You cried all night for me.
日本には、【リョウノギケ】と呼ばれる人がいる。
彼らは法の擬人であり、人ともに生き、死んでいく者である。
1.
かつて、治罪法と呼ばれる法がいた。
あった、という方が正しいのだろうか。
彼は刑事訴訟と裁判所を担当しており、リョウノギケの中で恐らく最も多忙を極めていたであろう。
治罪法と刑法は明治15年に施行され、相棒同士である。
それもこれも明治23年までの話。
リョウノギケの職場、刑事法の部屋で治罪法は書類の山に埋もれながらペンを走らせている。
そろそろ一区切りつくだろうか、と治罪法をチラッと見た刑法が席を立った。
「刑法!」
「はいはい今すぐ」
丁度良いタイミングで治罪法が呼ぶ。
赤い髪が急げ、という風に揺れており、刑法は小走りで
刑法が横に立つと、彼――治罪法は、書類の束を目の前にグイッと押しやる。
「これ確認よろしく」
そう言う治罪法の目には疲れが蓄積していた。
「あんまり無理しないようにね、治罪法」
書類を持ち上げると、気を付けまーす、と気の抜けた返事が返ってきた。
さて、と書類に目を通して不備がないか――例えば罪状が間違っていないか――を確認していく。
パラパラと紙をめくっていくと、廊下から聞き慣れない足音がする。
この職場に来る人間は大抵裁判所や検察の中でもさらに一部の人間で、足音も聞き分けられるようになったのだが―――。
ガチャリ、とドアを開けて入ってきたのはやはり見慣れない人間であった。
随分高級そうなジャケットを羽織っている―――大方官僚あたりだろうか。
「治罪法に用があって来た。隣の会議室を借りたのだが……良いだろうか」
ふと治罪法の方を見ると、赤い眼が不審そうにその人間を見つめる。
「ええ……大丈夫ですよ。すぐ終わります?」
言葉を待たずに治罪法は立ち上がって少し手首をほぐすように回しながら、部屋を出て行った。
少し嫌な予感がするのは何故だろうか―――。
2.
その呼び出しは俺――治罪法の廃止が決定されたという連絡だった。
会議室から退室しても、刑法たちがいる隣の部屋に戻れずにいた。
『君の廃止が決定された。8年という短い期間であったがご苦労だった』
『君の後続は刑事訴訟法と裁判所構成法という法だ。今はまだ草案だが、もう間もなく公布される。その時に会わせてやろう』
「俺も、もう廃止か……」
治罪法という法律の問題点については自覚していた。
ただ、これからもっと改正していってまだ存続していくと思っていた。
少し外に出るか、と廊下を歩く。
ザァ、と風が吹き、治罪法の髪を撫でる。
窓でも開いていただろうか、と外の方を見ると、少年が二人立っていた。
一人は肩まである銀髪にモノクルをかけ、もう一人は赤く長い髪。
不思議と初めて会った気がしないでもないが治罪法はよいしょ、としゃがんで目線を合わせる。
「迷子か?名前は言えるか?」
少々怖がらせてしまっただろうか、二人はお互いのことを見つめあう。
……今はこの三白眼が恨めしいな、人間に何度か顔が怖いと言われたことがある。
若干ショックを受けたが、銀髪の少年が口を開いた。
「小官は先程『完成した』。裁判所構成法の草案という。そしてこちらは刑事訴訟法の草案である。…………貴殿は?」
裁判所構成法、刑事訴訟法。
先程官僚から聞いた治罪法の後任の法律。
「そう、か……。あの官僚ども、こんなチビの面倒もみれんのか?」
ハハ、と乾いた笑いが出る。
「……大丈夫?」
―――いつの間にか涙が溢れていたのを、刑事訴訟法に心配された。
「ああ、大丈夫だ。すまんな。俺は治罪法という。お前達の先輩だ」
3.
治罪法は、いつ刑法に廃止を伝えようか悩んだ。
俺が伝えずともいずれ司法省の官僚が伝えるだろうが、予めそれは断っておいた。
自分で伝えたい、伝えたいが……。
未だ実感が湧かない。
何せ律令時代から生きてきた刑法は、多くの法律との出会いと別れを繰り返してきた。
また一人にしてしまう。
―――いや違うな。
死にたくないのか?
