第五章 壊れた蝋の翼

第五章(01) こいつはマキーナだ

 兄に続いて、アークは夜の空を飛んだ。夜は監視を担当する『探求者』が飛んでいることがある。盗賊や何者かが勝手に『旅島』に入り込んで、プリズムや遺産を持ち出さないよう、見張っているのだ。

 運良くここで見つけてもらったら――と、アークは思っていたが、そんなことはなかった。目的の島の影が見えてきた。完全に未知の島――。

「……不安か?」

 滑空しながらカノフが振り返った。アークは苦い顔をする。

「当たり前だろ。こんなことしていいのかよ……お前もハレンも何考えてんだか」

「じゃ、戻るか?」

 その問いに、何も返せなかった。ハレンはもう行ってしまったのだから。

 目的の島の上空までやってくれば、アークは例の遺跡を見下ろした。その入り口へ、カノフと共に降り立つ。

 昼間はわずかにあいていた遺跡の扉。いまはぴったりと閉まっている。その前にはハレンが立っていた。ハレンも誰にも見つからず、無事、ここに来られたらしい。

「遅いから、先に一人で入っちゃおうかと思った」

 彼女がそう言うものだから、アークは呆れた――本当に、危険という言葉を知らない奴だ。

 と、カノフが改めてハレンを見て、そして腰のホルスターを見て、

「しっかしお前、その紫の武器はどこで手に入れたんだ? 本当に……存在するんだなぁ」

 カノフですらも、存在を疑ってしまうような存在。その武器。

 ハレンはその『叡智の筆』を一体どこから持ってきたのだろうか――『探求者』協会本部のどこかから盗み出したのか。それくらいしか、アークには考えられなかった。

「見てみる?」

 ハレンはホルスターから銃を取り出せば、カノフへと差し出す。

「……いや、いい。初めての紫の武器は、俺自身で手に入れたものにしたいから」

 一瞬目を輝かせたが、カノフはそう断った。

「でも、ありがとな。いつか手に入れる、よりそう思えた……」

 そうして三人は、遺跡を見据えた。

 夜の闇の中にあるその遺跡は、ひどく不気味だ。耳を澄ましても、中からは何の音も聞こえてこない。そびえ立っている。星と月の光に、巨大な影となってこちらを見下ろしていた。

 ――こんなことが、昔にもあった気がした。こんな光景を、昔にも見たような気がした。

 そうだ、と、アークは思い出す。あの時もカノフがいて、それからアクアリンもいた気がする。他にも、近所の友達数名。夜中に家を抜け出して、街を離れて――。

「じゃあ、行こう」

 ついにハレンの手が、目の前の扉を押し開く。鈍い音にびくりとしたのはアークだけではなかった――カノフも驚いていた。

「……いやぁ、やな音だなぁ」

 その非常に苦い顔には、見覚えがあった。

 カノフは、怯えていた――本当は怖いのだ。

 ――じゃあ何で来たんだよ。何でハレンを止めなかったんだよ。

 ぎょっとしてしまい、アークは兄から目をそむけた――お前も怖いんじゃないか。

 だがハレンは先へと進む。完全に未知、何の危険が潜んでいるのかわからない、遺跡の中へ。カノフもついていく。怯えた様子をすっかり隠して。そしてアークは一人残されるのが怖くて、仕方なくついて行く。手にはすでに、銃を握っていた。

 中は決して真っ暗ではなかった。窓はなく、燭台のようなものもない。しかし青白い壁がほんのり光を放っていて、薄明かりが中を満たしていた。入ってすぐはエントランスホールのようになっていて、左右に廊下が伸びている。どちらの先を見ても人影はない。

「……人を、見たんだって?」

 カノフが声を抑えて尋ねる。無意識にアークも声を抑えて、

「見間違いだって」

 するとハレンは少しも声を抑えずに、

「でも見間違いじゃなかったら? ――誰か、いるの?」

 呼びかけに空気は震えた。だが人の気配も、動物の気配も、それ以外の気配も何もない。

 足音をわずかに響かせながら、三人は左の廊下へ進んだ。ハレンが「こっち」と歩き出したからだ。窓も燭台もないのに明るい廊下は、まるで夢の中を歩いているようで不思議だった。落ち着けなかった。時折、廊下には扉があり、少し開けて中を覗き込んでみるものの、特に変わったものはない。どこも荒れ果てていて、埃っぽい。『旅島』らしく、相変わらず誰かが生活していた様子は伺えない。だが何か出てきそうな不気味さだ。

