第40話 夜明け。

 クロウの静かな問いにかけに、リリアは逞しい胸に顔を埋めたまま、小さく首を振る。

 そして、ゆっくりと顔を上げた。黒曜石のような美しい瞳がリリアをじっと見つめていた。張り詰めた真っ直ぐな眼差しをしっかりと受け止め、リリアは口を開いた。


「人が、……たくさんの人が、血を流して倒れていて……、とても……恐ろしいです」


 クロウの澄んだ瞳が揺れる。

 リリアは出会ってから始めて見せるクロウの頼りなげな姿に、優しく包み込むように見つめ返す。


「クロウも、あの倒れている人達の中にいたかもしれないと思うと、もっと恐ろしいです。怪我をしていませんか? クロウ?」


 はっとしたようにクロウの目が大きく見開らかれた。

 そして、すぐに苦しそうに顔を歪める。

 だが、リリアから視線を逸らしはしなかった。


「……リリア。聞いて欲しいことがある」


 リリアはクロウの真摯な眼差しを見つめながら、ゆっくりと頷いた。クロウはリリアの体を抱き上げると、掃き出し窓を開き、バルコニーへ出る。夜明け前の澄んだ空気がリリア達を包む。


「……俺は、物心着く頃にはすでに剣を握っていた」


 中庭へ通じる階段の上段にリリアを座らせると、クロウはその隣に腰を下ろし、静かに語り始めた。


「傭兵を生業とする集団の中で俺は育ったんだ。俺達は戦という血の匂いを嗅ぎつけ、戦場から戦場へと渡り歩いていた。まるで血に飢えた獣と同じだ」


 自分の過去を語るクロウの声は、とても固いものだった。本当は話したいわけではないのだろうとリリアは感じていた。

 クロウは自分達の事を血に飢えた獣に例えたが、彼の優しさを知っているリリアには、彼を含めクロウを育てた人達がどうしても恐ろしい人達だとは思えなかった。


「みなさんは、今どこにいらっしゃるのですか?」

「……この国よりもっと東にある、荒れた大地で眠っている」

「え……?」


 クロウは一度言葉を切り、まるで祈るように目を閉じた。


「俺達は囮に使われ、全滅した。金で雇われる傭兵にはよくある話だ。俺も例にもれず仲間達の死体の中に埋もれるようにして生死を彷徨っていた。ちょうどその時、たまたま珍しい薬草を探す旅をしていたお人好しの男が、まだ息があった俺を見つけ、助けてくれたんだ」


 クロウが語る彼の過去はあまりにも壮絶だった。

 出会った当初に彼の古傷を目の当たりにしているリリアは、苦しむクロウの幻影が見えて、酷く心が痛んだ。

 だが、彼は感情を表に出さず、とつとつと語っていく。リリアにはただ彼に寄り添いながら耳を傾けることしか出来なかった。


「意識が戻った時、俺はその男に訊いたんだ。なぜ、俺なんかを助けたのかと」


 遠くの山の稜線を見つめていたクロウがリリアに視線を向ける。その瞳は凪いでいて、心の内を読み取ることが出来なかった。


「『人の命を助けるのに、何か理由が必要なのかい? 私は、ただ自分が出来ることをしただけだよ』と、その男は当たり前のように答えたんだ」

「『君の仲間達も同じだったと思うがね。一番若かった君を庇うように亡くなっていたのだからね。死んだ後も、彼らの亡骸が容赦ない太陽の熱と過酷な夜の冷気から私が来るまで君を守っていたのだよ』と。俺は思いっきり殴られたような気がした。俺はたまたま生き残ったのではなかった。仲間達が俺を生かしてくれていた。その事実を教えてもらってから、俺も誰かの命を助ける事が出来る人間になりたいと思ったんだ」


 ずっと感情を抑えて語っていたクロウの眼差しに熱がこもる。


「俺は、ガルロイ達に出会って、その機会を得る事ができた」


 クロウの手がリリアに向かて伸ばされる。剣を使う者特有の大きく固い掌がそっとリリアの頬に触れる。


「そして、俺はおまえに出会ったんだ」


 迷いの無い真っ直ぐな眼差しが翠玉の瞳を捉える。その時、山々の影から現れた朝日がリリアの顔を照らし、クロウは眩しそうに目を細めた。


「本心を言えば、仲間達と共に死にたかった。だが、今は生かされた事に感謝している。……おまえと共に生きていきたい」

「クロウ……」

「愛している。リリア」


 リリアの瞳から涙が一滴頬を流れ落ちていく。朝日に輝くその涙は幸せの涙だった。


「クロウ。私も、あなたを愛しています」

「! ……リリア」


 眩しいほどの朝日の中で、二人の影が重なる。

 クロウの心が初めて満たされた瞬間だった。

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