第9話 食堂

 入学式を終えた僕は寮の自室に戻っていた。どうにもあの幼女のことが気にかかる。何であんなに怒っていたんだろうか? 気がつくと僕は彼女の部屋のドアをノックしていた。


「はーい」と言ってドアを開ける幼女。

「こ、こんにちは……」と緊張気味に僕は声をかける。こんな小さな子にもビビるんだから、僕のコミュニケーション能力の低さも大概だな。

「なんだ、あんたか。何の用?」


 相変わらず、冷たい反応だなぁ。僕の……貴族の何が気に入らないっていうんだろう。


「君があんまり怒ってるからさ。理由が知りたくて……」

「ふーん。貴族のくせに私ごときのことが気になるの?」


 幼女は嫌味っぽく答える。そう言えば僕はこの子の名前もまだ知らなかったな。


「前にも言ったけど、僕の名前はテンプレート・グライムス。君の名前を教えてくれないかな?」

「……ハンナ」

「ハンナちゃん、ね。ファミリーネームは?」と聞いたのが間違いだった。

「アンタバカにしてんの!? 元奴隷の私にファミリーネームなんてあるわけないでしょ!! ムカつく!!」と怒鳴りながらハンナはドアを閉めてしまった。し、しまった。この学校は強力な魔力を持つ者なら身分関係なく入学させるんだった。特例で入学する者は全て貴族の身分になるんだけど……。デリカシーのない質問をしてしまった……。もっと怒らせちゃうことになっちゃったなぁ。


 謝らないといけないと思ったが、今もう一度ノックをしても火に油を注ぐだけだろうし……。今日のところは退散することにしよう……。僕がすごすごと自室に帰ろうとしていると誰かが声をかけてくる。低い男の声だった。


「おう。お隣さんのおチビさんじゃねえか。お前、最年少入学だったんだな。すげえやつだ」


 隣部屋の30歳のグレイさんだ。30歳ってこの世界ではおじさんと呼ぶべきなのか、お兄さんと呼ぶべきなのか、どっちなんだろう。ま、グレイさんは若く見えるし、お兄さん側だろうな。


「それにしても、かったるかったよなぁ。入学式! よくもあんなつまらん話を黙って聞いてられるもんだよな。オレが十代だったらバックれてただろうぜ!」


 グレイさんの言葉に「ははは……」と僕は愛想笑いで合わせる。


「そういや、昨日のクッキーうまかったぜ。そうだ、お返しをしなきゃあな。食堂に行こうぜ。昼飯まだだろ? おごるぜ」


 僕は誘われるままに魔法学校内の食堂を訪れる。……そう言えば、この食堂は無料で利用できたはず……というか学校内の施設は全て無料で使えるはずだ。グレイさんのおごるってのは一体……。


「ようおばちゃん。チップはずむからよ。このガキのデザート増やしてやってくれ」

「ホントはこんなことしちゃいけないんだけどねぇ。今回だけだよ?」と言っておばさんはグレイさんからお金を受け取る。


 用意された僕の食事はアイスクリームが二つになっていた。グレイさんのアイスクリームはひとつだけだから確かに増えているらしい。


「へへっ。本来なら学校内に金を持ちこむのは禁止らしいんだが、あるもんは使わねえとな。じゃねえと働いてた意味がないってもんだ」

「ありがとうございます」と僕はアイスクリームを増やしてもらったお礼を述べる。

「なぁに。クッキーのお礼だって言っただろ」

「さっきのお金は以前働いていた時のものですか?」

「まあな。学内じゃ使えねえとは聞いてたがよ。オレは一人もんなんでな。外に預けることができるやつもいないし、少ないながらも全財産持ってきたんだ。さっきみたいに上手いこと使えば良いんだよ」

「た、たくましいですね……」

「ちったぁずるいこともできねえとバカを見るぜ? っと、こんなことを良いとこの坊ちゃんに教えてたら怒られちまうか?」

「ははは……」と僕は笑う。


 僕らは対面になるように席に就くと食事を始める。


「ふう。うめえな、ここの飯は! これで酒があればベストなんだがなぁ。学内禁煙禁酒だとよ。6年続くかもと思うと滅入るぜ。って5歳の坊主に言ってもわからねえか!」

「いえ、僕の父もお酒好きなので……。好きな物を飲めないのはつらいと思います」

「お、坊主の父親も酒飲みなのか。でも、アレか。坊主の家は『竜騎士』とかいう偉い爵位なんだよな。元平民のオレとは飲み方が違うか?」


 僕はお酒を飲んでいた父を思い出す。アレン・グライムスは貴族らしくなく、地元の下町の酒屋に出向くような人だった。べろべろで帰ってきてはよく母に怒られていたのを覚えている。


「そんなことないと思いますよ。多分気が合うと思います」

「ホントか!? じゃあ、ここから出た暁には一杯ご一緒させてもらうとするか……」


 グレイさんはそう言いながら、自身の下あごをさする。


「そういや坊主、なにやら同じ年くらいの嬢ちゃんに部屋の前で怒られてたな。喧嘩か?」

「い、いえ喧嘩というわけじゃないんです……」


 僕はことのあらましを簡単にグレイさんに説明した。


「なるほど。訳も分からず怒られたから、その理由を聞きにいった。だけど、奴隷と知らずにファミリーネームを尋ねたらさらに怒られちまったね。ま、仕方ないわな。奴隷は貴族や平民に軽く扱われてる。迫害も受けてるしな。貴族や平民に恨みがあるんだろうよ」


 あ、あれ。貴族、平民、奴隷の身分差はなくなってきているんじゃなかったのか? 父さんや母さんもそう言ってたし、魔法庁長官のコントラートさんもそう言ってたはずだ。


「い、今でも平民や奴隷は貴族から迫害を……?」

「ん? 当たり前だろ? たびたび『身分差はないようにしましょう』みたいなお触れは出ているみたいだが、そんなもん守られてるわけがねえ。……もしかして坊主は知らないのか?」


 僕はグッと下唇を噛み締める。


「……落ち着いてはいるが、まだ坊主は5歳だもんな。これから世間のことを知っていくといいさ。そして、平民、奴隷に優しい貴族様になってくれりゃ、元平民のオレからすると嬉しいんだがな」


 そう言い残して、食事を終えたグレイさんは食堂から去って行った。

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