第23話 命の恩人。
クロウ達が助けた商人はナデイロ・エルバハルという名で、内海に面した交易都市アルバトロスで大きな船を数隻持つ豪商だった。
彼に案内されるままクロウ達が到着した邸宅は、リラの町の中心部よりやや北へ上がったところにあった。このあたりは裕福な層の人間が集まっているのか、かなり大きな建物が立ち並んでいる。その中でも一番大きく、立派な邸宅であった。
「エルバハル様がお戻りなられたぞ!」
先に護衛の一人を走らせていたからか、大きな門の前では大勢の使用人達が主人の帰りを待っていた。
「お帰りなさいませ、エルバハル様。よくぞご無事で」
「盗賊達に襲われたと聞いた時は、心の臓が止まったかと思いましたぞ!」
「本当に、よくご無事で……」
使用人達はあっという間に馬車から降りて来た主人を取り囲み、怪我も無く無事な様子を確認すると、みな安堵の表情を浮かべ喜んでいる。それを見ればエルバハルという男の人柄の良さが理解出来た。
「お父様!」
両開きの大きな扉を潜り、長い髪を揺らしながら女が一人駆けてくる。
明るい茶色の髪の十代半ばの若い女だ。
使用人達が道を開けると、彼女は勢いよくエルバハルに抱き付いた。目鼻立ちのはっきりとした美しい娘だった。
「アマンダ。人様の前で、よい年頃の娘が何とはしたない」
彼女の背後からゆっくりと歩いて来た高齢の女性が、孫娘の行いを窘める。
「だって、お祖母様。お父様がご無事でお戻りになられたのよ」
アマンダと呼ばれた娘は少し不満気な口調だが、やはり父親が無事に戻って来た事が嬉しいらしく笑顔で父親にまとわりついている。
「今、戻りました。かなりご心配をお掛けしたようですね」
「ナデイロ。本当に、よく無事に戻りましたね」
エルバハルは自分に向け伸ばされた年老いた母親の手を優しく取り、その手の甲に唇を押し当てる。
「最近は国の中も落ち着き、盗賊に遭遇する事も無くなったので、護衛の数を減らしたのが悪かったようです。ですが、あの方達のお陰でなんとか命拾いをしましたよ」
「まあ、なんと有難い事でしょう。きっと、精霊のお導きです」
老女は手を合わせ、この国の守護精霊に感謝の言葉を呟くと、事の成り行きを見守っていたクロウ達にも感謝の眼差しを向けた。同じように好意的な目で見つめているアマンダに対し、ルイはいつも彼を取り巻く女達にするように小さく手を振っている。それを見て、ガルロイは思わず額を押さえた。
「お父様! あの方達はどなたなのですか?」
アマンダが弾んだ声を上げた。
「私の命を救ってくださった恩人の方々だ。王都へ行かれる途中なのだが、今夜はここに泊まっていただこうとお連れしてきたのだよ」
「まあ! ここに泊まっていただくのね?」
「アマンダ様。エルバハル様のご指示がございましたので、みなさまにお食事と泊まって頂くご用意はすでに整えてございます」
エルバハル家の執事であろう初老の男がアマンダにそっと耳打ちした。彼女は小さく頷くと、しっかりと頭を上げ、姿勢を正した。
「では、私が皆様をご案内するわ」
アマンダはクロウ達の前に進み出ると、スカートの端を両手でつまみ、軽く膝を折った。洗練された優雅な仕草だった。
「初めまして、アマンダ・エルバハルと申します。父を助けてくださった事、心から感謝しております」
「こちらこそ、お言葉に甘えて突然押しかけてしまい誠に申し訳ない」
ガルロイが紳士らしく右手を胸に当て、軽く頭を下げた。ルイも彼の横で同じ仕草で挨拶をすると、ニッコリとほほ笑む。笑顔を向けられ、アマンダはルイの晴れた空のように青い瞳を見つめながら弾けるような笑みで応じた。アマンダはそのまま流れるように視線をルイの影にいたクロウへ移す。
クロウはこの時、腕に抱くリリアに注意を向けていてアマンダを見ていなかった。
だが、彼女はクロウを見た途端、大きく目を見開き、興味を示した。
そして、彼が大切そうに誰かを抱き上げている事に気付くと、自ら近づいて行った。
「……その方は、お怪我をなさっているのですか?」
アマンダが声を掛けると、クロウはやっと彼女へ視線を向けた。クロウの顔を直視したアマンダは息を飲んだ。
「いや、気を失っているだけだ。だが、早く寝かせてやりたい。出来るなら先に部屋へ案内してもらえないだろうか?」
「わ、分かりました。セバス! 私はこの方を先にお部屋へご案内します。他の方々をお食事が用意されているお部屋へお連れして!」
「はい。お嬢様」
クロウは『一緒に行く』と言ったガルロイとルイの申し出を断ると、アマンダに導かれるままニ階にある客室へと向かった。突然押し掛けて来たにもかかわらず部屋は綺麗に整えてあり、良い香りまでしている。
だが、クロウは置かれている高価な調度品や高級な家具には一切目もくれず、すぐに柔らかな寝台へと直行する。
「……綺麗な男の子ね」
そっと寝台の上にリリアを寝かせるクロウに、アマンダが話しかけてきた。 彼女はリリアを男の子だと思っているようだ。
「そうだな」
寝台の上に横たわるリリアの姿をクロウは改めてじっと見つめる。
彼女の淡い金色の髪は短く、綿のシャツの上に袖の無い胴着と膝までの長さの脚衣を身に着けていた。町でよく見かける少年と同じ姿だ。
確かに、この恰好では女だとは思いもよらないだろう。現にクロウも初めはリリアの事を少年だと思い込んでいたのだから。
だが今はどんな姿をしていても、リリアの事を男のだとはとうてい思えない。なぜ彼女の事を女だとまったく気付きもしなかったのか不思議でならないほどだ。
鈴を転がすようなかわいらしい声。ずっとさわっていたくなるような柔らかな白い頬。そっと触れたくなるよう花びらのような唇。吸い寄せられるような優しい眼差し。髪が短かろうが少年のような服を着ていようが彼女には男の子と見間違える要素はどこにもないのだ。
「よかった。女の子なのかと思ったわ。とても大切にされているのだもの。まるで高価な宝石に触れているみたいだわ」
アマンダがどこか安心したように呟く。
どういう意味なのかと、クロウは初めて彼女を真っ直ぐに見た。その視線をアマンダは少し恥ずかしそうに受け止め、熱を帯びた眼差しでクロウを見つめ返してきた。
「王都へはお仕事で行かれるのですか?」
「ああ」
「王都へ着かれてからの予定は、もう決まっているのですか?」
「いや。まだだ」
「そうですか」
「何だ?」
「いいえ、何でもありませんわ。さあ、あなたも早くお食事を召し上がってください。お仲間の方達もきっと待っておられますわ」
「すまないが、もう少ししてから行くと、あんたから言っておいてくれないか?」
「……分かりました。皆様がおられるお部屋は、入口から右側へ入ったところにあります。おそらく、賑やかな声が聞こえると思うので、迷うことはないでしょう」
「ああ、分かった。ありがとう」
クロウはリリアが眠る寝台の横に立ったまま、アマンダに礼を述べた。アマンダは僅かに顔を曇らせ、一人で静かに部屋から出て行ったのだった。
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