タイトル.15「狂ったサンクチュアリ(後編)」


 内容も内容だ。秩序のためとはいえ……その傲慢な人殺しは当然、反感を買う事となる。デモなども起きる。

 伯爵。あの老人を忌み嫌う者は多いだろう。現にこうして、彼が現れただけであっという間にこのドーナツ化現象。距離を取り始めるのだ。


「うわぁあああん、ごめんなさぁああい……」

 だが一人、逃げ遅れたのかどうかは分からないが子供が泣き出している。

「うーん、ありゃ、前が見えずにぶつかっちまったってところか?」

 無造作に散らばった大量の本。必死に謝る子供。

 状況から察するに図書館へ本を返しにいく途中だったのかもしれない。山積みのように抱えたため前方が確認できず、伯爵の存在に全く気が付かなかったと考えるのが妥当だろうか。

「このガキ……ちゃんと謝らんかね」

 伯爵は眼を鋭くして子供を睨みつけている。既に謝ってるというのに。

「大人げないねぇ~。いくら不注意とはいえ、あそこまでムキにならなくても」

 あの男の我侭な性格はついさっきの邂逅で思い知っている。このまま続けば、しょうもない小言の雨霰で子供がもっと泣き出しそうだ。

「ちょいと止めてきましょうか?」

 ----『相手は子供。わざとじゃないのだし、大目に見てやってください」

 そんな軽い一言をかけて終わらせられるかどうかは知らないが、見て見ぬふりをするのも出来ない。一人勝手にカルラは歩き出す。

「ごめんなさい! ごめんなさい!!」

「はぁ~? 全然、聞こえないぞぉ~?」

「ごめんなさいッ!! ごめんなさいッ!!」

 ……謝っている。必死になって謝っている。

 声は図書館の中にこだまするくらい響いている。むしろ痛々しい。

 だというのに、伯爵は聞こえないと口を回すばかり。

「謝る前に……どくのが礼儀じゃないのかねぇッ!!」

 剣、だ。

 腰に引っ掛けていた剣。伯爵はそれを子供へと振り下ろす。

「!!」

 その場にいた全員が、その光景に戦慄した。




「ッ!!」

 ……刃は子供に届いておらず。

 戦闘慣れしていないであろうひ弱な刃は、思わず飛び出してしまったハルベルトの持つ刃によって防がれている。

「もう我慢ならん!!」

 この子供は罪を犯した。しかし、幼さと無邪気故の小さな事故だった。

「相手は子供だぞ!! こんな身勝手、許されるはずがない!!」

 それを大罪だなんてほざいて、聞く耳も持たずで処刑をしようとしていた。

 そんなあまりにも滑稽でふざけた光景を見せられ、国を思う自警団の彼が黙っていられるはずもなかったのだ。

「……貴様、自分が何をしてるか分かってるのかね?」

 伯爵の表情。やはりストレス発散のために子供を殺そうとしていたように見える。とことん、自分のしたいことを邪魔されて御立腹のようだ。

「レイブラント! やれ!」

 一瞬、身動きが取れなくなっていたハルベルト。

「承知した」

「うぐっ……!?」

 鈍器で殴られたような感覚。ハルベルトは一瞬で意識を失ってしまう。

「レイ、ブラント……っ。何故っ、こんな……」

 背中に背負っていた盾。あんな巨大な盾で兜一つ付けていない後頭部を殴られるものなら脳震盪一つ免れないわけがない。ハルベルトの意識は一瞬で失われ、剣を手にしたまま地に伏せてしまった。

「遅いぞ! もっと早くに来ないか、役立たず!」

 助けに入ったトンガリ帽子の騎士。伯爵は八つ当たり気味に彼の脚を蹴り上げた。

「……申し訳ありません」

 レイブラントはそれに対し何も抵抗はしない。

 たった一人の反逆者の自由を許してしまった自身に紛れもない罪があると受け入れたような顔。目の前でお怒りを露わにしている伯爵の対応を流すことなく正面から受け止めていた。

