第53話 真実。

 意識が戻ったばかりのリリアの耳に、人の言い争う声が飛び込んできた。リリアは目を開けようとするのだが、全身がとても怠く、瞼までもが酷く重く感じられて、身動ぎさえ出来ずにいた。その間にも声はどんどん激しさを増していく。


「いつまでその子を抱えているつもりなの? 早く私に返しなさいよ!」

「なぜ? おまえに渡さねばならない理由はない」

「何ですって!」

「ちょっと、止めなよ。二人とも……」


 感情も露わに怒っているのはシャイルのようだ。それも素が出てしまっている。おじいさんやリリア以外には、絶対に見せることはなかった姿なのに。


「……シャイル」


 何とか口を動かしてシャイルの名前を呼ぶ。辛うじて出た声は囁きでしかない。

 だが、シャイルには聞こえたようだ。


「リリア⁈ 気が付いたのね!」


 歓喜したシャイルの声が返ってきた。


「わあ! やっとお姫様のお目覚めだね! 団長に知らせてくるよ!」


 ルイの嬉しそうに弾んだ声はすぐに遠くへ離れていく。

 僅かに開いた瞳に、ぼんやりとだがシャイルの赤味が強い金髪が揺れているのが映る。徐々に目が慣れてくると、心配そうに覗き込む青灰色の瞳が少し潤んでいることに気づいた。


(また、心配をかけてしまったのね)


 いつも手入れが行き届いているシャイルの肌には艶が無く、目の下に隈まである。


「ちょっと! あなた、邪魔なのよ!」

「邪魔なのは、おまえだ」

「な、何ですってぇっ!」


 シャイルはリリア両頬を両手で包み込み、頬を摺り寄せながら誰かに文句を言っている。

 では、今リリアを抱えているのは──。


「クロウ……なの?」


 少し緊張気味に問えば、シャイルがすっとリリアから身を離した。今までシャイルに隠れて見えなかったクロウの整った顔がはっきりと見える。

 その途端、リリアの心臓がドクリと大きく鳴った。目覚めてから見るクロウは凄く大人びて見えた。


(……クロウに、ずいぶんと長い間会っていなかったような気がする)


 クロウの背後では、木の葉の間から零れ日がキラキラと輝いている。それはまるで、クロウの顔がキラキラと輝いているようだ。

 クロウはリリアを抱えたまま立派な木の幹に背を預けて座っていた。その姿は少し疲れが見えるものの、いつのまにか彼が纏っていたほの暗い影が綺麗に払拭され、穏やかで落ち着いた雰囲気に変わっている。


(雰囲気が変わったように感じるからかしら? どうにも騒ぐ鼓動を止めることができないわ)


 クロウの腕の中で、緊張からリリアは無意識に体を強張らせる。


「リリア、足は大丈夫か?」


 そんなリリアに対し、わずかに目元に愁いを漂わせながらクロウが訊ねてくる。


「……大丈……夫──?!」


 リリアは初めて違和感に気付いた。

 いつのまにか足の痛みが綺麗に消えている。足だけではない、まるで攫われたことさえ夢であったかのようだ。本当に眠りから覚めたばかりのように体は重く、記憶もところどころ曖昧だった。


(どれが夢で、どこまでが現実だったのかしら……?)


 記憶がごっそりと抜け落ちてしまったかのように何も思い出せないところもある。


「……私達は、助かったの?」


 不安そうに問えば、クロウが優し気に微笑む。


「ああ、もう大丈夫だ」

「どうしても、森へ逃げ込んでからのことが思い出せない……」


 額を押さえ、困惑するリリアの手をクロウがそっと捉える。


「思い出す必要はない。俺達は助かったんだ。おまえを攫おうとしていた男達は全員捕らえられた。もう何も心配しなくていい」

「本当に? よかった……」


 リリアはほっと息を吐いた。

 そして、クロウへ感謝を込めて見つめる。


「ありがとう、クロウ。ずっとそばにいてくれたのね」


 心からの気持ちを言葉に乗せて伝える。きっとリリアの記憶が無い間も、ずっとクロウはそばにいて守ってくれていたのだ。

 クロウが包み込むような眼差しで見つめかえしてくれた。それだけで不安が払拭され、心が温かく満たされていく。とても幸せで、胸の奥が熱くなって、自然と温かいものが頬を伝う。

 人は幸せを感じても涙が溢れてくるのだと、この旅でリリアは知った。


「リリア殿の意識が戻られたのは、本当か?!」


 聞き覚えのある低音の大きな声が聞こえてきた。

 リリアが顔を向ければ、大勢の兵士達が動き回っている中から駆け寄って来るのは、団長のガルロイだ。彼の後ろをルイも走って来る。


「団長さん! 助けに来てくださったのですね。ありがとう! ルイさんも!」


 リリアの傍まで来ると、ガルロイはゆっくりと立ち止まった。肩で息をしながらリリアの姿を無言で見つめてくる。


「……リリア殿。よくぞ、ご無事で──」


 まるで絞り出すような声だった。リリアが微笑んで応じれば、ガルロイは明らかにほっとした表情を見せた。彼らにまでとても心配をかけてしまっていたようだ。


「ご心配をおかけしてしまって、ごめんなさい。とても恐ろしかったけれど、クロウに助けに来てくれました」


 ガルロイはクロウへ視線を移し、頼もしそうに目元を和ませた。そんな目を向けられ、クロウが珍しく少し戸惑った表情を浮かべている。


「リリア殿、体調はいかがか? 意識が戻ったばかりだというのに、大変申し訳ないのだが、我々はもうまもなく王都へ向け出発しなければならない。このまま共に出発できるだろうか?」


