第45話 葛藤。

 エルバハルの屋敷を飛び出したシャイルは、すぐにリリアを攫った男の一人を捕まえ、口を割らせていた。


「……依頼主は、バルデン伯爵だ」

「バルデン?」

「そうだ」

「おまえ達はさらった娘をどこへ連れて行った?」

「森だ。この先の森の中に古い屋敷がある。そこで伯爵に引き渡す約束になっている」


 シャイルは立ち上がると、男が乗ろうとしていた馬に飛び乗り、すぐさま男が言っていた森の古い屋敷へと向う。途中、背後から馬の蹄の音が聞こえてきたので振り向けば、ルイが追いかけて来ていた。シャイルはそのまま馬を駆けさせる。空が明るくなった頃、目の前に廃墟のような屋敷が現れた。立派な門は無残に破壊されている。


「ここに、リリアがいるのか?」


 シャイルが馬から降りると、ルイが話しかけてきた。


「おそらく」


 壊されたばかりであろう飛び散った門の破片を手に取り、シャイルは答える。二人は壊れた門を駆け抜けると、まるで飛び込むような勢いで屋敷の中へと入って行った。


「す、すごい……」


 傍らに立つルイが茫然と呟く。建物の中はすでに戦闘の後だった。階段や廊下に幾人もの剣を持った男達が倒れている。どの男もぴくりとも動かない。


「……みんな死んでる? クロウは、こいつらとたった一人で戦ったってことかな?」


 ルイが倒れている男の傍らに膝を付く。シャイルは男達に目もくれず、階段の上へ視線を向けた。


(リリア! どうか無事で!)


 今シャイルの心を占めるのはリリアの事だけだった。他のことなど、どうでもよかった。母を失ったと同時に、生きる気力をも失った。

 だが、それを救ってくれたのが先生とリリアだった。まるで精霊の導きのように、母を失う前日に偶然に二人と出会い。まるで母を失った喪失感を埋めるようにシャイルは二人を愛してきた。いつのまにか二人はシャイルにとってかけがえのない存在になっていたのだ。

 ずっと慈しみ大切に守ってきたリリアが、今彼の知らないところで危険な目にあっている。


(気が狂ってしまう)


「リリア! リリアっ! どこにいるの? 私の声に答えて! お願い!」

「シャイル!」


 言葉使いを取り繕う余裕は無くなっていた。一心不乱にリリアの名前を呼びながら階段を駆け登ろうとしたシャイルを突然ルイが呼び止める。反射的にシャイルが振り返れば、倒れている男の胸に耳を当てていたルイの真剣な瞳とぶつかった。


「……死んでない! みんな気を失っているだけだ。もちろん怪我をしているから、このままほっておけば死んじゃうと思うけど……」


 反射的にシャイルは近くに倒れていた男の脈を取った。確かにしっかりと心臓は動いている。失神しているだけのようだ。


「あのクロウが、一撃で倒せなかった? こいつらそんなに強かったっていうことなのかな?」

「……違う。彼は、おそらく戦い方を変えたのね。殺さないように」


 困惑するルイに答えながら、シャイルは右手をぐっと握り緊めていた。

 そして、改めて倒れている男達に視線を向ける。


(こんな時に、あの男は突然戦い方を変えた? ……リリアのため? まさか────)


 シャイルはまるで答えを追い求めるように、二階へ向かって駆け上がった。倒れている男達を道しるべに、薄暗い廊下を抜け、屋敷の最奥の部屋に辿り着く。部屋の扉の前にもバルデン伯爵の私兵達が倒れていた。やはりどの男も傷を負ってはいるが命にかかわるような傷は無い。このような状況下で、襲い掛かって来る敵に対し手加減をするなど、どうやらクロウという男の剣の腕はシャイルの予想を超えているようだった。


「リリア!」


 己の命より大切な少女の面影を追い、シャイルは朝日が照らす部屋の中へ飛び込んだ。

 だが、静まり返った部屋の中には彼の追い求める少女の姿はなかった。思った以上に広い部屋の中にはやはり気を失った男達が倒れているだけで、どこにもリリアだけでなくクロウの姿も見当たらない。

 シャイルは無意識に胸元をきつく握り締める。


「あれ? クロウ達はいないね。あいつの事だから、おチビさんを無事に助け出したと思うんだけど……、 あ! あの男は?」


 ルイの視線の先に、見ただけで貴族とわかる男が倒れていた。シャイルも急いで駆け寄る。


「……この男がリリアを攫うように命じたバルデン伯爵のようね」

「へぇ~、黒幕はこの男だったんだ」


 背後に立ったシャイルをルイが仰ぎ見る。


「……この男だけは、一撃だね」

「ええ、そうね。背中から心臓へ、見事に剣が貫いているわ。……この男、リリアに危害を加えたんだわ」

「どうしてそう思うのさ?」


 冷ややかに男を見下ろしているシャイルの顔をルイは覗き込むように尋ねてきた。シャイルは手を伸ばし、男の手の甲を指し示す。


「ここを見て。このひっかいて出来た傷はとても新しい。きっとリリアが必死で爪を立てた跡よ」

「……血が出るほどひっかくなんて、何があったんだろう?」


 分からない。とシャイルは答えた。

 だが、シャイルは確信していた。リリアはおそらくこの男に酷い目にあわされたのだ。それもクロウの目の前で…。そうでなければここまで誰も殺すことなく、だが二度と襲ってこないように相手を気絶させながら戦って来たあの男がうっかり殺してしまったとは、考えられなかった。

 そんな風に思う自分にシャイルは驚いていた。


(あの男だけは認めたくない。あの男は私からリリアを奪ってしまう……)


「じゃあ、二人はどこへ行っちゃったんだ? ここまでの道中でも会わなかったし、ちゃんと逃げられたのかな?」


 シャイルの心の葛藤を知らないルイは、あまり慌てた様子もなく、窓から顔を出して辺りを見回している。きっとクロウという男の事をかなり信用しきっているのだろう。

 あっ!とルイが叫んだ。


「シャイル! ……クロウ達は、きっと森の中だ!」


 ルイが指し示す先には、広大な森が広がっていた。

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