第二章(02) 俺にできるのかな

 サジトラは食堂の皆を見回し、言葉を続けた。

「……というわけで、この任務にはアーク、僕、それからエアリス、ウィルギー……そして本来ならピッセ、といきたいところだけど、代わりにカノフを組んで行こうと思う……ピッセはまだ腕が治ってないからね」

 五人での任務――ランクが紺のサジトラ、青のカノフ、緑のウィルギー、黄のエアリス、そして橙の自分。

「都合の悪い人はいない?」

 最後にサジトラはメンバーを見回す。指名されたメンバーからは声は上がらなかった。

「俺の腕はもう大丈夫だぜ?」

 が、サジトラから少し離れた席にいた二十代半ばの男――ピッセが声を上げた。その右腕はいまだに吊り包帯が施されている。

「明日医者に診てもらったあと、任務に参加させてくれよ!」

「……無理。シュピルカ、明日ちゃんとピッセを病院に連れて行ってくれ」

 サジトラは厳しい顔をした。シュピルカがはーい、と手を挙げ、ピッセは口を尖らせた。

「……それじゃあ、任務の話は終わり! みんな、明日は頼むよ! 食事が終わったら、それぞれしっかり準備してくれ」

 そうして彼は元のように座った。食事が再び始まり、賑わう。

 ――初めての、初期探索任務。

 改めてアークは思う。手から滑り落ちそうになったフォークを、強く握って。

 新しく流れてきた『旅島』に、誰よりも早く立ち入ることができ、その中に隠されているものを調べられる――ついに、完全に未知なる場所へ行けるのだ。

 一体どんな島なのだろうか。どんなマキーナ、どんな彩想生物がいるのだろうか。そしてどんな宝が隠されているのだろうか――。

「――おい! アーク!」

 名前を呼ばれ、顔を上げれば、ピッセが包帯をしていない方の手を振っていた。

「顔が緊張してるぞ? そんなんで明日大丈夫か?」

「そりゃあ……緊張もするさ、明日だけど」

 少し恥ずかしくなるものの、アークは答える。ピッセは包帯を巻いた腕を、もう一方の手で軽く叩いた。

「明日は気をつけるんだぞ! 油断してると、俺みたいになるからな! 本当は俺も行きたかったけど……頑張って来いよ!」

「……ああ!」

 ピッセと共に初期探索任務に行ける日が楽しみだったが、怪我では仕方がない。

「また別の機会に一緒に任務に行こうな!」

 アークが笑えば、ピッセも笑い返してくれた。

 明日は、たくさんのプリズムを見つけよう。そうアークは思った。素晴らしい遺産を持ち帰ってやる。そして襲い来る敵も蹴散らして。

 そうして、更に未知なる場所へ向かうため、誰よりも優れた『探求者』になってやるのだ。

 そう、あのハレンにも負けないくらいの――。

 と、そこで手が止まった。

 魚の香味フライは、皿に載ったまま。

 ――ハレンに、負けないくらい、か。

 やはり考えてしまう。

 ――俺に、できるのかな。明日の任務、ちゃんと遂行できるかな。

 初期探索任務は危険が多い。完全に未知なのだから。何があるのかわからないのだから。

 そうであるのに、自分がその任務に加わるなんて。

 忍び寄る不安と恐怖を、感じざるを得なかった。それは言い表せない、変な感覚だった。

 ……隣ではカノフが、少し困ったような顔をしてアークを見ていた。

 だがアークは気付かないまま、俯き続ける。

 遠のいていくハレンの姿を思い出していた。シュトラ・ペギィレースで見た、あの姿――。




 アークがハレンを初めて見たのは、自分が彼女に負けた、そのレース中だった。

 シュトラ・ペギィレース。それは『探求者』になるための試験のレース。年に二回、行われる。十五歳になれば参加でき、このレースで上位に入った者だけが『探求者』の資格を得られる。

 憧れの翼は、誰もが手に入れられるものではない。走るのが速い者、遅い者がいるように。手先が器用である者、不器用である者がいるように――『叡智の書』をうまく扱える者、扱えない者がいる。レースの名前にもなった二人の錬星術師、シュトラとペギィが『旅島』の文明――『彩の文明』の遺産から作り上げた『叡智の書』は、背負えば誰もが翼を得られる。しかし誰もがうまく扱えるかといえば、話は別だ。

 だからこそふるいにかける必要があり、また、ただ飛べるだけで『探求者』になるのは危険故に、性格調査や筆記による試験を経て、最後は「どれほど速く、そしてどれほど器用に飛べるか」という『探求者』の基本となる技術を見るために、レースが開催される。これは一種のお祭りであり、皆の前で、新しい『探求者』が誕生する。

 そのレースで、初めてアークはハレンを見た。いまでも憶えている。

 ……風を切り、弾丸のように飛ぶ中、アークの耳にはレースの実況がぼんやりと聞こえていた。自分の名前を言っていたのは確かだが、ほかはよく聞こえない。それでも、何を観客に言っているのかは、伝わってきた――依然としてトップは自分アークである、ということを語っている。

