第27話 告白。

 リリアはシャイルの言いつけどおりに扉の鍵を閉めた。振り向き、誰もいない部屋の中をゆっくりと見まわす。オイルランプが部屋の中を優しく照らしているのに、シャイルが居なくなっただけで広い部屋がさらに広く感じられ、心細さがつのる。

 だが、旅の間はシャイルが居ないのにいつのまにか寂しくなくなっていた。それは、クロウがいてくれたからだ。その事に改めて気付き、今の状況がとても辛くて、悲しかった。扉を背にして、力なくズルズルと座り込む。


「リリア! リリア!」


 突如、背後から自分の名を呼ばれ、リリアは弾かれたように振り返った。扉の外から聞こえてくる慌てた様子の若い男性の声には聞き覚えがあった。


「ルイさん? ルイさんですよね?! どうしたのですか?」

「ああ、嬉しいな! 俺の事、覚えてくれてたんだね! って、そうじゃなくて、……ねえ、このままクロウと会えなくなってしまっていいの?」


 いつもの彼らしい明るい声から急に尋ねる声が真剣なものに変わる。


(会えなくなる……?!) 


 考えるより先に想いがリリアの口から迸る。


「い、嫌です! 私はクロウとこのままお別れしたくないんです!」

「うん。そうだよね! 分かった。じゃあ、今からクロウのところへ行こう! あいつに君の今の気持ちを直接言ってやってよ」

「クロウに、直接……」


 すぐに決心したリリアは立ち上がると、心の中でシャイルに謝りながら鍵を外す。扉を開けると目の前にルイが笑みを浮かべて立っていた。その笑みはいつもの屈託のない笑顔ではなく、幼い弟を見守るような穏やかなものだった。


「さあ、行こう!」


 ルイはリリアの返事も聞かず彼女の手を掴むと、すぐに駆け出した。その手はとても温かかった。


「きゃっ!」


 リリアは小さく悲鳴を上げた。急にルイが立ち止まったせいで、彼の背に思いっきり顔をぶつかってしまったのだ。


「クロウ!」


 ルイの背後で鼻を押さえていると、ルイがクロウを呼ぶ声がする。リリアは覚悟していたはずなのに、びくりと体をこわばらせた。


「おまえ、このままでいいのか?」

「……何のことだ?」


 クロウの応じる冷たい声に、リリアは足が震えだす。そんな足を叱咤し、膝に力を入れてルイの背後から出る。黒曜石のような瞳がリリアに向けられた。驚いたのか、目を見開いている。

 だが、クロウは綺麗な整った顔を強張らせると、ふいっと視線を逸らせてしまった。明らかな拒絶にリリアの胸に引き裂かれるような痛みが走る。


「クロウ!」


 胸を手で押え、痛みに耐えながらリリアは必死の思いで彼の名を呼んだ。声は届いているはずなのに黒い瞳を真っ直ぐ前に向けたまま、まるでリリアの存在などないかようにリリアの横を通り過ぎようとする。


「クロウ! ……待って、行ってしまわないで!」


 去り行くクロウの背に向かって懇願するリリアの悲痛な声が廊下に響いた。それでもクロウは歩みを止めてくれない。

 だが、わずかに離れた場所で突然クロウが立ち止まった。リリアは溢れそうになる涙を必死で堪えた。ここで泣いてしまったらクロウを困らせるだけだとわかっていたからだ。


「あなた、一体、どうなさったの?」


 ふいにリリアとクロウの間に影が割り込んできた。それは食事をした部屋でクロウの隣にいた美しい女性、アマンダだった。彼女は困惑した表情を浮かべてリリアの前に立っている。どうやら、彼女はクロウのそばにいたようだ。リリアはクロウだけを見ていたので、彼女の存在に気づいていなかったのだ。


「まあまあ、お嬢さん。ちょっとこっちに来てくれるかな~」

「え!? 何? 何なの?! ちょっと、あなた!」


 ルイが困惑するアマンダの腕を引き、クロウから強引に引き離していく。クロウがゆっくりと振り返った。リリアの大好きな黒い瞳がまっすぐにリリアを見つめている。


「……ごめんなさい。私のせいで、シャイルがあなたにとても酷いことを言いました。クロウは私を守ってくれただけなのに──」

「……あの男が言ったことは間違いじゃない。本当のことだ。俺は、おまえのそばに居ないほうがいい」


 まるで一切の感情をそぎ落としてしまったかのような表情と声だった。数歩駆けよれば触れられる場所にいるのに、クロウが酷く遠くに感じられた。初めて会った時でさえ、彼はこれほど人を拒絶する目をしていなかった。


(私を拒絶して……?)


 まるで心臓を握りつぶされるような痛みに、リリアは再び胸を押える。


「……一緒に探してくれると、約束してくれました。あの言葉は嘘だったのですか?」


 喘ぐようにリリアは呟いた。


「嘘じゃない」


 即答で答えたクロウの暗い瞳の奥で微かに灯った光が揺れる。


「! ……それなら、私と一緒に王都へ行ってくれませんか? シャイルは必ず説得します。私は、少しでも長くあなたのそばにいたいんです。クロウのそばに居たいんです!」

「リリア……」


 クロウがリリアの名前を呼んだ。冷たかった声に戸惑いを含んだ感情が混ざっている。リリアの溢れてくる気持ちはもう止められなかった。


「クロウ! ……私は、あなたのことが、好き。好きなんです!」


 ずっと胸の奥にあって、言えずにいたクロウへの想いだった。クロウのずっと見つめていたくなるような綺麗な目が大きく見開かれていく。

 だが、リリアの告白に対し、クロウは何も言ってはくれなかった。心の奥がスッと冷えていく。悲しみがリリアの心と体を覆い、涙が溢れてきてクロウの姿が歪む。リリアは急いで俯いた。好きな人に見せる最後の顔が、泣いたみっともない顔になるのが嫌だったのだ。涙がぽたぽたと床へ落ちていく。


「……ご、ごめんなさい。あなたを傷つけた者が、好きだなんて……。明日、シャイルと家に帰ります。今まで、本当にありが──」


 最期まで言えなかった。リリアは強い力で引き寄せられ、気付けばクロウの腕の中にいた。


「え……?」

「リリア……」


 戸惑うリリアの頭上から、あらゆる感情を抑えようとするようなクロウの掠れた声がリリアの名を紡ぐ。


「リリア、謝らないでくれ。……おまえは何も悪くない。悪くないんだ」


 堪らなくなったリリアは、クロウにしがみ付く。


「ううっ、……ク、クロウ……」


 クロウの服を涙で濡らすリリアの頭の上から優しい声が降って来る。


「もう、泣くな。頼む……。俺も、おまえのそばに、居たい。叶うなら、ずっと……」

「!」


 貰えると思っていなかった言葉に、リリアが弾かれたように涙で濡れた顔を上げれば、包み込むような優しい眼差しが待っていた。


「……本当に?」


 不安そうに尋ねるリリアに、『ああ』とクロウは短く答え、再び強くリリアを抱きすくめるのだった。

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