第四章(04) 確かめてみたいさ、自分の目で
「……」
ハレンはただじっとこちらを見ていた。アークも見つめ返す。絶対に変えやしない、と。
妙な沈黙。遠くから響いてくる街の喧噪ばかりがうるさい。
月明かりがハレンの金色の目を照らす。
「……そう」
それだけを、彼女は言った。無表情が少しがっかりしたものに変わった。戸惑ったように首の後ろを片手で触れると、視線をそらす。
「じゃあ、私一人で行く」
そして背を向ける。『叡智の書』から翼が生え、光を帯びる。
「――待て待て待て!」
ハレンとのやりとりで、我を忘れ呆けてしまったのは、一体何回あっただろうか。
アークはまた我に返ると、一歩踏みだし、その背に声を飛ばした。
「本当に行くのか? 行くんじゃねぇよ、そんな無茶なこと……しかも禁止されてるのに……!」
――しかしどうしてこいつは、最初から一人で向かわず、自分を探しに来たのだろうか。
そこでふと、妙なことにアークは気がついた。
何故、自分を誘ったのだろうか。島を発見した時も、自分は止めろと言ったのに。それならば、一人で向かわないだろうか。あいつは行く気がないから、と。
一緒に島を見つけたからという、義理でもあるのだろうか。いや。
――回り道なんてしないで進む、ハレン。
その彼女が、どこからともなく、紫の『叡智の筆』を持ち出した。
それほどにハレンも用心しているのだ。つまり。
「……お前、本当は一人で行くの、怖いんじゃないのか?」
そんな気がした。
かすかにハレンが振り返った。まるで、直視したくないと言っているようだった。
「……正直、一人だとちょっと怖いから、誘った」
彼女は嘘を吐かなかった。
「でも、行かないっていうなら、いい。私一人で確かめてくる」
「……お前も危ないのわかってんだろ、止めとけよ。怪我するかもしれないし、それに、夜って言っても、監視の『探求者』が飛んでるんだぞ、そもそも島に行けるかもわからないのに……お前、見つかったら降格か『探求者』の資格取り消されるぞ」
冗談ではない。本当に、リスクがありすぎるのだ。
自分に言い聞かせるように、ハレンに言い聞かせる。話していくうちに、冷静になっていく。
やはり危険だ。いくら気になるからといっても。本当に、あの島に人がいたとしても。
……行かない。これは間違いなく正しい判断だ。
それでも、ハレンは。
「でも気になるし、いま行かないとずっと気になったままだし……怖いと思ったままになる。もしかしたら、何もないかもしれないのに」
――怖いと思ったままになる。何もないかもしれないのに。
……そうだったなら。そうだったなら、もう一度、あの島に行きたい。
あの島には何が隠されているのだろう。
だがアークは口を固く結んで、何も言わなかった。
正しい答えを選ぶ。『探求者』として、組織に属する者として、将来を考える者として、間違いなく正しい選択を、する……。
――ここであの島を見逃せば、もう二度と、行けないというのに。あの人影の姿を、自身の目で確かめられる日が来ないかもしれないというのに。
何が正しいのだろうか。自分の奥で、喚き声が聞こえた気がした。
「本当に行かないんだね?」
ハレンの翼の輝きが増す。
――本当は。
「……本当は、行きたい。確かめてみたいさ、自分の目で。あれが何だったのか」
本当はアークも、その翼を軽く背負いたかった。
「でも怖い……俺は違反がばれて『探求者』を辞めさせられたくはない」
……それは、言い訳にすぎなかった。
本当は違う。翼を失うのが、怖いわけではない。
そもそもハレンに負けた瞬間から、翼はあってもなくても大して変わらないものだと、気付いたのだ。翼があれば、何でもできるわけではなかったのだから。
自分が本当に恐れているもの。それはもっと別のものだと、気がついた。
けれども未だに正体がわからない――。
ハレンが長い溜息を吐いた。だからアークは、認める。
「わかってる……多分こんなんじゃ本当の『探求者』になれやしないって」
自分には、何かが足りていないのだ。ハレンにはある、何かが。それは技術とは違う。平然と規則を破る神経でもない。
「アークって、変」
ハレンはこちらを直視しないまま、肩を竦めた。
