第二章 初期探索任務にて
第二章(01) 初めての初期探索任務だ
『第三の島』、ネスト街第七区画。そこにある『アノマリ・カル』の拠点。
夜、食堂は賑わっていた。
「今日はごちそうだよ!」
ネストの食堂といっても、普通の家庭の食卓とあまり変わりない部屋。だがテーブルには埋め尽くすように様々な料理が並べられ、少女シュピルカはまだ料理を持ってくる。高級な食事ではない。しかし普段の食事に比べれば、シュピルカが言った通り、ごちそうと言えた。
今日はアークとカノフの昇格祝いだった。
「……さて、それでは始めようか」
全ての料理が出て、サジトラが立ち上がった。このネスト『アノマリ・カル』のリーダーである男、紺ランクの『探求者』だ。物腰が柔らかそうな男。だが気の弱そうなところは見えない。
「うちの『探求者』二人が昇格した……めでたい日だね」
騒がしかった全員が、サジトラの言葉に静かになる。
サジトラは微笑めば、まずはカノフを見た。
「カノフ、本当におめでとう! 青ランクになれる者は、多くはない……僕も嬉しいよ。でも君は、まだまだ上を目指せるはずだ。ここで満足しないで、更に上を目指してくれ」
「当たり前だ! 見ててくれよ? 任務をバリバリこなして、ネストの評価も上げるからさ!」
カノフは声を張り上げる。するとサジトラは、
「無茶はしないでね? 君は結構、戦うのが好きなところがあるみたいだから……ちょっと怖がりなところもあるのに」
「お、俺は強くなるんだ、そりゃ何にもびびらないくらいにさ……ほら! まだ青だし! 紺とか紫になったら……これからさ!」
言われてカノフは苦笑いを浮かべた。
次にサジトラは、カノフの隣の席にいたアークへ視線を向ける。
「さて、アーク。君もやっとランクが上がったね。おめでとう! これで初心者卒業だね。これからは本格的に『探求者』として空を飛び、『旅島』を探索してもらうことになる……頑張るんだよ!」
そうしてサジトラは、少し言葉を探した後に、首を傾げながらもグラスを手に取った。
「……うーん、いつもこういうの苦手なんだけど、そう立派な言葉は思いつかないよ……ま、じゃあ、料理が冷めないうちに、いただこうか……それでは、乾杯! カノフとアークに。そして僕ら『アノマリ・カル』に!」
グラスを掲げる。皆も掲げれば「乾杯!」と声を上げた。小さな食堂は、再び賑わう。アークは隣のカノフと見合うと、笑いながらグラスをぶつけた。透き通った音が響く。
――ネストとは『探求者』のチームだ。『探求者』と彼らをサポートする錬星術師で構成される。アークとカノフが所属するここ『アノマリ・カル』は『探求者』が十人に満たないネストだが、所属する『探求者』達のランクやネストの実績から、拠点となる建物を与えられた中級ネストだった。とはいっても、このレベルのネストは、珍しいものではない。
「まあ、正直あんたはついでよね。赤ランクなんて、勝手に橙に上がれるんだから」
アークの左隣に座ったシュピルカが、小皿にとったパイをフォークで突き刺し、口に運ぶ。そして、
「うん! 我ながら完璧な味……アークも食べてみてよ! 新しいレシピ、試してみたの!」
――シュピルカは『探求者』ではない。このネストをサポートする錬星術師だ。『探求者』の武器の手入れや、『旅島』から持ち帰った遺産の分析、研究をする。加えてこういった食事の準備、それから洗濯や掃除といった家事も彼女が主にこなす。
「……ん。シュピルカの料理はいつもうまいなぁ……何作ってもうまいよ!」
シュピルカと同じパイをとれば、アークも口にしてみる。それから、彼女を軽く睨み、
「しっかし、ついでなんて言うなよ……今に見てろよ! すぐに上のランクにいくから! 遺産も持ってきてやる、楽しみにしてろよな?」
近くの皿からまた別の料理を盛れば、口にする。野菜のソテーだ。シュピルカ特製のソースがかかっていて、ほどよい酸味がある。シュピルカの料理はいつもおいしい。
しかし、咀嚼しながら、いまの自分の言葉がアークの頭の中で響いていた。
――今に見てろよ! すぐに上のランクにいくから!
