第47話 二人の少女。

 少女達の笑い声で、クロウは目を覚ました。すぐさま跳ね起き、素早く辺りを見回す。

 だが、緊張していた表情がすぐに困惑したものへと変わった。クロウは見覚えのない森の中にたった一人でいたのだ。


「リリア!」


 薄日が差す森の中を、クロウは有らん限りの大声でリリアの名を呼びながら駆けまわった。

 しかし、どれほど探しても求める愛しい少女の姿を見つける事が出来ない。 


(ここは、どこだ? 何が起きている? リリアは、どこへ……)


 不安と焦りの中、ふと自分の左肩に触れる。クロウが矢を受けた場所だ。不思議なことにまったく痛みを感じない。


「!?」


 クロウが動きを止めた。確かにクロウの左肩を矢が貫いたはずなのに、服には穴一つ開いていなかったのだ。


(そんな、馬鹿な! ……俺は、夢を見ているのか?)


 リリアと共に旅をした事までもがすべて夢だったように思えて、クロウは胸元を強く握り締めた。

 突然胸にぽっかりと穴が開いたような虚無感が襲いかかってくる。膝から崩れ落ちそうになるのを堪えるように目を閉じた。脳裏に浮かんできたのは、朝日に輝く光の中で、優しく微笑む愛しい顔だった。その鮮明な記憶が夢であるはずがない。腕にはリリアを抱き締めた時に感じた柔らかな温もりがまだしっかりと残っている。


「リリアは、俺を好きだと言ってくれたんだ……」


 キラキラと輝く記憶と共に意識を手放す寸前の光景までもがまざまざと蘇ってきた。

 足を引きずりながらクロウの元へにじり寄ってきたリリアの痛々しい姿。

 必死でクロウを呼ぶ声。

 涙に濡れた顔。

 その全てに、きりきりと胸が痛んだ。

 

「くそっ! ここは、どこなんだ!」


 苛立ちも露わに、強く握った拳を近くの木の幹に打ちつける。


(夢だろうがなんだろうが、今はリリアを探さなくては……)


 クロウは顔を上げた。再び駆け出す。早くリリアを見つけ出し、あらゆるものから守りたかった。リリアが笑顔でいられるように。

 ただその一心で駆ける。

 リリアがいない事が不安でしかたがなかった。


(耐えられない)


 静かすぎる森の中を、焦燥感に押しつぶされそうになりながら、リリアの姿を求め走り続ける。

 とその時、どこからか少女達が笑う声が微かに聞こえてきた。

 クロウは弾かれたように声がした方向へ向かう。木立を抜けると突然目の前が開けた。視線の先には、色取り取りの花が咲き乱れる草原が広がっている。そこには二人の少女が向かい合って座っていた。彼女達は花を摘みながら楽しそうに笑い合っている。

 淡い金色の髪が目に留まり、クロウはほっと息を吐き出した。リリアだ。後ろを向いてはいるが間違い。


「リリア!」


 クロウは安堵が混じった声で探し求めていた少女の名前を呼んだ。

 だが、クロウの声が聞こえなかったのか、まったく反応がない。ただ淡い金色の髪が草原に吹く風に揺れているだけだ。

 再び不安がクロウを包む。

 駆け寄りながら再び愛しい彼女の名前を叫ぶ。すると反応したのは別の少女だった。ゆっくりと顔を上げたその少女と目が合う。

 途端、クロウの足が止まった。いや、動けなくなってしまったのだ。

 リリアと同じ翠緑色の瞳がクロウを見つめる。その瞳に感じるのは親しみではなく畏れだった。直観でこの少女が人ではないことに気付く。


「精霊……なのか?」


 今まで出会ったこともないが、この国で精霊と呼ばれているものなのだろう。

 精霊の少女の顔や姿を非常に美しいと感覚では捉えているのだが、実際は少女の瞳以外すべてが淡い光に包まれていて、視覚ではっきりと捉える事ができないのだ。

 ふいに草原を強い風が吹き抜けた。二人の少女達が摘んだ花が勢いよく空に向かって巻き上げられていく。花達を目で追い、金色の髪の少女が振り返った。


「!」


 クロウの顔に動揺が走る。あれほどリリアだと確信していたのに、違った。

 だが、驚くほどリリアによく似ている。違っているのは、瞳の色ぐらいだ。この少女の瞳の色は美しい青。さらにこの少女の髪はとても長かった。


(なぜ、髪の長さがこれほどまでに違っていたのに、リリアだと強く感じたのだろうか……? リリアを求めるあまり無意識に思い込んでしまったのだろうか……)


「うっ……」


 突如、空高く花を巻き上げた強い風がそのままクロウに向かって吹きつけてきたのだ。クロウは思わず両腕で顔を庇い、目をつぶる。


「?!」


 再び目を開けたクロウは、自分の目を疑った。いつのまにか知らない部屋の中にいたのだ。

 広い部屋の中には、高価だが品の良い調度品が置かれている。どこかの貴族の屋敷の中だと思われた。人の気配を感じ、開け放たれた隣の部屋を覗く。その部屋は寝室のようだった。瀟洒な天蓋付の寝台が置かれており、その周りにはたくさんの人の姿があった。家族だけでなく、使用人達も集まっている。みな深い悲しみに沈んでいた。