「それは……俺自身でも、わかってる」
変なのだ。『探求者』のくせに、何も探求しようとしていないのだから。未知に出会うために『探求者』になったというのに。ただ怯え潰されないように、必死にもがいている。
だが何と戦っているのか、わからない。
自分はどうしたいのだ。自分はどうしたらいいのだ。
もうこのまま、潰れていくしかないのか。この広すぎる大空に圧されて――。
「――じゃあこうしよう」
と。
「ハレンが勝手に島に向かっていったので、俺とアークは止めるために追っていった。その流れて、島に入ってしまった……!」
路地の暗がりから誰かが出てくる。少し伸びた髪を、気合いを入れるように結いながら。
「そんな具合の理由があれば、ばれてもそこまででかいお咎めを食らうことはないだろう……俺とアークはな。ハレンの処分は、どうなるかわからないけれど」
兄のカノフだった。
「カノフ! どうしてここに……」
アークが尋ねれば、兄は子供のように笑って、
「お前が帰ってこないから、優しい兄貴は弟を心配して夜の街へ飛び出したのさ」
髪を結い終われば、カノフは腕を組んだ。
「で? どうだ、この言い訳は。そして何だ、島で見た人影っていうのは。ずいぶんと……面白そうな話だな。俺も気になる。ぜひ行ってみたいね」
どうやら人影について、聞いていたらしい。ならば一緒にハレンを引き留めてくれ、とアークは言いたいところだが、カノフにその気は全くないようだった。
「それでいい」
口を開いたのはハレンだった。
「違反しようって誘ってるのは私だから。そうした方が、二人に迷惑かけないから、それでいい。私は大丈夫」
待て。カノフの話に乗るんじゃない――アークだけが、慌てていた。
「お前ら二人……何の話をしてるのかわかってるのか?」
「……肝試し的な?」
カノフがとぼける。だからアークは「未知の島なんだぞ! もう誰も住んでいない廃墟とは、話が違うんだぞ!」と怒鳴ってしまった。
「遊びじゃない、本当にやばいかもしれないんだぞ! 完全にわからないんだぞ!」
「いつだって先は未知さ……でも何か面白いものが見つけられるかもしれない」
……だめだ。カノフはもう、行くつもりなのだ。
面白いものがあっても、たどり着けるとは限らないのに。全てをこなせるわけではないのに。
困惑するアークの前で、どんどん話は進んでいく。
「それじゃあ、私、先に行ってる」
「わかった。監視に見つかるなよ、その時点で今夜のパーティーは終わりだ……俺達はこっそり準備しなくちゃいけない、追いつくまでに時間がかかるかもしれない」
「着いたら、私、あの遺跡の前で待ってる……青ランクの人が一緒に来てくれるとは思わなかった、ありがとう」
ふわりとハレンの身体が浮く。
「それじゃあ後で、アークと……リゲルとよく喧嘩する人」
風に乗るようにして夜空へと舞い上がり、その姿は小さくなっていく。
行ってしまった、未知の島へ。カノフはのんきに手を振っている。
「……どうすんだよ」
もう行くことになってしまった。それでもアークは尋ねる。カノフは、
「シュピルカの目を盗んで……まずお前は、あいつの部屋から自分の翼を取ってこい。運がいいとあいつもう寝てるだろうから、案外すんなり取ってこられるかもな。その間に、俺はかるーく探索の荷物をまとめておく。あとは……準備全てを終わらせたら、サジトラ達にばれないよう、外に出るだけだな」
聞きたかったのは、そういう話ではない。
一体皆、何を考えているのだろうか。
でもこれで――あの謎の人影について、何か知ることができるかもしれない。
――あの『旅島』に。あの人影がいた場所に。
少しだけ緊張する。もし正体が『彩の文明』の種族だったなら。『旅島』やプリズム、文明や遺産について話が聞けるかもしれない。この空に秘められた謎を解明できるかもしれない。
だが同時に、アークは恐怖も覚えていた。
……もし何かあったなら。カノフもハレンもいるけれども、何かあったなら。
――自分は、何ができるのだろうか。
【第四章 空に墜ちていく者達 終】
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