 次のチェックポイントが近づいてくる。先の空を見れば、コースを挟むようにして、小さな球体がいくつも浮いていた。と、そこからぽんぽんと、綿毛のような光が放たれ、ゆるゆると飛び、コース上で交差している――なるほど、あの光を避けつつ先へ行け、ということか。

 簡単だ――アークは歯を見せ笑い、羽ばたいた。

 くるりと身をひねりながら、光が飛び交う中へと突っ込んでいく。実況の声が熱い。

 身体に当たらないようにするのはもちろん、翼にも当ててはいけない。そしてスピードも落としてはいけない――『探求者』に必要な技術だ。

 難なくアークがチェックポイントを通過すると、どこかからか、わぁっ、と歓声が聞こえてきた。ここは海の上であるものの、レースの状況は、会場で見られているのだ。

 お前には才能があるな、と指導をつけてくれた兄は言っていた。

 二位とは広い差がまだあるようだった。そしてゴールはもう目前。この直線をまっすぐに飛び、先にある残りのチェックポイント二つをクリアし、会場へと向かえば、優勝だ。

 できる。そう思った。レースが始まる前から、そう思っていた。そう思って、アークは笑っていた。

 その時だった。

 ――突如、真横から、人影が出てきた。

 時間が止まったような感覚があった。

 ――見知らぬ少女が、アークの隣を飛んでいた。

 赤茶の髪の少女。先へと進み、アークを追い抜いていく。彼女の瞳は決して力強いものではなく、まるで遙か彼方を見ているかのような金色の瞳だった。少女は驚くアークに一瞥もくれず、飛んでいく。

 少女の勢いにわずかに煽られ、時間が戻ってくる。気付けば彼女の背は、アークの目の前にあった。その背で大きく広げた翼。まるで幻だったかのように、遠のいていく。

 それは、何にたとえていいのかわからない速さだった。

 少女はスピードを殺さず、チェックポイントへと入る。プリズムで浮いた、穴の狭いチューブがあった。翼を広げたままでは入れない。しかしだからといって畳むのも躊躇われる。

 けれども彼女は、何も迷うことなく、翼を小さく畳んだ。それでも勢いは落ちることなく、するりとチューブを抜けていく。そして最後のチェックポイントへ。

 最後のチェックポイントは、螺旋状に並んだリングだった。リングの大きさは様々で、当たれば海へ真っ逆さまだろう。だが彼女はリングへ突っ込んでいくと、翻りながら飛んでいく。

 翼は太陽の光を反射するかのように、光り輝いていた。

 最後のリングをくぐり抜けると、彼女はそこに小山のように盛られた赤いプリズム一つを手に取り、ゴールへと向かって飛んでいった。やはり勢いは落ちない。

 まるで流れ星のようだった。

 そして歓声が上がる。

 ゴールテープを切った彼女――ハレンは勢いを余らせることなく、洗練された動きでその場に着地した。凛とした姿で、この時こそが、ハレンの優勝が決まった瞬間で――アークが彼女に敗北した瞬間でもあった。

 後に話題になったことで、アークもその時に知ったのだが、どうやらハレンの母親は、紫ランクの『探求者』だったらしい。その才能を受け継いだのだと『探求者』達やレースを見ていた観客の間で話題になった。

 優勝したハレンのもとには、多くのネストからスカウトが来たという。小さなネストから有力なネストまで、様々なところから。これほどの大型新人だ、誰もが欲しがるに決まっている。

 けれどもハレンは、どんな有名ネストから誘いを受けても、あるありがちな少数ネストへの所属が決まっているから、と断った。その少数ネストが最初に誘ってきたから、という理由で――レースが始まる前、つまり、ハレンの優勝が決まり、彼女の母親の話が世間に出る前に、そのありがちな少数ネストは、人数が欲しかったために、先に声をかけていたのだという。

 アークにも、有名ネストからのスカウトはいくつもあった。ハレンには負けてしまったものの、それでも二位でゴールしたのだ。今期の新人で二番目の『探求者』。一位のハレンには及ばないものの、それでもその名前、その実力を、広く知られることになった。

 けれども妙な寂しさをアークは感じていた。

 一位になれなかったから。

 だがそれは、ハレンのように多くのネストから声をかけてもらいたかったわけではない。そもそもどんな有名ネストから声をかけられても、兄カノフのいる『アノマリ・カル』に所属するつもりだったのだ。

 では名誉が欲しかったのか。実力を誇示したかったのか。

 そういうわけでも、ない。

 ただ理由はわからないが――何故か悲しくて、寂しさを覚えた。

 一種の絶望に近かった。何に絶望したのかは、わからないけれども。

 ――あの時から、ことあるごとに、ハレンのことがひっかかるのだ。何かが胸に、染みついているのだ。

 しかしいつかハレンを追い越した時に、それがなくなるのではないか、と思えて。

 だからハレンは、一つの目標と言ってもよかった。

 だが――追いつける気がしないのだ。

 自分は負けてしまったから。優勝できると思ったが、そうではなかったから。

 考えてしまうのだ。自分ができると思うことは、全てそうはいかないのではないか、と――。

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