第52話 かけがえのない者。
突然、腕の中のリリアの体が重くなった。
「リリア?!」
『心配はない。ただ眠っているだけだ』
心配するクロウを安心させるかのように、精霊の王が告げる。
だが、その人ならざる者の目がリリアから逸らされることはない。ゆっくりと近づいてくると、眠るリリアの額に指先を当てる。
「!」
ふいにリリアの体から淡い翠色の光の粒子が溢れ出し、徐々に人の姿になっていく。まるで陽炎のように揺らめくその姿には見覚えがあった。精霊の王に見せられた過去の中で出会った精霊の少女だ。
少女の閉じていた目がゆっくりと開く。瞼の裏から現れたのは、美しい翠緑色の瞳。リリアと同じでありながらまったく別のもの。その瞳に精霊の王の姿が映る。少女は美しい王の姿を見つめたまま、まるで蝶が羽を広げるようにゆっくりと両手を広げながら膝を折り、優雅にお辞儀をする。
『我が君。わたくしの敬慕するお方』
鈴が鳴るような少女の声に、精霊の王は僅かに目を細めた。
『……やっと会えた』
王の吐息のような囁きに、少女の顔にはじめて人のように感情が感じられる笑みが浮かぶ。まるで泣きそうな笑みだ。
だが、その笑みは少女の姿と共に薄れ始め、小さな光の粒となってきらきらと輝きながら再びリリアの体へと戻っていく。その様子を見届けると、精霊の王は静かに瞳を伏せた。
クロウは気付いた。
この少女は、精霊の王にとって掛け替えのない者なのだと。クロウにとってリリアがそうであるように。
『……我が一族の者と共に、その娘はそなたに託そう』
精霊の王の発した言葉に、クロウははっと息を飲んだ。
王はすべてを包み込むような表情でクロウに頷いてみせると、おもむろに片手を掲げ、クロウとリリアに向けた。
『この場で起きたことはすべてそなた達の記憶の中から消し去る。背後で倒れている者達も同様に──』
「待ってくれ!」
クロウは精霊の王の言葉を途中で遮った。
だが、精霊の王は怒るでもなく、興味深そうにクロウを見つめる。
「俺の記憶だけは消さないでほしい」
『人ならざる者の力を知ったままその娘の傍にいて、そなたは怖しくはないのか?』
「本当に恐ろしいのは人間のほうだ!」
クロウがすぐさま答えると、精霊の王は美しすぎる顔に初めて笑みらしいものを浮かべた。
「俺は今後、彼女にその力を使う事がないようこの命を懸けて守る。だから、俺の記憶は消さないでほしい」
『──そうか。なかなか興味深いことを言う。ならばそなたの記憶だけは残しておくとしよう』
精霊の王の面白がるような声が、突然吹き突けてきた風と共に通り過ぎて行った。思わず目を閉じたクロウは再び目を開け、瞠目する。
無惨に崩れていた大地がまるで時間を戻すかのように元の姿に戻っていく。大地から長く伸びあがっていた木の根さえも、しゅるしゅると音を立てながら地中へと消え去り、もとに戻った大地には、取り残されたように男達が横たわっているだけだ。
これが、精霊の王の力。
「……あれ? 俺、どうしてこんなところで寝ちゃったんだ?」
ルイの呑気な声がする。彼は半身を起こし、不思議そうに目を擦りながらああたりを見回している。その横では、シャイルが額に手を当て、釈然としない表情を浮かべていた。
一方、ガルロイはといえば、意識を取り戻すとすぐに起き上がり、伸びている黒い服装の男達を片っ端から縛り始めた。
仲間達の無事な姿に、クロウはそっと息を吐いた。まるで今まで起きていたことがすべて夢であったかのようにさえ感じる。
だが、夢ではない。
(そう、夢ではないんだ……)
クロウは眠っているリリアを起こさないよう慎重に抱え直すと、心から信頼する仲間達の元へ向かう。
固い決意を心に秘めて。
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