くことも、ましてやルシオラに説明をすることもできません。残念ですが――」

「では、そこの青年に足になってもらおう。彼に言霊と子供を託す。……それは、できぬ相談だろうか」

「……おれ?」


 思っていたより、間抜けな声がでた。

 そう。

 青年は、のだ。

 この場にいる全員の視線を一身に受けて、居心地の悪さがさらに増す。


「元より彼は、この場にいるはずではなかった。伝令として居合わせてしまっただけだ。だから、言伝を頼むには彼が適任だ」

「し、しかし……! それなら王妃様やそれこそ国王様が残って」

「私たちは、国と運命を共にする。もう決めたことだ」


 王の言葉に王妃も黙ってうなづいた。


「ですが、そんな、俺なんかより女性だっているでしょう!」

「塔の周囲は岩場で足場が悪い。君が適任なんだよ」

「……そんな……ッ!」


 うなだれた青年を見やり、ブリュンヒルデが口を開く。


「わかりました。その青年に託しましょう。言霊と――未来のある赤子を」

「え?」


 それぞれがそれぞれの意味を持って、同じ一言を発した。


 青年は、自分が生き残ると決まったことについて。

 他の人間は、赤子を連れて行けることについて。


 王妃がベッドに近づき、そっと赤ん坊を抱きあげる。ちからをいれれば壊れてしまいそうなほど小さな子供を、静かに抱きしめた。


「この子を、守ってやってくれ」


 国王の言葉と共に、小さな身体をおそるおそる受け取る。とても軽いその身体は、だがとても温かかった。

 小さな鼓動が、青年の手にしっかりと伝わる。


 ――ああ。

 


 実感してしまうと、彼はとても怖くなった。まるでおもちゃか人形のように小さく軽いが、きちんと生きている。呼吸をしている。


 俺は。

 守れるのだろうか。


「この子には、エイジアシェルの人々のぶん――いいえ、それ以上、生きて幸せになってもらいたいわ」


 ごめんなさい、こんなときに産んでしまって。


 顔をそむけて涙をこらえ、必死に笑顔を作りながら押し殺した懺悔を繰り返す王妃の細い肩を王はそっと抱いた。


「謝ることはない。君が背中を押してくれた。これで良かったのだ。こんな孤島で一生を暮らすより。もう罪も罰もない。神族から解放されて自由に生きることができる。それがなによりも幸せだ」

「ええ……。私は本当になにも知らなかった。あなたがずっと縛られていることにも気づけなかった。ごめんなさい。私は……なにもかも、失格ね」

「知らないのは当たり前だ。誰にも言ってはいけない秘密だったのだから。だから、謝ることなど本当になにもない。むしろ、一目でも我が子に会えたのだ。君が、いてくれたから」


 こらえきれない涙が王妃の頬を滑っていく。その雫をそっと指で拭って「ありがとう」と王はささやいた。


「えっと……あ……」


 いつの間にか青年の近くにきていたブリュンヒルデが、口に人差し指を当て手紙を差し出した。宛名もなにも書かれていない、真っ白な封筒である。ただ一ヶ所、見たこともない文字で封がされていた。


「これをルシオラに。それと――」


 王が王妃をはげましている隙に、彼女はそっと赤子のおでこに触れた。細い指先をすぅと動かし、文字を書くような動作をする。彼女の指がなぞった先にうっすらと茜色の光が浮かび上がり読めない文字をかたどると、赤子に吸い込まれて消えた。


「おまじないです。この子が、、と」


 訝し気な顔をした青年にむかい、ブリュンヒルデは彼にのみ聞こえる大きさで言った。眠っていたはずの赤子は初めて大きな瞳を見開き、きょとん、と彼の顔を見る。


 太陽のような朱色あけいろの瞳に見つめられ、思わず息をのんだ。あまりにも、青年の想像と違う色だったから。

 王も王妃も多少色の違いはあれど、宝石のような碧眼だ。透きとおった、青空のような色。癒されるような、深い水面を映した色。


 ――雨があがれば、太陽が青い空を照らす。


 それはしくも、決意を固めた国王本人が口にした言葉だ。


 国王は。

 王妃は。


 この太陽のような光を見たのだろうか。


 もし――見ていないのだとしたら。

 なぜかはわからない。

 わからないが、見せてはいけないような気がしたのだ。

 赤子はまぶたを閉じ、にっこりと屈託のない笑みを浮かべるとまた眠った。







「それでは、覚悟はよろしいですね?」


 ぐるりと周囲を見回し、ブリュンヒルデが問う。もう誰も、異を唱えるものはいない。

 それでは、と神族は詠唱を始めた。するとその背に神々しい光の翼が宿り、美しく光り輝く。まるで本当に、神そのものではないのかと錯覚してしまうような。


 ぐら、とめまいにも似た感覚が青年を襲う。

 足元からほとばしる、すさまじい光の奔流。

 ブリュンヒルデによる、転移術が発動したのだ。目の前の人物が、景色がどんどんと遠ざかってゆく。


 「――ッ!」


 最後に、青年はなにかを言おうとして――。







 そこで、ぶつん、と映像は途切れる。







 いつもそうだ。

 いつも、ここで幕がおりる。

 これより先、ブリュンヒルデはいったいなにをしたのか。それを目にしたことは一度もない。


 ルシオラからざっとした説明は受けているが、この夢が正しいのであればルシオラもすべてが終わってからあの場へ行っているはずだ。彼女もその場で見ていたわけではない。

 だからそれは、メビウスの知らないことだ。知ったところでいまの状況が変わるわけでもない。いまの彼にとっては、どうでもいいことに等しい。


 なぜならこれは。


 だからだ。


 一人の神族が罪を犯し、神界から追放され神族は人間界から姿を消した。

 それから月日は流れ、魔族が人間界を手にいれるため悲劇の国エイジアシェルへ進軍を開始する。その魔王軍を命をとして魔界に封印したのが――罪を背負いし神族の姫、ブリュンヒルデである。


 遠い遠い昔の物語。

 伝説として語り継がれているだけの、そんな話だ。


 そんな話を。

 忘れるな、とは。


 本来ならば持っているはずのない記憶を刻みつけて、そこまでしていったいなにがしたい?


「……!?」


 なにかが聞こえたような気がして、少年ははっとする。

 いままでは、こんなことはなかった。

 映像が途切れたら待つ。ただそれだけだったはずなのに。

 確かに、聞こえた。





 ――わたしを、はなさないで。





 もう一度。

 かすかに聞こえた声をきっかけに、メビウスの意識はゆるりと浮上していった。

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