第26話 届かぬ願い。
扉の向こう側へ消えて行ったクロウの後を追い、引き止めるシャイルの手を振り切ってリリアは部屋から飛び出していた。
「クロウ!」
クロウの名を叫んだが、すでにクロウの姿はどこにも無かった。それどころか廊下には誰の姿も見当たらない。リリアは見覚えのない場所でどちらへ向かえばいいのかさえ分からずその場から動けなくなってしまった。うなだれるリリアの姿を見かねたシャイルが部屋から出て来た。
「……とりあえず、下へ行きましょう。食事が用意されているの。きっとそこに彼もいるわ」
そう言いながらシャイルはリリアの手を取る。驚いたリリアが顔を上げると、シャイルはリリアに背を向けたまま、彼女の手を引いて歩き出した。
「ありがとう、シャイル!」
「……」
シャイルの返事はなかった。本心ではクロウの居る場所へ連れて行きたくはないのだ。安心できる見慣れた背中を見つめながら、リリアはどうすればシャイルにクロウのことを分かってもらえるのか必死で考えていた。
ふとシャイルが足を止めた。どうやらクロウの居る部屋に着いたようだ。中から賑やかな声が聞こえてくる。
シャイルが重厚な扉を開ける。リリアは緊張しながら中をそっと覗いた。部屋の中には見覚えのない人達も居て入ることに戸惑っていると、包帯を巻いた男の人達に囲まれるように座っているクロウの姿が見えた。リリアは覚悟を決めて部屋の中に足を踏み入れる。さすがに人を押し退けてクロウのそばに行くことはできず、少し離れた席に腰を下ろした。
警戒心の強いクロウは、いつもなら人の出入りがあればすぐに気づくはずだが、入って来たリリアの事に気付いていないようだった。彼の目の前には見た事もないような豪華な食事が並んでいる。
だが、それらに手を付けた様子はなく、ただ手にした杯をじっと見つめていた。時折、彼の隣に座っているとても綺麗な若い女性がクロウに話かける。その姿を目にする度、リリアの胸はズキリと痛んだ。
「……あの、綺麗な女の人は誰?」
クロウの傍にいる女性の事がどうしても気になったリリアはシャイルに尋ねた。
「……あの子はこの家の娘で、名前は……確か、アマンダだったかしら?」
「アマンダ……」
自分の姿とはあまりに違う美しいアマンダの姿にリリアの心はさらに沈んでいく。
「……部屋に戻りましょう」
溜息交じりの声に、リリアはハッとする。シャイルがリリアの心を見透かすような表情で見ていた。リリアの腕を掴むとさっさと部屋から連れ出してしまう。少しでも食べさせようとリリアの世話を焼いていたシャイルだったが、クロウに気を取られ、まったく食べようとしないので、諦めたのだろう。
(どうすればいいの?)
最初の部屋に戻されたリリアは途方に暮れる。同じ場所に居たというのに、クロウと目を合わすことさえできなかった。これまでクロウに視線を向ければ、必ずと言っていいほどクロウは気付いてくれた。なのに、先ほどの部屋では、あの優しい眼差しをほんの一瞬でさえ彼女に向けてくれることはなかった。
「リリア」
向かいの椅子に座り、黙っていたシャイルがリリアの名前を呼んだ。彼にしては珍しく低い声だった。驚いて顔を上げると、そこには憂いを含んだ静かな眼差しがあった。
「黒髪の彼のことが好きなのね?」
リリアは弾かれたように緑翠色の目を大きく見開き、シャイルの怖いくらい真剣な顔を見つめ返した。今の彼には誤魔化しや言い逃れはきっと通用しないと思われた。リリアは覚悟を決め、しっかりと頷いた。
「……彼は知っているの?」
今度は小さく首を横へ振れば、シャイルは『そう』と言ってまた黙り込んでしまった。
「シャイル、ごめんなさい! シャイルに内緒で王都へ行こうとしたこと……。でも! 私はどうしても王都へ行きたかったの。どんなにお願いしてもシャイルは駄目の一点張りだったでしょう? だけど、王都行の馬車に乗れば安全で、すぐに行って帰ってこられると思ったの」
「安全……?」
シャイルが苦笑する。リリアは慌てた。
「! ……予定どおりではなかったけれど、クロウがずっと私を守ってくれたからここまで来ることができたわ。あともう少しで王都へ着くのよ。王都に着いてからもクロウが人探しまで手伝うって言ってくれているわ。やっとお祖父様の手紙を渡すことが出来るのよ。クロウはシャイルが思っているような恐ろしい人ではないわ。彼はとても優しい人よ」
話にならないとでもいうようにシャイルは深いため息を漏らすと、暗い窓の外へと視線を向けてしまった。
「とにかく、明日は私と一緒に村へ帰ってちょうだい。今後のことは戻ってからちゃんと話し合いましょう」
「シャイル!」
どうして分かってくれないのかと訴えるような目で見つめるリリアにシャイルは視線を戻すと、いつものように優しくにっこりと微笑んだ。
だが、その目の奥に強い決意を感じる。シャイルは一度決めたことを簡単に覆すことはない。彼を説き伏せることはおじいさんでさえ難しいと言っていた。彼が頑なな態度を見せる時は、いつもおじいさんやリリアのことを心配している時だ。
(王都に、何があるというの?)
王都の目の前まで来ている。
だが、どうやらシャイルは王都自体にリリアを行かせたくないようだ。目の前だというのにきちんとした説明もしてくれず、すぐに帰らせようとするなんて、リリアが知っているシャイルではなかった。何でも分かりあえていたはずなのに、リリアにはシャイルが今何を考えているのか、まったく分からなくなっていた。
トントン。
扉を叩く音に、物思いにふけっていたリリアとシャイルはお互い目を合わせた。シャイルはリリアに手振りで動かないよう伝えると、音もたてずに扉の側へ移動し、外の様子を覗う。
「どなたです?」
「ガルロイだ。突然ですまないが、今いいだろうか?」
「ガルロイ殿?」
シャイルは怪訝な表情をうかべ扉の前に立つと、左手で扉を僅かに開けた。右手はすでに剣を握っている。
「リリアに、何か御用ですか?」
「いや、君に用がある」
「私に?」
「ああ、そうだ。よければ、私の部屋へ来てくれないか? 君と二人で話がしたい」
「分かりました」
意外なことに、シャイルはガルロイの誘いをすぐに承諾した。
そして、不安そうに見つめるリリアにまるで安心させるかのように剣を戻し、優しい笑顔を向ける。
「少し行ってくるわ。私が居ない間、しっかり鍵を掛けるのよ。絶対に、私以外、この扉を開けては駄目。どんな事があってもよ」
シャイルは過剰なほど念を押した後、部屋から出て行く。その後ろ姿を目で追えば、廊下で待っている大きな体の団長の姿が見えた。彼はリリアに気付くと軽く会釈をした。その精悍な顔にふと辛そうな表情が浮かぶ。
(団長さんはどこか具合が悪いのかしら?)
リリアは気になったが、今は団長のそばにシャイルがいる。本当に体調が悪ければシャイルが気付くはずだ。もしかしたら話とはその相談なのかもしれない。
「では、行きましょう」
「あ、ああ……」
リリアに気を取られていたガルロイにシャイルが声を掛けた。団長はハッとした様子でシャイルへ視線を向ける。二人の姿がゆっくりと閉まっていく扉の向こうに消えていった。
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