「気をつけろ、この手の遺跡には、超小型マキーナが多い……」

 と、カノフが辺りを警戒しながら言う。初めて聞く名に、アークは首を傾げた。

「超小型マキーナ?」

「今日見たゴーレムのネズミより小さいタイプの奴らだ。凶暴なのは凶暴だぞ……ただこういう場所だと彩想生物は少ないと思う……まあ、あれに関しては元々そういるもんじゃないしな」

 廊下はどこまでも続いている。やはり何の気配もない。

「何かが出てきても、荒らさないようにしないとな。ここに勝手に入ったことを知られたくないからな……ハレンがああ言ったけど、何もなかったことにするのが一番だ」

 カノフの言う通りで、誰にもばれないのが一番いい。だがそれ以上に、何か危険なものが出てこない方がいい、とアークは思う。

 一番いいのは、何も出てこず、誰にもばれずに帰ることだ。けれども。

「それはもう無理だから気にしないで。何か出てきたら、生きて帰れるかどうかだけ気にして」

 先頭を行くハレンが足を止め、振り返る。壁から放たれる青白い光に顔が照らされる。

「どういう意味だ?」

 まだ誰にも知られていないと思うのだが。アークは怪訝な顔をした。するとハレンは、

「紫の武器を持って来ちゃったから……多分、パパにばれてる」

 そうだった――ハレンは紫の『叡智の筆』を持ち出しているのだった。持ち出したことが知られてしまえば、きっとこの島に立ち入ったことも知られてしまうだろう。

 ……それにしても「パパにばれてる」とは。

「……その銃は、お前の親父のものなのか?」

 ――いや、何か変じゃないか?

 自分でそう尋ねて、アークは思い出す。違う。確かハレンの母親が紫ランクだったのではないか。シュトラ・ペギィレースが終わった際に、噂になったではないか。けれどもパパ、とは。

 と。

 ――……。

 まるで鐘を鳴らしたかのような音が。

 すぐさま一行は身構えた。カノフは剣の柄を掴み、ハレンがナイフを抜く。そしてアークはすでに握っていた銃の先を、音のした方へと向けた。

 そこは正面。突き当たりになっているかと思いきや、曲がり角になっているようだった。

 何かいる。鼓動が速くなる。この青白い薄明かりに満ちた空間は、ひどく空気が冷えているように感じる。肌を針でつつかれているかのようだ。

 ……銃を持つ手が、気付けば震えていた。

 ――何か、恐ろしいものがいたら。

 ……勝てるとは思えない――。

 しばらくして、もう音はしなかった。先には何も現れない。それでも、一行は身構えたまま。

「……アーク、憶えてるか?」

 と、こんな時にカノフが。あたかもいま話さないといけない、というように。

「街から少し離れた場所にあったぼろ屋敷……あそこ、よく幽霊が出るって言われてたよな」

「……ああ、まだ子供の時、一回行ったな、夜中に、肝試ししに」

 ――そうだ。そうだった。この遺跡に入る前の、怯えたカノフの様子。あれは、その時に見たのだ。いつも調子のいい兄が、幽霊が怖いと半泣きになっていたのを、アークは思い出す。

「アクアリンも一緒だったな……お前がちびって、指さして笑ってたな」

「俺はちびってはいねぇよ、ちびったのは別の奴だ……」

 アークが隣を見れば、兄の顔は青かった。

 そうだった――カノフは幽霊やお化けといったものが怖いのだ。すっかり忘れていた。

 ……大丈夫なのだろうか。やはり来たのは間違いではなかったのか。

「で、でも……ここは出るとしたら、マキーナか彩想生物だ……幽霊はそもそも存在しないし」

 自分に言い聞かせるように、カノフは言う。だがその声も震えていて、聞いているこちらが不安になってくる。

 幽霊。確かに出そうな空気では、ある。幽霊は斬れるのだろうか、銃弾は効くのだろうか。

「幽霊……! 会ってみたい……どんな感じなんだろう」

 二人に対して、ハレンはぱっと顔を明るくさせた。そして相変わらず声を全く抑えない。

「……お前って本当に変わってるよな」

 思わずアークは溜息を吐いた。いま、そう悠長に話している場合でもないのに。未知の場所で、敵に遭遇したかもしれないというのに。だが、思ってしまう。

 ハレンは足音を殺して先へと進む。一人で行かせるのが、距離が開くのが怖くて、まるで引きずられるようにしてアークも進む。カノフも顔を青くしたまま、剣の柄を握って進む。

