第22話 再会。

 激走する馬車の周りでは、護衛をする者と盗賊達との間で死闘が繰り広げられていた。クロウはリリアを庇いながら馬を巧みに操り、戦闘の隙間を縫うように馬車へ近づいて行く。追いかけて来た盗賊達はクロウ達を追い込んでいる気になっているのだろう。興奮し、奇声を上げながらまるで見せつける様に大ぶりの剣を振り回している。

 クロウはなにも好き好んで戦の渦に飛び込んだわけではない。逃げるに越したことはないのだが、リリアを乗せている分すぐに追いつかれることは明白だった。リリアを庇いながら、たった一人で戦うには敵の数が多すぎた。ならばいっその事、馬車を盾にし、護衛の男達を味方に付ける事が出来れば、リリアを守りながらでも十分戦えると判断したのだ。


「御者を狙え! 馬車を止めろ!」


 盗賊達は馬車を止めようと躍起になっていた。中には、走る馬車に乗り移ろうとする者もいる。

 護衛の男達は猛烈な速度で走る馬車に並走しながら繰り出される剣を受け止め、薙ぎ払い、反撃している。彼らはかなり剣の腕が立つ者ばかりのようだ。

 だが、たった五人で群がる敵を相手にし、すでに疲労の色が濃く表れていた。クロウはすでに三人ほど盗賊達を馬から叩き落としていた。そのまま無防備な御者を守りながら戦っている護衛の男に近付いて行く。その男は藁色の髪を激しく揺らしながら賊の男二人と渡り合っていた。ちょうどガルロイと同じぐらいの年齢で、剣をまるで自分の体の一部のように使っている。彼の容赦ない斬撃に盗賊は攻めあぐねているようだった。


ガタッ


 馬車の車輪が大きな石にでも乗り上げたのか、大きな音と共に車体が大きく揺れた。それに一瞬気を取られた護衛の男の背後を鋭い切っ先が間髪入れずに突き出された。


ガッキーンッ


 鉄と鉄がぶつかる鈍い音と共に、鋭い音が辺りに響いた。藁色の髪の男の背に剣が突き刺さるすんでのところで、クロウがその剣を叩き折ったのだ。剣を折られた盗賊はその衝撃で馬から落馬し、近くにいた仲間達を巻き込みながら砂埃を上げて後方へと消え去っていく。

 その間に藁色の髪の男は剣を交えていた盗賊二人を一気に薙ぎ払うと、精悍な顔に人懐っこい笑みを浮かべ、クロウに声を掛けてきた。


「誰かは知らんが助かった! 礼を言う!」

「礼など後でいい。よそ見をしている場合か? まだ狙われているぞ!」


 どこか憎めない男だった。クロウは注意を促しながら脇から斬り込んできた一撃を流れるような動きでかわし、そのまま敵の剣を弾き飛ばす。


「ほう! あんた、結構やるじゃないか!」


 突然現れたクロウの見事な剣技に他の護衛の男達も俄かに活気づき、逆に盗賊達は動揺を見せ始めた。


「怯むな! ガキ連れから狙え!」


 クロウの馬にはリリアが同乗している事に気付いた盗賊達は、早速クロウへ狙いを定めたようだ。盗賊の雄叫びにも似た大声に、リリアの体がビクリと大きく揺れた。

 目の前で人の腕が斬られるところを目の当たりにし、リアは激しい衝撃を受けていた。悲鳴を上げた時点で、気を失っていてもおかしくない状況だった。

 だが、さらに今、リリアを取り巻くものは、悲鳴に怒声、剣と剣がぶつかる音、いつ外れてもおかしくはない馬車の車輪の音、狂ったような馬の嘶き、小石を蹴り上げる蹄の音。あらゆる厭わしい音だ。

 そんな中、リリアは健気にも震えながらクロウが指示したとおり鞍に必死で掴まり、耐えていた。


「ごめんなさい……」


 消え入るような微かな呟き。

 だが、クロウはその小さな声を聞き逃さなかった。


「! リリア……?」


 クロウの胸の奥に痛みが走る。

 リリアはクロウが『迷惑』だと思っていると誤解したままだった。その誤解をまだ解く事が出来ていない。今も、きっと自分を責め続けているに違いなかった。早くこの戦闘終わらせ、リリアの誤解を解いてやりたかった。

 だが、状況は良くなるどころか激しさを増している。リリアにとっては地獄に居るようなものだ。実際、クロウはリリアの頭上で盗賊達と剣を打ち合わせているのだから。


 クロウッ!


 激しい打ち合いの中、誰かがクロウの名を呼んだ。その声はリリアにも聞こえたらしく、まるでその声につられるよう急に頭を上げた。金色の髪が風をはらんで大きく揺れる。

 だが、リリアが顔を上げたのは、まさに最悪の瞬間だった。三人もの盗賊達が殺気立った物凄い表情で大ぶりの剣を振り上げ、襲い掛かって来ていたのだ。リリアはその姿を目の当たりにしてしまった。

 声にならない叫びがリリアの喉から迸った。


「リリア?!」


 突然リリアの体から力が抜け落ちた。ぐらりと体が大きく揺れ、そのまま横へ倒れて行く。クロウは襲って来た三つの大剣を一気に薙ぎ払い、慌てて小さな体を抱き留める。


「リリア! リリア!」


 クロウの必死の呼びかけに応じる気配もなく、リリアは蒼白な顔で目を閉じたままぐったりとしている。とうとう気を失ってしまったのだ。すぐにでも馬から下ろしてやりたいとクロウは思った。

 だが、それさえ叶わない。無意識に奥歯がギリリッと鳴る。


ぎゃあああっ!


