第36話 死闘。
ベルンシュタイン国王を前にしても、まったく臆する様子もみせないリコスの死神イワン・マクドゥールがニヤリと笑う。
「城内への侵入があまりに簡単で拍子抜けだったので、退屈しております。せっかくここまで来たのです。私達を楽しませてください。ベルンシュタイン国王アルフレッド・フォン・アーレンベルグ殿」
どこかあざ笑うような口調でリコスの死神であるイワンはアルフレッドを挑発する。もちろん、アルフレッドがそんな挑発にのるはずはなかった。
だが、これまでの屈辱と主君を愚弄され、クラードの怒りが爆発する。
「陛下への数々の無礼……許せん!」
剣を構えたクラードがイワンに突進していく。
だが、その剣をイワンは怯む様子も見せずに真正面で受け止めた。
「さすがに、見事な太刀筋ですね。斬撃も重い……」
ギリギリと体重をかけながら押え込んでくるクラードの剣を自らの剣で防ぎながらイワンは相手の剣技を冷静に分析する。
「ですが、残念ながら、あなたの役目は終わりました。ここまで手引きしてくださったこと、感謝しておりますよ。ご苦労でしたね、フクス将軍殿。どのみち国を裏切ったあなたは処刑されるのでしょ? それではあまりに不憫でなりません。希代の戦士らしく、ここで私と戦って死んでください。なに、あなたの大切なご家族もすぐにあなたの元へ送ってさしあげますよ」
クラードは噛みしめていた歯の隙間から唸るような声を出した。愛妻家で有名だったクラードは家族を人質に取られ、敵兵を城内へ引き込む役目を担わされていたのだ。怒りに駆られたクラードの容赦のない斬撃と恐ろしいまでの闘気に飲まれ、イワンの部下達は手出しできずにいた。
だが、そんな猛将で畏れられているクラードを相手に、死神の異名を持つ男はどこか楽しんでさえいるように見える。
「あなたを含め、最強を謳うベルンシュタインの軍人は見せかけだけだったようですね。もしくは、平和すぎて地に落ちたのではありませんか?」
いつのまにか体制を入れ替えたイワンは、今度はクラードを剣で押さえ込んでいた。その顔に浮かんでいる笑みは死神の異名に相応しい。
「それは、どうかな?」
静かな声にイワンが怪訝な眼差しをチラリと向ける。この状況下であっても、椅子に座ったままアルフレッドは静観していたのだ。
しかし、オスカの剣を振り切り、リコスの兵達がアルフレッドに向かって襲い掛かる。
だがその瞬間、アルフレッドは悠然と立ち上がると、襲い掛かる兵達の方へ重厚な机を押し倒したのだ。リコスの兵達が僅かに怯む。その隙をついてクラードは死神の剣を押し返し、背後から襲って来る剣を薙ぎ払いながら、一旦敵兵達から距離を取った。
その時、背後の扉が勢いよく開いた。城には居ないはずの近衛隊がなだれ込んで来る。自分達の倍近くいる近衛兵に囲まれ、リコスの兵達の顔が一瞬で強張る。すぐに身を翻し、アルフレッドの私室へ繋がる扉を開けようとした者もいたが、すでに鍵がかけられており、逃げる事が出来ない。
「扉はすべて閉ざしてある。おまえ達は袋の鼠だ!」
近衛隊を指揮している男が大声を上げた。近衛隊隊長のエドガ・エフェクトだ。彼は、敵兵達にまるで見せつけるように鍵の束を懐へ仕舞いながら、アルフレッドへ視線を向けた。
「陛下、遅くなりました」
「いや、想定していたより早い到着に私は驚いているぞ」
「理由がありますが、その報告は後程!」
「ははは、確かに」
机を乗り越え襲って来たリコス兵の剣を受け止めながら、アルフレッドは笑った。
「フクス将軍殿! すでに、陛下からこの作戦の指示が出ております。何としてもこの者達を打ち取り、リコスとの戦争を回避しましょう!」
「エフェクト隊長!」
クラードは敵と剣を交えながら、頼もしい仲間の顔を見て思わず破顔する。アルフレッドは敵兵を一人切り捨てると、倒れた机に片足を乗せ、良く通る声を部屋中に響かせる。
「リコスの兵達に、ベルンシュタイン国の騎士の本当の姿を見せてやれ!」
クラードを含め、ベルンシュタイン側の兵達が『はっ!』と大きな声で応じた。
一方、敵兵達の顔が歪む。表情を無くしたイワンの剣はすでに近衛隊達の血で濡れていた。血走った目がアルフレッドに向けられる。
「くくくっ……これで勝った気になっているのですか? 逃げられないのはあなた方も同じ。我々の狙いはアルフレッド王、あなたの命なのですよ?」
リコスの死神は壮絶に笑うと、向かって来た近衛隊達二人を一刀で斬り捨てた。
