19.5 村娘、捕まる / 仮面婦女、備える
──油断した。
──あの時、一番無力だったのは私。
気をつけなくちゃ、いけなかったのに…
私は今、魔王軍側近のブラッドカースに攫われ、どこかの洞窟の中に転がされている。
手足は縛られ、口にはロープが咥えられ、逃げることも叫ぶこともできない…
冷えた岩肌が私の体をじんわりと冷ましていく。
口から流れ出たヨダレが耳の横まで垂れ落ち、私を不快にさせる。
──早く逃げたい。
そんな思いで頭がいっぱいだ。
コツン…コツン…コツン…コツン…
洞窟の中を硬い靴で歩く音が響く。私を攫った
「あら、お目覚めになって…?貴方を運ぶにあたって、少々眠らさせて頂きましたわ」
「んーっ!んー!」
私の真横へやって来たその女は、まるで貴族か何かのような口調で私へ語りかける。文句のひとつも言いたいけども、ロープのせいで思ったように喋れない。
「あら、惨めな事で…。ですがその姿、かえってそそられますわね」
隣にしゃがみこむと、私の太ももを服の上から指で触れてきた。そこからゆっくりと上がってきて腰、腹部、胸、首、そして頬までを優しい手つきで撫でてくる。その紅く、長い爪が私のヨダレを拭い取る。
陵辱的な嫌がらせに、恥ずかしさと悔しさが滲み湧いてきた。
「んーっ!」
「あらあら、目に涙を浮かばせちゃって。いいわ、ちょっとだけお話しましょう…。ワタクシの暇潰しをしてくださいな」
私の顔を見て悦んだらしい。口角を上げた女は私の頭の後ろへ腕を伸ばすと(するり)、と縄を解いた。
「ここで私が叫んだら、どうするつもり!?」
「あら、そんな事してもムダですわよ。ここは人の寄り付かない山奥の洞窟の中。例え何をしても徒労に終わりましてよ」
この人がこんな嘘をつく意味は無い。きっと、本当の事なんだろう。
…悔しいけど、怒らせないためにも今は素直に従っていよう。
「ふふふ…、いい顔ですこと…」
女の人はドレスが汚れることを気にもせず、近くの岩に腰をかけた。そして足を組み、私の顔をまじまじと見てくる…
「あんたなんか、シシハマが倒すんだからねっ!」
「だからこそのアナタでしてよ」
両手を上げ、少し嫌味ったらしい口元を見せて話を続ける。
「勇者は皆、未知数の力を持つ者たち。正面から相手をしては何が起こるか分からなくってよ」
「だから私を連れ去り、シシハマに身代わりにさせるつもり!?」
「ご名答」
相手の口元に笑みが浮かぶ。それと私は、自分の置かれた立場を理解した。
こんな所でシシハマの迷惑になるなら…と、私はあのナイフを探そうとする。
けども、ロープがしっかりと結ばれていて腕は動かせそうにない。
「あら、捜し物?でしたら、あちらでしてよ」
女の人が私の頭上の方を指さした。そこには私が身につけていた防具や道具、そしてナイフが積まれている。
「何かされたら困るのでして、外させて頂きましたわ。」
女の人はくすくす、と小さく笑う。
「何がおかしいの!?」
「いえいえ、アナタったら先程から真面目な話ばかり。折角ですから、楽しいお話も致しましょうよ」
最初に言った通り、暇潰しに付き合えってことみたい。
「そうねぇ…」と、口に指を当て考え始める。
「アナタ、どうして勇者に着いていこうと思ったのかしら?唯の村人であるあなたがこんな危険を犯すのか、ワタクシには分からないわ」
──そんなの、私にも分からない。
私にだって、ついて行けば足でまといになるのは分かってた。自分の故郷に戻るべきだった。
でもあの日、それが出来なかった。私は足を踏み出し、シシハマの馬車を追い掛けた。
それからはなし崩し的に、流れるがままに着いてきているのだ。
「…………」
なんとなく?きまぐれ?そんなことを答えてもこの人は満足しないだろう。
どう答えれば良いかわからず、黙り込んでしまった。
「…ふぅん」
何かを察したのか女の人が口を開いた。
「アナタ、近いうちに後悔しますわよ。近ければ明日にでも…」
「どういう、こと!?」
「だってそうでしょう…アナタ、ワタクシに近い香りがしますもの。アナタは報われない、最期に大きな後悔をすることになるって…」
意味が、分からない…
この人と私が、似ている?