 突然クロウの周りで血しぶきが吹き上がった。

 今まで敵の剣を弾き飛ばすか、落馬させるかして相手を殺さないようにしてきたクロウだったが、今や彼の剣は盗賊達の血で真っ赤に染め上げられていた。剣先から血がしたたり落ちている。


「お、おい! 今まで手加減をしていたのか⁈」


 近くで戦っていた藁色の髪の男が敵の剣を受けながら、クロウの豹変ぶりに驚愕のあまり引き攣った声を上げている。

 確かに、彼が言うとおりだった。心優しいリリアに出来る限り血みどろの世界を見せたくなかったのだ。


(いや、血で濡れた剣を振る自分の姿を見せたくなかっただけなのかもしれない……)


 だが、今はそんな悠長な事をしている場合ではなかった。早くこの馬鹿げた戦闘を終わらせ、すぐにでもリリアを安全で静かな場所へ連れて行きたかった。


「クローウッ!」


 クロウの隙を探りながら距離を保ち追いすがる盗賊達の背後から力強い声が彼の名を呼ぶ。先ほど聞こえた声だ。今ははっきりと聞き取れる。聞き慣れた声。


「うおおおおーっ!」


 まだ諦めもせず追いすがってくる盗賊達を蹴散らし、咆哮を上げながら大柄な男が姿を現した。


「ガルロイ!」


 クロウは男の名を大声で呼んだ。頼もしい仲間達がクロウ達を探してここまで来てくれたのだ。ガルロイの背後では、剣を振るルイの姿も見え隠れしている。

 猛然と剣を振るガルロイの横を、まるで風のようにすり抜けて来る者がいた。明らかに盗賊ではない。赤く長い髪を靡かせ、美しく妖艶な顔立ちをしている。

 だが、その者から放たれる殺気はクロウでさえ胆を冷やすものだった。


「その子を離せ! この獣め!」


 発せられた低い男の声と共に突然繰り出された斬撃をクロウにしては珍しく受け止めることで精一杯だった。その洗練された剣さばきは、この男がただ者でない事をうかがわせる。


「くっ……、おまえは、誰だ?」

「貴様に名乗る名などない!」

「待て! 待ってくれっ!」


 剣をぎりぎりと合わせたまま睨み合うクロウ達の間にガルロイが慌てて割込んで来た。すでに盗賊達は蹴散らされ、遠くに逃げる姿が視界の端に映る。


「なぜ止めるのです? ガルロイ殿!」


 クロウを燃えるような眼差して睨みながら、その男は怒りのままに言葉を吐き出す。


「彼は、味方だ!」

「?! 味方? ……人攫いではないのですか?」


(人攫い? 俺が?!)


 赤髪の男は半信半疑の眼差しをクロウに向けていたが、あっけないほどすぐに剣を引いた。


「クロウ! ずいぶんと探したんだからな!」


 ルイが明るい声を上げながら駆け寄って来る。

 すでに馬車は道の端で止まっていた。その側では護衛の男達が馬から降り、立ち去って行く盗賊達を横目に、クロウ達の様子を興味津々で眺めている。


「団長。ルイ……」


 クロウは気を失っているリリアを抱え直し、ガルロイとルイにほっとした表情を向けた。満面の笑みのルイに比べ、ガルロイの顔には疲労の色が色濃く出ている。かなり心配してくれていたようだ。


「二人とも、怪我はないか?」


 ガルロイが声を掛けながらクロウの横へ馬を寄せてきた。


「ま、まさか、……怪我をしているのか?」


 クロウの腕の中でぐったりと目を閉じているリリアの姿を見た途端、ガルロイは珍しく狼狽えた声を出す。


「無事だ。だが、戦闘のさなかに気を失ってしまった」

「そうか、気を……。とにかく、無事で良かった」


 まなじりを下げ、じっとリリアを見つめているガルロイの目がわずかに潤み始める。


「ガルロ……」

「ありがとう! あんた達が居なかったら俺達は無事ではいられなかったよ」


 いつもと違う様子を見せるガルロイに声を掛けようとしたクロウだったが、背後からの声に振り返れば、馬車を護衛していた男達が真剣な面持ちでクロウ達を囲むように五人並んで立っていた。どの男も、所どころ服がさけ、血がにじんでいる。みごとに満身創痍だ。


「本当に危ないところを助けて頂き、何とお礼を申し上げてよいのか、感謝の言葉もありません」


 見るからに商人らしい恰幅の良い男が護衛の男達を掻き分ける様に現れた。

 そして、クロウ達に恭しく感謝の言葉を述べる。馬車に乗っていたのはこの男だったのだ。彼は裕福な商人らしく、クロウでさえ分かる上等な生地で出来た仕立ての良い服を着ている。


「もう間もなく日も沈みます。お礼と言うのも何ですが、よろしければリラの町にある私の邸宅にこのまま案内させていただけないでしょうか?」


 思いがけない申し出に、クロウ達はお互い顔を見合わせた。ガルロイが馬から降り、商人の男と握手を交わす。


「有難い。お言葉に甘えさせてもらいます」

「やれやれだね。これでやっとゆっくり眠れるよ~」


 ルイのどこかお道化た口調に、ガルロイとクロウが同時に苦笑を漏らし、商人と護衛の男達が笑い声を上げた。その中でただ一人赤髪の男だけは、長い髪を雨が降る前の湿気を含んだ風が揺らすのに任せながら、やや吊り目がちな目をひたとクロウに向けていた。

 彼こそが、クロウが知りたいと思っていた『シャイル』だった。

 もちろんこの時、そんな男がこれほど近くにいるとは、クロウには知りようもない事だった。

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