第37話 アルフレッド王死す。
アルフレッドは入り口の扉へ視線を向けた。その青く美しい瞳が冷たく光る。
「……入って来い」
静かなアルフレッドの声に応えるように、鍵が外れる音が異様に静まった部屋の中に響き、ゆっくりと扉が開く。
「陛下……」
ベルンシュタイン国宰相ラファル・ディセントが立っていた。
「……おまえだったのだな? リコスの死神に情報を流していたのは」
「さすがです。気付いておられたのですか?」
「残念ながら、おまえだと気付いたのは今朝だ。これまで、何度か主犯者に辿り着きかけたが、その目前で関わった者は全て口封じに殺されていた」
「死んで当然の者達でした」
黙してはいたが、クラードは激しい怒りが感じられる眼差しをラファルに向けていた。
だが、ラファルは表情一つ変えずしっかりとした足取りで、自分が内通したた為に、仲間の血で紅く染まった部屋の中へと入って来た。
「おまえのこの国を思う気持ちはとても強いものだと思っていたのだが、どうやら私の思い違いだったようだな」
「今も変わりなく、誰よりも我が国のことを思っておりますよ。陛下」
言うや否や、ラファルの剣が閃いた。すぐにクラードも剣を抜く。
だが、死闘を繰り広げた直後の疲弊した身体では、一瞬の遅れを取る。その遅れが命取りとなった。ラファルの剣がクラードの体を貫く。
「クラード!」
絶命し倒れて行くクラードの体を抱き留め、アルフレッドは血で濡れた剣を握っているラファルを睨み据えた。
「狂ったか、ラファル! おまえは自分のしている事が分かっているのか?!」
「彼には、この国に謀反を企てた者として、ここで死んでもらわねばならないのです」
「ラファル!!」
アルフレッドの非難する声を無視し、ラファルは何かに取つかれたかのようにしゃべり続ける。
「陛下。もう一つお気付きでしたか? 東の砦では小競り合いなど起きてはいないのですよ。シュティル殿下には急いで戻ってくるよう今朝早く使者を送っています。彼なら上手くリコスの軍を蹴散らしてくれるでしょうね。その後は、兄王暗殺の首謀者として死んでいただくつもりです」
「!」
クラードの血で濡れた剣をラファルはアルフレッドの頭上にめがけて振り下ろしてきた。咄嗟にアルフレッドは転がり避ける。
「あなたがいけないのです! あなたの余命があとわずかなどと……リリティシア殿下は一歳になったばかりなのですよ。陛下亡き後、シュティル殿下に王位が取って変わられてしまうではないですか!」
「ラファ……ぐっ」
突然アルフレッドが苦痛に顔を歪ませ、胸元を掻きむしるように掴んだ。アルフレッドは口を押え、一度大きくむせる。その指の間から滴り落ちたものが床を赤く染めていく。アルフレッドは吐血していた。
「……陛下、これまでの数多の戦があなたの体をこれほどまでにボロボロにしていたのですね。私が今すぐに楽にして差し上げます」
ラファルは再び剣を構えた。アルフレッドへ向かって勢いよく床を蹴る。アルフレッドは肩で息をしながら自分に向かってくるラファルを見つめていた。彼にはすでに剣を避ける力すら残っていなかったのだ。
「やめて――――っ!」
突然、横から飛び出して来た者が剣の前に身を投じる。室内に絹を引き裂くような悲鳴が響いた。
「エレーネ!」
「? エレーネ……?」
驚愕のあまり力の抜けたラファルの手から剣が落ちる。ラファルに背を向け、アルフレッドを抱き締めているエレーネの華奢な背中がどんどんと紅く染まっていく。
「な、なぜ……? なぜだ? なぜ、おまえがここにいる? リリティシア殿下と神殿へ行っているはずだ……」
悪夢を見ているかのように姪の血で濡れた両手を見つめながら、まるでうわ言のように呟くラファルに、美しい顔を苦痛で歪ませながらエレーネは振り返った。
「……神殿へは、行っていないのです。嫌な予感に……戻って……、ずっと、……隣の部屋で聞……」
「エレーネ!」
ふらりと傾いだエレーネの体をアルフレッドは残りの力を出し切って抱き寄せる。エレーネの美しい瞳が涙で濡れていた。
「陛下、……リリティシアは……ウォルターに、託しまし……た……」
「……ああ、それで良い」
エレーネは震える指先で、アルフレッドの吐血し赤く濡れた唇をなぞる。そして、いつもの穏やかな笑みを浮かべると、ゆっくりと唇を動かす。
だが、それは声にはならなかった。
「エレーネ……」
愛しい妻に覆いかぶさるように抱きしめるアルフレッドの背が震えていた。
「な、何という事だ! ……これでは、私は何のために……。王女を探さねば……。リリティシア殿下を早く探し出さねば!」
ラファルの声にアルフレッドが顔を上げた。その青い瞳が鋭く光る。
「ラファル!」
アルフレッドは左腕でエレーネを抱いたまま近くに落ちていた剣を右手で掴み、渾身の力で剣を突き上げた。ラファルの左腕から鮮血が迸る。
「ぐふっ……」
背後で聞こえた呻き声に痛みに顔を歪ませ、ラファルは傷ついた腕を押さえながら振り返った。ラファルの瞳に映ったのは、アルフレッドの剣が胸に刺さったままのリコスの死神がそのままゆっくりと仰向けに倒れて行く姿だった。その手にはしっかりと剣が握られていた。
「この愚か者……め──」
アルフレッドは呟くと、再び大量の血を吐いた。
「陛下!」
すでに感覚さえ無くなっていたアルフレッドは、ただ気力だけで身を起こしているだけだった。愛するエレーネを床にゆっくりと横たえると、そのまま彼女の隣に倒れ込み、血に染まった手を彼女の青白い頬に添える。まるで慈しむように。
「……エレーネ」
そっと最愛の妻の名前を呟くと、まるで彼女の魂を追うように瞼を閉じた。
享年33歳。
名君で名をとどろかせた、アルフレッド・フォン・アーレンベルグ王の死だった。
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