そう、すぐ上のランクにいくのだ。あっという間に、上のランクへいってやる。
……そう思ってはいるけれども。
――できるのだろうか。
ぴたりと動きが止まる。
本当に、できるのだろうか。自分に。
赤ランクから橙ランクへの昇格は、シュピルカの言った通り、日にちが経てば自然とできることだ。だから上がれた――自分も、ハレンも。
しかしここから先は、違うのだ。
今日、路地で見た赤茶色の髪の少女の姿が思い出される。その胸には橙色の徽章、腰には橙色の球体のはまったナイフがあった。
きっと、すぐにその色は変わる――あのハレンなのだから。
――自分は、どうなのだろうか。
考えると、口にあるものが喉を通らなくなった。
と、新しい皿がアークの目の前に置かれる。何かのフライが載っていた。
「ほら、これ、食えよ」
カノフだった。慌ててアークは口の中のものを呑み込み、フォークで刺したままの野菜を口に運んだ。とっさに、何事もないようにしなければいけないと思ったのだ。
「これは?」
行儀が悪いものの、口にものがはいったまま尋ねると、カノフは、
「コディアム魚の香味フライ! お前、好きな奴だろ? シュピルカに作ってもらったんだ」
「……作ってくれたのか?」
そうアークが隣のシュピルカを見れば、彼女は不可能はないというように口角を上げていた。
「今回の主役の一人が好きだと聞いて、調べて作っちゃいました! ……作るのより、仕入れる方が大変だったけどね。ほら、魚はなかなかこの島まで上がってこないから……でもそこを何とかするのが、あたしの腕の見せ所ね!」
まさか作ってくれたとは。アークは驚いてしまった。その上、シュピルカの言う通り、海から離れたここ『第三の島』で、魚はそう簡単に入手できるものではないのだ。
「感謝しなさいよねー。そして探索に行って、面白いものいっぱい持ち帰ってきてよねー。あたしの仕事は、あんた達にかかってるんだから」
シュピルカが指でつついてくる。だがカノフが意地悪そうに目を細めた。
「時々、遺産の研究で事故を起こしてるけどな? 正直ここがいつ吹き飛ばされるのか、ひやひやする」
「ちょっと、余計なこと言わないでくれる? 確かに事故は……よくあるけど。でも研究なんてそんなもんよ!」
近くの皿から小さなパンを手に取ると、シュピルカはむすっとしてそれをかじった。
確かにシュピルカはよく事故を起こしている。この前もサジトラが持ち帰った遺産を分解している際、爆発を起こしていた。もっとも、小さな爆発で怪我人は出ず、ただシュピルカの部屋がめちゃくちゃになっただけだが。
「俺の持ち帰った遺産の研究で大爆発だなんて……勘弁してくれよ?」
思い出しながら、アークは笑った。
けれども、ふと笑みが消えてしまう。何かにかき消されてしまうように。
そうしてアークは、まるで意識がないかのように、食事を続けたのだった。これが昇格祝いのパーティーであるのに。
――昇格、か。
これから先、どうなるのだろうか。どうも不安がある。どんどん色濃くなっていく。
何故だろうか。日中に、ハレンに出会ったからだろうか。
「――おい、アーク。お前、考え事してるだろ」
やがてカノフに肘でつつかれた。瞬間、アークは我に返って頭を横に振る。
「してねぇよ」
「――ハレンのことだな?」
突然その名前が出てきて、反射的に手が止まった。
賑わいが遠のいた気がした。もう何を言っても、何を言わなくても、図星なのはばれてしまっていた。けれども、決してハレンのことを考えていたわけではない。それは、確かだ。考えていたのは自分のことだ。自分のこれからだ。
「……ちげぇよ」
だからアークはそう言ったものの、カノフはちらりと弟を見れば、
「まあそう気にするな……いつまでも負けたことを引きずっているのは、どうかと思うぞ」
……それはわかっている。いつまでもうじうじしているわけにはいかない、と。
しかし引きずっているというには、少し違う気がした。ハレンに負けたことを悔しいと思っているわけではないと、自分でわかっているからだ。
けれども負けてショックだったのは確かだ――何でもできる。そう思った矢先に、彼女が現れたのだ。
――いや、もう考えるのをやめよう。
そう自分に言い聞かせ、アークは水を飲んだ。そう、過去のことをいつまでも考えていては、どうしようもない――先のことも、あまり考えたくはないが。