そんなわけない。私はただの一般人、この人は強力な魔術師。
私から見れば、一番遠い存在だ。
「尤も、アナタの明日の運命を決めるのは勇者。さあ、お休みになって…」
女の人が手をこちらにかざしてきた。
手のひらには黄色く光る紋章が浮かぶ…
それを見つめているうちに…
私は…
ぼやけて…
……
…
▪️▪️▪️
ワタクシはこの少女に睡眠の魔術をかけた。
瞼は沈み、身体から力が抜けていく。
もう、意識は無いようだ。
もっと話をしていたかったけども、それより重要な客がやってきた。
「ポイズンウィップが、殺された」
いつの間にか、ワタクシの傍にやって来ていたその魔人は淡々と事実を述べた。尤も、勇者達が傷だらけで鉱山から帰ってきた時点で、予想はついていた内容だけども…。
「そう…。確認、お疲れ様でしてよ」
「死体の方も回収した。損傷が激しい」
「アンデッド化はできてよ?」
「ムチは無くなり、腹部に大きな焼き傷がある。もしアンデッド化しても、動きの鈍い、毒を撒く爆弾程度にしかならないだろう。だが、出来ることはやってみる」
「そう…」
魔人は亡くなった仲間のことを弔う様子はなく、殺した勇者へ怒る様子もない。それどころか、死んだその身体をどう利用できるかを考えている。
この冷淡性、この合理性こそがこの魔人、ワタクシの一番の部下である、蘇術魔人デッドソーサラーの強みだ。
「その女はなんだ」
「大切な人質でしてよ。手を出すことは許しませんわ」
デッドソーサラーは私の足元に眠る少女を見て、尋ねてきた。
明日、交渉に必要な素材である以上手を出すことは許されない。
その意志を伝えると、「そうか」とそれだけを述べ、視線をワタクシへ戻した。
必要なことはこれで伝えきったようで、デッドソーサラーは今来た道を戻っていった。おそらく、彼の基地へ帰るのだろう。そして、アンデッド軍団の更なる増強を進めるのだろう。
「フフフ………」
ワタクシは彼のアンデッド軍団が完成した先の未来を想像して、笑いを零した。
しかし、それよりも…
(すぅー……すぅー……)
足元で寝息を漏らす少女に視線を移す。
明日だ、ワタクシがやるべき事は明日、勇者と対峙すること。
そして、
──勇者を殺すこと。
ワタクシの復讐は、人類が魔王軍に敗北するまで終わらない。
それには勇者の死が必然。
だからワタクシは勇者を殺すのだ。
「待っていなさい、勇者」
▪️▪️▪️
私は頭のモヤが取れてきたように、ゆっくりと、ゆっくりと意識が戻ってきた。
──確か、私は…
朧気な記憶を頼りに、これまでの事を思い出す。
──そうだ、あの女の人に魔術をかけられて…
──眠ってしまったんだ。
──!!
そこまで意識を取り戻すと、身体にまとわりつく僅かな痛みに目が覚めた。
急いかで周囲を見渡す。
相変わらず身動きは取れない。けれども、景色は様変わりしていた。空は青く澄み渡り、私達のいる拓けた場所を囲うように木々が生えている。
いつの間にか外に運び出されていたみたい。
──ここは、シシハマと待ち合わせになっている第一カイ山の山頂だろうか。
私の近くに立つ女の人を見ると目線が合った。
「あら、よく眠れたからしら。勇者が来るまでおとなしく祈っている事ね」
鼻で笑われながらそんなことを言われた。シシハマが来なかったらその時はその時は覚悟しろ、とでも言いたげだけども、私は彼が来るのを信じている。
空の太陽は既に高く昇っている。待ち合わせの時間にはもうなってる。
いつ来るのだろうか…
そんなふうに思って前を向いた時、見慣れた顔が遠くからやってきた。
──
【第19.5話 完】
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