死にたくない?
何故?
今まで「リョウノギケは廃止となったら消滅するのではなく肉体に『死』が与えられる」ということは散々聞いてきたが、特段「死にたくない」と思ったことはない。
「はぁ……流石に今日言わないとなぁ」
何せ公布は明日なのだから。
明治23年2月9日日曜日。
刑事訴訟法と裁判所構成法の公布前日であった。
「……治罪法?」
真昼、刑法に話があると机を挟んで向かい合って座る。
非常に言いづらい。
刑法も普段の俺と雰囲気が違っていることに気付いたのだろうか、少々心配しているような目線が時折飛んでくる。
「あの、非常に言いづらいんだが……『治罪法が廃止になった』。」
「―――は?廃止?」
目を丸くして廃止した事実を繰り返して言う。
「はい、し―――?」
―――刑法の目から涙が溢れる。
まさか、泣くとは。
治罪法は慌ててハンカチを取り出して刑法の涙を拭く。
「廃止?本当に?え、後任の公布は?明日?」
動揺する刑法の肩にそっと手を置く。
冷血さまで感じられる程に冷静な刑法が正直ここまで動揺するとは思わなかった。
「──初めての、相棒だった」
───ああ、その言葉で、自分の中の感情にようやく気付いた。
もっと刑法と話したいことがあったのだ。
語り合いたいことがあったのだ。
永遠に死ねない
4.
「刑法さん初めまして、本日公布となりました刑事訴訟法と申します。よろしくお願いします」
職場で挨拶をしにきた刑事訴訟法を、刑法は見上げる。
刑法の目は少し腫れているが、よろしくね、と笑う。
赤く長い髪に赤い目──どうしても治罪法を思い出してしまうだろうが、如何せん時間は戻らない。
「刑訴〜……」
刑法部屋の入口付近で裁判所構成法と共に立つ治罪法が呼ぶ。
これから二人に職場を案内するのだろう。
治罪法達が去った扉を見つめ、はァ、と息を吐く。
リョウノギケとして生まれた時から、沢山のリョウノギケの死を見てきたが───相棒が死ぬことは、死ぬことだけは─────。
「うん、仕事するか」
施行の日まではまだ時間がある。
それまでは治罪法の相棒として、それからは刑事訴訟法の相棒として生きる。
____________________
令和2年1月24日金曜日
リョウノギケ遺体安置施設 3F 刑事法
【治罪法】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
廃止された法律は消滅という形ではなく、肉体的な死を以て廃止とされる。
──人の記憶には残らないかもしれないが、記録として法律が実在したと示すからだ。
リョウノギケは遺体安置施設で条文と共に身体は展示される。
一般人でも入れるが、人間で入ったことのあるのは司法省や法務省の人間だけだ。
安置されている治罪法の遺体の前に、安置施設の管理人である律令の片割、令が立つ。
治罪法のところだけ、何冊ものノートが置かれた机がある。
令がそのノートをパラパラとめくる。
──ありがとう。 刑法 2020/1/24
日付こそ違えど毎日その言葉が綴ってある。
「戻ってこないのにいつまで続けるんだか」
「ま、別に良いんじゃないの。アイツが何しようが」
後ろにもう一人の管理人である十七条憲法が立っていた。
「
「まぁね、たまには刑事法も気になったり?治罪法は自分の問題点を自覚していたようだし納得して死んでいったけど、刑法はそうもいかないよねぇ。刑法は律令時代から生きてるけど、近しい法律が死ぬのは経験上少ない」
律令の律、御成敗式目、公事方御定書、仮刑律、旧刑法──そして現在の刑法。
現在の刑法やそれに類似するこれら全ての法を刑法は担当してきた。
1300年という長きに渡って生きてきた刑法にとって治罪法は大切な
「──それだけ相棒というのは強い存在だったんだろう。ま、もう私たちには分からない感情だ。令、そろそろお昼休憩終わるけど仕事戻らなくていいの?」
はいはい戻りますよ、と令はそっとノートを閉じて仕事に戻った。
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