 ハレンは本当に怖いもの知らずだ、とアークは痛感していた。本当に、おかしなくらいに。

 ……いや、一人だと少し怖いから誘った、と言っていたけれども――。

 と、その時。

 はっとしてアークは足を止め、振り返った。

 背後に何かがいる――そう感じたのだ。アークに気付いた二人も振り返る。

 けれども、後ろには廊下だけがあった。青白い光に、舞った埃がきらきらと輝いている。

「どうしたの?」

 ハレンが尋ねてきたが、アークは「何でもない」と向き直る。気のせいだったらしい――。

 ……そうして再び見た正面に、白い影一つが、いつの間にか立っていた。

 悲鳴を上げそうになったものの、その声すらも失ってしまった。アークは慌てて銃を向けたが、ひどく震えていた。

 ハレンとカノフも、ようやくその白い人影に気付けば、慌てた様子で身構える。目の前に立っているのは、まさに幽霊のようだった。足下まで垂れるほど長い白のローブを身にまとい、フードを目深に被っている。背丈は人間とは思えないほど高い。青白く染まった空気に、ローブの裾がゆらゆらと揺れていた。フードの中は、全く見えない。

 ――本当にいた。誰かが。

 その人物は、表情は全くわからないものの、こちらを確かに見据えていた。

 あの時見た人影は、見間違いではなかったのだ。

 笑い声が聞こえた。鈴のような声。目の前の幽霊のような人物から発せられている。

 ――一体何者だ。

 アークは声を出そうとするものの、まるで首を絞められているかのように恐怖で出せなかった。誰かがいたのは確かだった。しかし敵か、味方か――。

 ローブの人物は喋らない。アークも声が出ない。カノフも震えていたが、その目はしっかりと目の前の人物を捉え、警戒していた。だが同じく声が出ないらしい。しかし。

「……あなたは誰? ここに住んでるの?」

 やはりハレンだけは、違った。敵意はない、というようにナイフをしまえば、両手を見せてそう尋ねたのだった。

 ハレンは一歩、相手に近づく。瞬間、アークはひやりとしたが、幽霊のような人物は距離を保つように、一歩、滑るように下がる。ずっと笑っている。ハレンの質問への返事は、ない。

 危険な人物なのか、それとも。

「ねえ……あなたについて、教えて」

 またハレンが一歩近づく。白いローブの人物は、今度は退かなかった。

 けれども、廊下の奥から、別の白いローブの人物がぬるりと姿を現した。

 ――一人だけじゃないのか!

 とっさに新しく現れた方へと、アークは銃口を向けたが、ローブの人物はまた一人、二人と何人も出てくる。隠れていたのだ。全員、壊れた人形のように笑っている。迫ってくる。

 カノフが怯えた声を漏らした。アークが振り返れば、背後からも白いローブの人物達がやってきていた。気付けば囲まれていた。だが彼らは、何も言わず、笑うだけ。

「な……何だ……?」

 囲まれてしまって、逃げ場がない。と、アークの目の前に一人が立つ。顔を覗こうにも、フードの中は真っ暗で何も見えない。彼らは、一体何者なのだろうか。

 とりあえず、ハレンがそうしたように、アークも銃を下ろした。

 ……もしかすると、いい奴らかもしれない。攻撃は、してきてはいないのだから。

「は、初めまして……? どうも……?」

 ぎこちないものの挨拶をしてみる。フードの中を伺う。と、目の前の一人は、かがむようにして、アークの顔に自身の顔を近づけてくる。やはり見えない顔。

 彼らは一体……胸が、高鳴る。

 本当に『彩の文明』を築いた者達なのだろうか――。

 ――もし、そうであるのなら。

 刹那――フードの中で、何かが光った。

 それは未知の光でも、プリズムの光でもなく――刃物の光だった。

 瞬間、アークは身を退いた。直後、先程まで自分の顔があった宙を、針のように鋭い刃物が突き刺す。それはフードを被った人物の、顔の部分から生えていた。何本も生えていて、そのうち一番長いものが、鋭利な光を放っている。

 獣のような声が響いた。辺りは唐突に騒然としはじめる。フードの人物達が身体を震わし、獰猛な声を上げながら、次々に顔から刃物を生やす。それは恐ろしい光景で、そして彼らは、骨のような手を三人に伸ばしてくる。

「人じゃない――こいつはマキーナだ!」

 カノフの叫び声。ローブ達――マキーナ達の胸元で、白い光が輝き始める。

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