 団長に問われ、リリアはハッとする。悲しい思いでシャイルを見た。まだ彼を説得できていないのだ。

 だが、視線を向けると、意外なことにシャイルが小さく頷いた。


「え? ……シャイル?! 私は王都へ行ってもいいの?」

「ええ。団長にも、そう伝えてあるわ」

「本当に……?」


 信じられず、困惑気味に問えば、シャイルがしっかりと頷く。


「! 嬉しい!! ありがとう、シャイル!」 

 

 リリアはクロウの腕の中から手を伸ばし、シャイルに抱きつた。

 そして、弾けるような明るい笑顔を団長に向けた。


「お願いします! 私も一緒に王都へ連れて行ってください! いいでしょうか?」

「もちろんです! では、王都で陛──」


 団長が突然言葉を途切れさせ、ちらりとシャイルへ視線を向けた。シャイルはその視線に頷き返すと『王都でへい?』と首を傾げるリリアの頭にそっと手を置いた。


「ガルロイ殿、続きは私からリリアへ話します」


 シャイルの返事にガルロイは固い表情で頷く。


「……ところで、王都で人を探されると聞いたのだが…」


 去り際、ガルロイが思い出したように振り返ると、リリアへ訊ねてきた。


「はい。王都でどうしてもお会いたい人がいるんです!」

「分かりました。もし、どこに住んでいるのか教えていただければ、王都に到着後、すぐに会えるようにその方をお探ししておきましょう」

「本当ですか?! 嬉しいです! ありがとうございます! でも、あの……名前は分かるのですが、王都のどこに住んでおられるのかまでは分からないんです」

「住まいが、分からない? それは、厄介だな。王都はとても広いのです。ちなみに、その方の名前は何とおっしゃるのですか?」

「ハミール・ヴァロワさんです」

「!? ハミール? ──ハミール・ヴァロワ……だと?」


 なぜかクロウが過剰に反応した。


「え? もしかして、クロウの知っている方なの?」

「……俺の、命の恩人だ」

「えっ?!」


 その場にいた全員の驚く声が重なった。皆の視線がクロウに集る。


「ハミールの居場所なら俺が知っている」

「それなら、話は早い! 出発の用意を急がせるとしよう。行くぞ、ルイ!」


 駆け去っていくガルロイ達の姿を見送った後、リリアはまじまじと端正なクロウの顔を見つめた。


(こんな偶然があるだろうか? おじいさんの大切な友人がクロウの命の恩人だったなんて……)


 あまりに驚きすぎて呆然としていたリリアだったが、ふと視線を感じ、振り向いた。視線はシャイルだった。とても思いつめた表情をしていた。その眼差しにリリアは一気に不安になる。


「どうかしたの? シャイル……?」

「リリア。……あなたが王都へ行く前に、言っておかないといけないことがあるの」


 シャイルはちらりとクロウに視線を向けた。その視線を受けたクロウの目がわずかに細くなる。


「何だ? 俺には聞かれたくないようだな」


 冷たい青灰色の瞳と熱を秘めた黒い瞳がぶつかる。

 険悪な空気を纏いだした二人を止めようとしたリリアの脳裏をサンタンの言葉が過ぎった。慌ててクロウを睨みつけているシャイルの胸元に縋りつく。


「シャイル! 私も聞きたいことがあるの。私を捕まえようとした人が、私を王女だって言ったの。違うわよね? クロウが知らない男の言うことよりもシャイルに聞いたほうがいいって、シャイルの言うことを信じたらいいって……」

「え? この男が……?」


 まさかクロウがシャイルを信じるように言うとは思いもしなかったのだろう。シャイルは驚いた顔をクロウへ向けた。そんなシャイルを祈るような思いで見つめる。

 ただシャイルに笑顔で『違う』と笑い飛ばして欲しかったのだ。その思いはシャイルにも伝わっているはずだった。

 だが、リリアの願いに反し、シャイルは表情を硬くした。

 そして、自分の服をつかんでいるリリアの両手を取ると、優しく握った。これはシャイルがリリアに大切な事を言い聞かせる時にする癖。


「……落ち着いて、聞いてね」


 そう前置きして、シャイルはリリアを包み込むように抱きしめた。嫌な予感がリリアの心を覆う。

シャイルがリリアの耳元でそっと告げた言葉は。


「あなたは、この国の王女様なの」


 呆然とするリリアの手をシャイルはそっと離し、両手でリリアの頬を包み込むと、視線を合わせてきた。真剣な瞳が冗談ではないと言っている。


「リリア、あなたの本当の名前はリリティシア・フォン・アーレンベルグ」

「そんな……、だって──」

「今まで黙っていて、ごめんなさい。王都で国王陛下が貴女のことを待っているわ。団長が言いかけていたこともこの事だったの」


 目を伏せ、謝罪するシャイルの顔を見つめたまま、リリアは酷く混乱していた。頭の中が真っ白で、何をどう考えていいのか分からない。まさか自分が本当に王女だったなんて、すぐに信じられる事ではなかった。


(では、サンタンが言っていたことは、……本当だったの?)