賑わうテーブルから顔を上げれば、窓があった。もう夜だ、星が輝いている。明日も晴れると聞いた。だからまた気持ちよく、空を飛べるだろう。
「――ああしまった。食事中に悪い、明日の任務の話をしていいかい?」
そこでサジトラが少し慌てて立ち上がった。皆が静かになり、彼を見る。
「……今日、上から二つ任務をもらってね。早速明日、探索に出ようと思う」
『探求者』の任務は、協会本部からネストへと出される。任務の内容によっては制約があるものの、誰がその任務へ赴くかは、基本的にネスト内で決める。
「まずは一つ目。危険度は2……危険じゃないね。上から言われている『探求者』推奨ランクは赤以上……片付けの任務だ、島の規模レベルは3、遺跡はなし、湖畔及びその周辺の調査だ」
片付けの任務。これはもうすでに『探求者』が立ち入り未知ではなくなった、あるいは脅威が取り除かれた『旅島』をくまなく探索し直し、残っている遺産やプリズムを回収する任務だ。
「じゃあ、俺か?」
この片付けの任務を、アークはいままでこなしてきた。赤ランクでは、参加できる任務も少ない。けれども片付けの任務に関しては、赤ランクでも参加が許可されたものが多いのだ。
「アークが行くってことは、俺もか?」
アークに続いてカノフも声を上げた。アークはまだ『探求者』としては見習いで、兄と一緒の方が任務がしやすいだろうと、これまではサジトラがそうメンバーを割り振っていたのだ。
「規模レベルが3……あと二人くらいメンバーが欲しいが……任務、もう一つあるんだろ?」
カノフが首を傾げれば、サジトラは頷いた。
「その通り、任務がもう一つあるからあまり人員は割けない。でも二人じゃきつい……だから、この任務は、後日行うことに決めたよ。上にもそう提案した」
ということは。
「じゃあ、俺は明日、何もなし?」
つまらなさにアークはわずかに顔を歪めた。片付けの任務に行けないというのなら、他に行ける任務があるというのだろうか。
けれどもサジトラは少しだけ意地悪そうに笑うと、さてどうだろう、と言わんばかりに、わずかに首を傾げた。そして続ける。
「もう一つの任務についてだ……こちらは推定危険度4、探索の規模レベルも推定で4」
――「推定」。
それはつまり、まだ島についてよくわかっていない、ということだ――『探求者』がすでに立ち入った島ならば、つくことのない言葉だ。もうすでに、どんな敵――マキーナ及び彩想生物がいるのか、遺跡を含めた島全体がどれほどの大きさなのか、わかっているはずだからだ。
この言葉は、ある種類の任務につく言葉だ。
「……未調査の島での探索任務さ。ただ制約があって、黄ランクからしか参加できない……でもメンバーに紺ランク以上の者が一名いれば、橙でも一名だけなら参加許可を出すって」
「橙でも?」
アークは立ち上がった。
もう、自分は赤ランクではないのだ――橙ランクなのだ。
そしてこのネストに、紺ランク以上の『探求者』は一人いる。リーダーであるサジトラだ。
サジトラはアークをまっすぐに見た――つまり、これは。
「アーク、初めての初期探索任務だ」
「初期探索任務……!」
思わずアークは背筋を伸ばした。
――初期探索任務に参加できる!
つまり完全に未知の島に、初めて足を踏み入れる『探求者』になれる。そして島に隠された秘密を、誰よりも最初に見られる。
初期探索任務――まさに『探求者』のやるべきこと。花形の任務。
ついに、やってきた。誰もが憧れる任務。まさに『探求者』の任務。
瞬きをしてアークは改めてサジトラを見るものの、彼は確かに笑っていた。
と、アークは両脇から肘でつつかれる。
「調子乗ってミスするんじゃないわよ……武器と翼のメンテナンスは、ばっちり済ませてあげるから、言い訳にしないでちょうだいね!」
シュピルカが意地悪そうに笑う。カノフはどこか誇らしそうに、
「ついに初期探索任務だ! これをこなせば、お前も立派な『探求者』の仲間入りだな!」
そう、やっと真の『探求者』になるための、任務ができるのだ。これをこなしてこそ、立派な『探求者』になったと言えるのだ。
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