 寝台の傍らでは淡い金色の髪の少年が嗚咽をもらしながら泣いている。その少年のすぐ隣で、年老いた夫婦も寝台に横たわる人物に縋り付いてすすり泣いていた。彼らは嘆き悲しみながら、口々に精霊の加護を求めている。

 たった今、誰かが亡くなったようだった。

 クロウは嫌な胸騒ぎを感じながら寝台へ近づく。胸元で両手を組み、横たわっている者の顔を覗き見た。


「!」


 クロウは衝撃のあまりよろよろと後ろへ後ずさる。

 永い眠りについたのは、草原にいたリリアに良く似た少女だったのだ。

 混乱し、立ち尽くすクロウの視界に翠緑の光が飛び込んできた。その光は少女の足元で瞬くと、草原にいた精霊の姿へと変わった。彼女は横たわっている少女を見下ろす。

 だが、この場にいる者達はクロウ以外誰もその姿に気付いていなかった。見えていないのだろう。

 次の瞬間、その精霊は横たわる少女に向かってゆっくりと倒れ込んで行く。そして、まるでその身体に溶け込んでしまったかのように、そのまま姿が見えなくなってしまった。

 驚くクロウの目の前で、亡くなったはずの少女が目を覚ました。

 クロウの心臓が早鐘を打つ。

 少女の瞳の色があの精霊の少女と同じ美しい翠緑色になっていたのだ。いや、リリアと同じ瞳の色だ。その瞳からは、優しさと慈愛を感じる。

 集まっていた人々は精霊の起こした奇跡だと口々に感謝する言葉を呟き、歓喜の声を上げている中、突然クロウの足元がぐにゃりと歪み、景色が一変した。


「!」


 クロウは再び森の中にいた。目の前に、木の幹を背にして若い男が座っている。

 眩い金色の髪に目の覚めるような青い瞳を持つその若者の秀麗な容姿は、男であるクロウが見ても目を引くものだった。特に強い輝きを放つその男の眼差しは人の心を捉える力があるようだった。

 クロウはこの若者に会うのははじめてだった。だが、どこかで会ったことがあるように感じる。

 この若者を取り囲むようにして、数人の騎士達が膝を付いていた。どの男もとても辛そうに若者を見守っている。若者は傷を負っているようだった。それもかなり深い傷を。跪いていた男達が突然背後を警戒して立ち上がり、若者を守るように剣を抜く。

 だが、現れたのは、一人の若い娘だった。突然剣を向けられ、驚いたのだろう。野いちご摘んだ籠が足元に落ちている。

 日よけの帽子の下から除くその娘の顔を見てクロウの心臓が跳ねた。


「リリア!」


 クロウははじかれたように駆け寄り、まるで覆いかぶさるかのようにリリアの華奢な体を抱き締めた。はずだった……。

 クロウの腕はするりと彼女の体をすり抜けてしまった。

 ただ呆然と自分の手を見つめるクロウの体を通り抜けて行ったリリアは、傷を負った若者のそばへ歩み寄って行く。

 若者の青い瞳とリリアの翠緑色の瞳が見つめ合う。


「リリア!」


 クロウはリリアの名を叫んだ。

 だが、クロウの声はリリアには届かない。

 あの若者は一瞬でリリアに心を奪われていた。リリアも同じだった。強い喪失感がクロウを襲う。クロウは崩れるようにその場に膝を付き、両手で顔を覆った。

 ふと風が変わった。

 うつろな眼差しで顔を上げれば、再び別の場所にいた。どこかの大きな建物の外にいるらしい。白い壁が延々と続いている。見覚えがあるような気もしたが、もう何も考えられなくなっていた。あまりに目まぐるしく状況が変化し、クロウは疲れ果てていた。


(俺は頭がおかしくなってしまったのか?)


 地面に座り込んだまま、感情が抜け落ちた目でクロウは見るともなしに白い壁を見つめていた。すると突然、壁に人が一人通れるほどの穴がぽっかりと開いたのだ。その真っ暗な穴の奥から精悍な顔つきの初老の男がまだ幼い赤子を連れて現れた。

 男は目の前にいるクロウには気付かない。穴を通り抜けて来た男は一旦立ち止まり、背後を振り仰ぐ。

 男の顔を大人しく見つめている赤子の瞳はリリアと同じ翠緑色をしていた。男は赤子を大切そうに抱き直すと、しっかりと前を向く。

 そして、まるで覚悟を決めたように歩き出した。すると、彼の背後で壁に開いた穴が音も無く忽然と消え去ってしまった。赤子を抱いた男はそのままもう二度と振り向くこともなく森の中へ消えて行った。


(……あの赤子は、リリアだ)


 クロウは瞬時に理解する。

 おそらくクロウが今まで見てきたものはこの国ベルンシュタインの過去。

 そして、ここは十数年前の王都シェンドラなのだ。彼が目にしている白い壁は王城の外壁だ。見覚えがあるのもあたりまえだ。

 クロウは立ち上がる。

 きっとリリアは草原にいた少女の生まれ変わりなのだろう。今もあの精霊が彼女の中にいる。

 そう感じた瞬間、急に体が背後へ強く引っ張られる感覚に襲われた。

 クロウはその感覚に身を委ねる。


(きっとリリアの元へ戻れる。リリアの元へ!)


 クロウは真っ暗になった視界に戸惑うことはなかった。リリアのそばへ戻れる喜びと、彼女を守る覚悟を胸に、右手の拳に力を入れたのだった。

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