「……シ、シャイル。今の国王様は私の……い、命を狙っているって……」


 恐怖からか、発した声は酷く掠れていた。その姿にシャイルは辛そうに顔を歪めると、頭を左右に強く振った。リリアの手を握っているシャイルの手の力がさらにこめられる。


「それは、違う。リリア、今の国王、シュティル陛下は、あなたと唯一血が繋がった人。あなたにとっては叔父にあたる人なのよ。リリアにとても会いたがっておられるわ」

「私の、……おじさま?」

「ええ、そうよ。シュティル陛下の兄は前国王、アルフレッド・フォン・アーレンベルグ。あなたの父親の名前よ。十四年前に西にあるリコスが攻め込んできた時に亡くなったの。その混乱の中、あなたは先生によって城から逃がされたのよ」

「……」


 次々に明らかになる自分の出自に、リリアは言葉を失っていた。ただうわ言のように呟く。


「お母さんは……?」

「──その時に、国王と一緒に亡くなられたそうよ」

「!」


 一度、両親のことをおじいさんに尋ねたことがあった。リリアがまだ赤子だった時に亡くなったのだと教えられた。

 だが、その時にひどく辛そうに目を伏せたおじいさんの表情を見てから、それ以上詳しく何も聞けなくなってしまったのだ。

 おそらく、訊ねたとしても、おじいさんを困らせるだけで、事実は何も語られなかっただろう。


「王都へ攻め込んできたリコス軍から都を救ったのが、シュティル陛下なのよ。あなたの行方が分からなくなってからずっと探しておられたようね」

「私を、探して?」

「ええ、そうよ。これまでは色々問題があって、先生はあなたをお城へ連れて行くことができず、身を隠していなければならなかった。でも、もうあなたはお城へ戻る事が出来るのよ」

「戻る……?」


 戻る場所は、リリアにとってはおじいさんとシャイルと暮らした村の事だ。それ以外の場所に『戻る』といわれてもピンとこない。


「入れ違いになってしまったけれど、実はエルバハル殿のお屋敷へ翠色の瞳を持つ娘がいると聞いただけで国王陛下は自ら馬を駆け、会いに来られていたのよ」


 シャイルは話し続ける。


「先生の友人にお会いした後、きっとガルロイ団長が陛下の元へ連れて行ってくれるでしょう。こうしている間もあなたが王都へ来るのを今か今かと待ち焦がれておられるはずよ。ここにいる兵達は攫われたあなたを救うため、陛下が差し向けた者達なのよ。まだ、あなたが王女だとは聞かされていないようだけど」

「……団長が?!」


 今まで黙って聞いていたクロウが驚いた様子で呟く声が聞こえた。


「あら、あなたは知らなかったの? 団長はリリアを探すよう命じられていたのよ。金髪の彼は知っていたようだったけど?」

「やめて、シャイル!」

「いや、いいんだ。本当のことだ。俺は団長達に会ったのは2年ほど前だ。縁あって仕事を手伝っていただけで、お互い何も知らない……」


 シャイルはなぜかクロウに対して冷たい態度ばかり取っている。どうすればクロウがどれほどいい人なのか、分かってもらえるのだろうか。リリアはやるせない思いに駆られる。

 さらに、リリアを苛むのは……。


「シャイル。おじいさんは、……おじいさんは、私の本当のおじいさんではなかったの?」

「……ええ。あなたのお父さん、前国王の主治医だったそうよ。……私達三人はまったく血は繋がっていなかったけれど、本当の家族だった。そうでしょう? 今までも、これからもそれは変わらないわ」

「……うん」


 シャイルの言葉に心から頷く。

 脳裏におじいさんの優しい笑顔が浮かぶ。

 その途端、もう会えない寂しさと、大切な友への手紙を出すこともできず、燃やさねばならなかったおじいさんの心境が過り、リリアの胸に握りつぶされるような痛みが走った。


(手紙を出せない理由は、私だった。……私だったのね)


 リリアは両手で顔を覆った。

 嗚咽を殺して泣くリリアを、シャイルが抱き寄せる。背を撫でる手が、どこまでも優しかった。

 おじいさんはとても優しい人だった。リリアを本当の孫のように愛してくれていた。リリアはおじいさんのもとで幸せだった。

 だが、その幸せは、おじいさんの犠牲のうえになりたっていたのだ。おじいさんはリリアを匿わねばならない為にずっと身を隠し、大切な友人に会うことさえ叶わなかったのだから。

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