悲劇らしい悲劇

過鳥睥睨(カチョウヘイゲイ)

悲劇らしい悲劇らしい

 今日、何の気なしに窓の外を眺めていたら黒い腹がちょうど横切るところだった

『無限の命がほしくないか』

「そう訊ねるのは大抵邪悪で下賤な生き物だと聞いたことがある」

『じゃあ無限じゃない命は欲しくないか』

「窓の外からだけっていうなら話だけでも聞いてあげる。私はそっちに行けないし」

『おのれもそちらには行けない、ちょうどいい』

 窓越しに話しかけるそれは熱心に長い命について説いた。けれどわかりあうことはなかった。

「興味がわかない」

『だが長く生きていればかなわない夢などない。有限だがほぼ無限の命は誰もを幸福にするだろう?』

「けれどもそれ以上に生きているのは苦しいじゃない」

『それほど苦しいのか?』

「まるで空気がないような閉塞感はどこにだってあるもの。かなわない夢や壊れかけた集団生活、閉鎖されて正常に働かなくなった精神、希望と絶望がぐちゃぐちゃに放り込まれたボトルの中身。それらはみんな私たちの首を絞め続ける」

『つまるところ自殺志願者か?』

「寿命いっぱいまで生きるのが自殺志願に見えるならそれは価値観の相違でしかない。人間は100歳くらいまでしか生きられないし、それ以上を求めるものでもないと思う」

 窓越しのそれとの会話は続いていく。

 朝も、昼も、夜も、時間を問わず窓の外から話しかけてきた。

『お前を苦しめるのは夢か?』

「ユメ、私は作家になりたかった」

『それなら長寿は必須じゃないか。どんな大作だとしても完結まで描き続けることができる。読者がいる限り延々と描いていられる』

「そうでもないよ」

 強く言うとそいつは黙った

「手に入れられなかったものはずっと手に入らないままってこともある。6歳のころに欲しかった自転車は12歳になってしまってはもう手に入らない。だって自転車がほしかったのは6歳の私だったから」

『お前の欲しかった自転車は何だ?』

「こんな棺桶みたいな場所じゃなくて、まあるい星」

 無機質で四角い窓を撫でながら答えた。

「もう後戻りもできないくらい遠くに来てしまって、それでも私たちは目的の星にたどり着けないんだ」

「旅に出ようと決意したのは私じゃないし、もうこの船に乗っている人のうちにそんなころを知っているのもいない」

「私たちはただ、人類という種を新しい場所へ運ぶための手段に過ぎなかった。けれども肝心の星も見つからないままもう何百年もたってしまった」

「欲しかった星ももうどこにもない。一つは遥か昔に旅立ってしまったし。もうひとつはどこにあるかわからない」


 私たちは酷くどうしようもないことに気持ちを煽られ、ざわざわとするものを抱えながら生きていなくちゃいけない。

 この閉塞された空間で頭がおかしくなって、少しずつひずんでいく。


 嗚呼、捨てるべきじゃなかったんだ。

 星はもうどこにもないというのに、私たちはこの白い箱のような宇宙船の中でまごまごしていることしかできない。

 それがもどかしくて、腹が立って、悲しかった。


『星を見つけたら作家になってなにがしたい?』

「物語を書きたい」

 こんな四角い箱の中で作られた無機質な記憶の束で偽物の大地を紙に綴るよりも、本物の地面、本物の風を浴びながら、本物の物語を書きたい。それが私の願い。

 もう決してかなわないであろう願い。

 私は酷く悲しくなってその場で泣き出してしまった。

 窓の外のそれはじっとその様子を観察していた。



 宇宙船メリアは地球の資源不足から逃れ、新天地を求めて飛びだした。冷凍睡眠、ワープ航法、細胞活性化、持てる技術を総動員して、万全を期したと信じていた。

 けれどもそれは全て誤算で、目的地は見つからず、いまはただスペースデブリのようにふわふわとあてどなく進んでいるに過ぎなかった。

 精神の摩耗から発狂し、漠然とした不安を抱えながら、周囲を宇宙に囲まれて押しつぶされそうになり、そうして人類は間もなく限界を迎えようとしていた。

 彼らが宇宙竜を名乗る形而上生命体に出会うまでは。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悲劇らしい悲劇 過鳥睥睨(カチョウヘイゲイ) @karasumasiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る