「ったく、このクズが……私を誰だと思っている」

 気を失ったハルベルトの頭に伯爵は泥まみれの脚を乗せる。ボロ雑巾をねじれさせるように彼の頭を地に埋め込んでいく。

「逆らった罰だ。ブッ殺してやる」

「伯爵。少々お待ちを」

 レイブラント。そう呼ばれた騎士は頭を下げて小言を挟む。

「なんだ、お前も邪魔をするのか?」

 “邪魔をする”。その言葉が更に民衆の息を荒立たせる。

「確かにこの男は我らに刃を向けるという大罪を犯しました。しかし彼の場合は立場が立場です。その場で独断による処断は推奨できません。れっきとした会談で彼の罪を公開し、正式な場にて裁きを与えるべきかと、私は思います」

 ハルベルト。彼は自警団の一つの隊を任されている。重要なポストの一人。

 そんな彼が何の前触れもなく処刑されたとなれば隊の混乱を招きかねない。彼が何をしたのか罪状をしっかりと提示し、全員の許しを得たところで正式な処刑をすべきだとレイブラントは提案したのだ。

「……むむむ」

 迂闊な独断処刑。名前もよく知らぬ民衆ならともかく、ハルベルトは名が知れ渡っている。軽々しく手を出してよい人間ではない。

「それもそうか。クズにしては真面な事を言う」

 自身の立場が少しでも失墜することを恐れたのか。後のいざこざの収拾の面倒さを危ぶんだのか。伯爵は剣を鞘に戻し、レイブラントの案に乗った。


「ひっく、ひっく……」

 一人、怯えながら涙を流す子供。

「お前のせいだぞ?」

 子供の髪を掴み、耳元にその小皺まみれの顔を近づける。

「お前がちゃんと立場を弁えないから、このおじさんは死ぬんだぞぉ……分かったか? ゴミの分際が?」

 子供の髪から手を離す。

「……っ!!」

「ちゃんと物分かりの良い立派な大人になりたまえ。この私のようにね。お前をこんなに育ちの悪い子に育てた親にもしっかり言い聞かせてやるからな」

 伯爵が指を鳴らすと、レイブラントは気を失ったハルベルトを担ぎ上げる。一度彼を収容する為、街はずれの監獄塔へ向かっていく。

 ものの数秒後、伯爵たちの姿は見えなくなった。



「……終わったか」

 騒ぎは収拾された。アキュラ達は怯える子供のもとへと向かう。

「大丈夫?」

 地に伏せる子供へシルフィが手を伸ばす。


「ひぐっ……ひぎっ……!」

 子供はその手を掴まない。

「ひっ……ひぎっ、ひっく……!! ごめん、なさいっ……ごめぇん、なざいッ……!!」」

 恐怖で顔が引きつっている。

 問答無用で向けられた刃、自身の不慮のせいで一人の大人が死んだ。両親にも牙が届くという絶望。その全てが子供の精神を崩壊まで汚染する。

「こんなっ!!」

 これだけの重荷。少女の心が受け止め切れるはずもない。

「こんなの、あんまりすぎる……ッ!!」

 無垢な心はバラバラに砕かれ、少女らしい笑顔は消えてなくなっていた。壊れた人形のように、目は焦点を定めず、口も歪にゆがんでいた。

 無惨な光景にシルフィは嘆く。怒りはこの街の政府へと向けられる。

「……」

 壊れた子供。それをただただ、カルラは見下ろしている。

 もう子供に言葉は届かない。言霊を吐き続けるだけだ。


「ったく、本当にひどいことをするもんだぜ! いくら王族といってもやっていいことと悪いことがある!!」

 民衆は彼等がいなくなった途端に声を上げて怒りを露わにした。

「レイブラントもレイブラントだ! 仲間であるはずのハルベルトをこうもあっさり見捨てるなんて!」

「同じ国を思う騎士であるはずなのに……貴族に屈したか! あの畜生めが!」

 言いたい放題。怒りに寄り溢れる罵詈雑言の雨霰。

 かつて反感デモとやらが引き起こされたと聞いている。この騒乱、起きて当然のモノか。人間らしい臆病者ばかりの不協和音。


「……なぁ、そこのアンタ」

 身勝手に叫び続ける民衆の一人へと、カルラが声をかける。

「そのレイブラントってやつ、あの騎士の事か?」

 それは一つの質問。カルラがふと、気になっていた事であった。

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