だが、強いのはイワンだけではなかった。リコスの兵達は敵の城に少人数で乗り込んで来るだけはあり、どの男も驚くほど屈強揃いだった。白兵戦にかなり慣れているのか、ベルンシュタインの近衛兵達がその剣の前に次々と倒れて行く。
そして、ついには国王に肉薄する死神を再びクラードが遮り、壮絶な剣の応酬が続いた。
「……こうしている間にも、我が第二王子の軍がこの国へ到着してしまいますよ? 王弟も留守で国王との連絡も途絶えている状況下では、さぞかしベルンシュタイン軍は混乱をきたすでしょうね」」
「減らず口を!」
なおも死闘は続いた。すでにベルンシュタイン側はたった七人の敵兵に対してあまりに多くの犠牲を出していた。切り結んでいた敵兵を斬り捨てたアルフレッドが突然態勢を崩す。
「陛下?!」
死神はそれを見逃しはしなかった。ほんの一瞬クラードの視線がアルフレッドに向いた途端、その隙を突きクラードに体当たりを食らわせると、剣を支えに片膝を付くアルフレッドに向かって襲い掛かった。
だが、その剣先をアルフレッドは辛うじて左手に握っていた鞘で弾く。
「陛下!」
アルフレッドを庇うようにイワンの間に無理やり割り込んだオスカが、鋭い斬撃を受け止める。
しかし、力の差は明らかだった。死神の剣先がオスカの体に深々と押し込まれた。呻き声を漏らしながらオスカは自身の胸に突き立つ剣を両手で掴んだ。
「オスカ!」
「オスカ殿!」
オスカは渾身の力で剣を掴んで離さない。すぐに剣を抜き取ることが出来なかったイワンの背に、ほんの一瞬だが隙が生まれる。無防備になったイワンの背後からクラードが渾身の力で剣を振り下ろした。さすがの死神も血で紅く染まった床にそのまま倒れ込んでいく。
「陛下!」
クラードは急ぎ主の元に駆け寄る。アルフレッドは顔を歪め、胸を押さえながら目の前の血だまりの中に横たわるオスカを見つめていた。
「……オスカ──」
震える指先をオスカへ伸ばす。アルフレッドの手で静かに閉じられたオスカの瞼はもう二度と開くことはなかった。
アルフレッドはふらつきながらもクラードに支えられながら立ち上がる。彼の感情を押し殺した眼差しが、凄惨な部屋の中を見渡す。今この部屋で息をしているはアルフレッドとクラードの二人だけになっていた。
「陛下。……この城内にリコスと内通している者がいると初めにご報告申し上げた時に、陛下にその事を逆手に取る一手を講じていただいていなければ、私は謀反人となっていました」
アルフレッドの澄んだ青い瞳が静かに伏せられる。
「……この策は、最悪の場合の一つの案でしかなかった。ここに至るまでに、内通者を見つけねばならなかったのだ。この惨状は私の咎だ」
「それは違います! 私が陛下に甘えていたからです!」
「いや、おまえはよくやった。難しい立場であった中、リコスの死神を見事に釣り上げてきたのだからな」
「奴を引きずりだすことに成功したのは、奴の手の者が日夜私に張り付いていましたが、私が誰とも連絡を取らなかったことで、みごとに私が国を裏切ると信じ切ったからなのです。家族が攫われたのは、陛下に進言し、策を授けてくださったすぐ後でしたから」
「……リコスの第二王子は欲を出しすぎた。奴ももう懐刀がいなくなっては、これ以上我が国どころか、他の国に対しても戦を仕掛けてくることは出来まい……。さあ、ここはもういい。おまえはすぐに家族の救出しに向かえ」
「大丈夫です。私がうまく城内にリコス兵を引き込んだので、敵も油断しているでしょう。今頃は私の部下達が救出に向かっているはずです」
「そうか。優秀な部下達だな」
「はい。ただ、……ここへ来るまでに、目敏いガルロイ・ラフィットに見つかってしまいました。この作戦を知らなかったようですね。敵の目もありましたので戦うしか方法がなく、彼が相手では、なんとか急所だけは外しましたが、手加減をしてやれる余裕はありませんでした。助かってくれれば良いのですが……」
「そうか……。内通者に気付かれぬように、この作戦は誰にも告げず、決行する場合は、おまえが私の前に予告も無く現れた時点で指示を出さねばならなかったのだ。……ガルロイは休憩に入っていたのだな。奴がいれば、状況は変わっていただろう」
アルフレッドはこの場に居ない男を想い、目を伏せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます